第8話 『死に戻り』の始まり
『……式神修験町で起きたバスの落石事故の続報が入りました。生徒達は、奇跡的に全員生存しているそうです。怪我人は、式神修験町高校1年生の凛堂ルリさんが意識不明……』
オレが目を覚ますと、そこは地元の大型病院のベッドの上だった。異界のあやかしによる襲撃は、現世ではバスの落石事故による怪我という形で認識された。クーラーのよく効いた部屋は、どちらかというと寒いくらいで思わず布団を深く被りたくなった。
いや……布団を被りたいわけはそれだけじゃない。きっと、ルリのことで涙が溢れてきて顔を隠したいのだ。
せっかく頑張ってあやかしを倒したのに、大事な幼なじみを助けることが出来なかった。
一般の人達には、オレ達霊能者がどういうものと戦っているのか、はっきりとした形では認識が出来ないのだろう。
二学期登校初日は、不吉な始まりとなってしまった。全員生存で異界より生還できたことは不幸中の幸いだったと言える。オレ自身の傷は、大したことないはずだが、ルリに大怪我を負わせてしまったショックで心がボロボロだった。
さらに、【1巡目の世界線】においてオレの婚約者スイレンへの、よからぬ噂が式神修験町に流れた始まりの出来事でもある。
そして、それはオレが近い将来……これから起こる【2巡目の未来】で『家神荘の異界術師』と呼ばれるきっかけの出来事だった。
* * *
「う、ん……。あれ、姉ちゃん……」
「スグルッ、良かった……気がついたのね。本当に良かった……無事で……。クラスメイトのみんなも奇跡的に、全員生存が確認されたのよ」
おそらく、軽傷程度の怪我なのだろうが、姉は本気で心配してくれていたようで、オレの手をずっとしっかり握っている。柔らかく優しい姉の手をギュッと握り返す。
「……ルリは……?」
地獄道で生き別れたルリ……けれどあの時、必ず戻ると言っていたのだ。ルリの生存を信じたい。
「……! ルリちゃんも集中治療室で、一生懸命戦っているわ。きっと、大丈夫よ」
集中治療室……残酷な響きがオレの胸に突き刺さる。リンドウの花言葉は『苦しんでいる時のあなたが好き』という極めて辛いものだった。凛堂ルリという少女は、オレの心にリンドウの花を咲かせたいと言っていた。
もし、オレがルリのことで苦しみをずっと胸に抱き続けていれば、ルリは現世に帰って来てくれるのだろうか? 分からない……しばらくの間はルリと直接話すことは叶わないのだから。
コンコンコン……! 誰かがドアを叩く音が聞こえる。
「はーい、もう大丈夫です……どうぞ」
ガチャッ……ドアを開けて病室に入室してきたのは、オレの婚約者であるスイレンと帽子を被った見慣れない銀髪の少女だった。スイレンの知り合いか何かだろうか?
「……! スイレンさん、それにミミッ! 駄目よ、まだあなたは外に出られる体調じゃないわ。家で留守番を……」
「ごめんなさい、ツグミさん……どうしてもスグルさんのことが心配で……。ミミちゃんに無理を言って、一緒に来てもらったんです」
「にゃあ……ごめんなさいにゃ。スイレン様をタクシーで病院まで連れてきたのは私なのです。泣いているスイレン様を見て……つい……」
スイレンは、帽子を被った少女のことをミミちゃんと呼んでいる。まさかとは思うが、あの少女は我が家の白猫ミミちゃんなのか? それとも、事故の影響で頭を打って認識力が曖昧になっているのだろうか?
