第2章 第24話 秋祭りのあの日を目指して
7月中旬のある土曜日、いわゆる迎え盆と呼ばれる日の午前8時半ごろ。オレは家神一族所有の祠へと、お供え物を捧げに向かっていた。
「あら、スグル。いよいよ調査最終の当日ね。私とミミちゃんは現代で待機だけど、代わりに祠の清掃をしておいたわよ。天命さんにきちんと挨拶してから任務に出るのよ」
「雨に負けないように綺麗にしておきましたにゃ。天命さんも過ごしやすいと思うのにゃ」
「ツグミ姉ちゃん、ミミちゃん。ありがとう!」
長く続いた雨は其処彼処に露となって、ポタポタと雫をこぼしている。山奥の祠も例外ではなく、湿気をたっぷり含んだ祠の内部は幾分気温が低い。
「毎日雨ばっかりだったけど、2人が掃除してくれたお陰で綺麗だ。邪気も溜まっていない」
先程掃除したばかりということもあって、祠の内部は清潔が保たれていた。毎日日替わりで家神荘に住む誰かしらが、ここの掃除を行なっている成果と言えるだろう。
家神一族の正式な人間だけでもオレ、ツグミ姉ちゃん、アヤメ、叔父である推命さんと叔母のサクヤさんと人数が多い。
お付きのメイドのミミちゃんを始めとする使用人も複数人、住み込みで働いているから余計にそう感じるのだろう。
そして、オレの花嫁候補である最初の婚約者スイレン、平安からの約束を継承する天女の伽羅、調査に来たはずが嫁入り候補者になっていた時の女神モイラさん。
さらに、前世でアヤメと生き別れになり500年間待ち続けてくれていた少年、黎明君などメンバーが増えた印象だ。ふもとの家で数人で暮らしていた時に悲劇が起きたことを考えると、ある程度の人数で暮らした方が安心感が持てる。
いわゆる大所帯になりつつあるが、家神荘は宿泊施設としてやっていけそうな大きさだったため、部屋が無駄にならなくて良いと叔父さんが笑っていたっけ。
本当は、オレの両親も生きていれば……ふもとの方の家も使って、この山そのものをフル活用出来ていただろう。いや、わずかでもその可能性を復活させるために、過去へ飛ぶのだけれど。
「あのさ、天命さん。オレたち、迎え盆の今日に過去の世界へ行くことになったよ。万が一、何かあったら戻ってこれないし……。これ、餞別に受け取って!」
もしかすると、オレと天命さんの最後の会話になってしまうかも知れない今日。特別なお供え物を……と検討して、【歓喜団】と呼ばれる揚げたお団子に決まった。
天部の神様である聖天様の好物とされる歓喜団は、大昔の貴族が好んで食べた高級スウィーツだ。お団子といっても形は巾着型で、最近ではあまり見られないお菓子である。中には、餡子や薬味がたっぷり入っている。
平安時代からの魂である天命さんが、喜んでくれると良いんだけど。
「おや? 随分と良いお供え物