「スイレン……来てくれたんだ。ありがとう……あと、もしかしてミミちゃんも」
「スグルどの……スグルどの……! ああ、無事だった……良かった……。スグルどのの身に何かあったら……私、私……!」
なるべく平静を装いつつも、かなり取り乱しているスイレン。青く美しい瞳からは涙がこぼれ落ちており、ポタポタとオレの布団を濡らす。
「にゃあ……スグル様、ご無事で何よりですにゃ。改めて、私は猫神のミミ……家神一族の御庭番の末裔なのです。スイレン様が家神に嫁ぐ一年ほど前から、ボディガードとして異界より送り込まれていたのです。スイレン様の霊力が安定するまでは、ごく普通の白猫の姿でしたがこれからはこの姿でスイレン様のボディガードをつとめていく所存ですにゃ。よろしくお願いしますにゃ」
ミミちゃんは、可愛らしい外見に似合わずオレが想像しているよりもずっとしっかりしていた。これなら、御庭番としてしっかりとやっていけるだろう。
「そっか……ミミちゃんは本当に猫神様だったんだな。スイレンのことよろしく頼むよ」
でもまさか、ミミちゃんが異界から送られてきたスイレンのボディガードだったなんて。ルリもスイレンに警戒心を抱いていたし、もしかしたらスイレン自身の身も危ないのかもしれない。
「スグルどの……その、幼なじみの女性が……怪我をしたのは、もしかしたら私のせいなのですか……。先ほど、話した町の人たちが睡蓮の女神の祟りだと……私、一体どうしたら?」
噂話をかなり気にしているのか、白いハンカチを握りしめる手が震えている。
「……! そんなはずないだろう! 変な噂や慣習に惑わされちゃ駄目だ。ここは、田舎町だから何かが起こるとわざわいとか祟りのせいにしたがるだけだよ……頼むから……気にしないでくれ……」
スイレンの震える白い手を握りしめて、溢れる涙を拭いてやる。それと同時にやっぱり自分はスイレンに惚れてしまっているのだと再認識する。
心の中で、現在集中治療室で怪我と戦っているルリに懺悔する。せっかく、想いを伝えてくれたのに……応えることは出来ない。
愛と同情を履き違えてはいけない……幼なじみのことはとても大切だが、それは友情であって恋愛ではないのだ。
やっぱりオレは、スイレンのことが好きなんだ……生まれる前から、ずっと……ずっと……。
「スグルどの……私、これからどうしたら……? このまま、この町でやっていけるのか……」
「大丈夫だよ、何か悪い噂を流されたとしてもオレが守ってやるから……」
強く強く、握りしめたスイレンの手はとても冷たくて……まるで睡蓮鉢の水の中に手を伸ばしたような……それくらい錯覚をするほどひんやりとしていた。
* * *
数日後、ルリの意識が戻ったとの連絡が我が家に届く。大怪我が嘘のように塞がっていく、その回復力は医学的に見ても奇跡に近いという。
オレ達の住む式神修験町地域に残る伝説の【死に戻り】が起きたとまで、言われほどだ。
自宅療養を医師から言い渡されているオレに、姉がルリの回復を教えてくれる。
「良かったわね、スグル。ルリちゃんの具合……すごく順調なんですって。どうするの、スグル……ルリちゃんのお見舞いにいけるようになったら……」
「そっか……安心したよ。けど、どうやって顔を合わせたらいいのか分からないんだ。ルリ……って、オレとスイレンとの仲を反対しているようだったから……」
もし、傷が治りきらないうちに、ルリの心に悪い影響を与えたら……と考えると距離を置く方が無難に感じた。
「……そうね、ルリちゃんはあなたのことが好きだったみたいだからね。スイレンさんのことも少しずつ受け入れてもらえるようになるといいわね。ルリちゃんの身体がきちんと回復すれば、きっと話し合いが出来るようになるわよ」
「うん……そうするよ。ルリがああなったのは、半分はオレのせいかも知れないから」
結局、オレはルリのことで胸に痛みを感じながらも、スイレンへの愛を捨てることは出来なかった。
その業の深さゆえか……近い将来に『ああいう展開』になったのは、この時点のオレが曖昧な態度をルリに対して取り続けたせいなのだろう。
まだ幼かった【1巡目のオレ】は、その罪に……到底気づいていなかったのである。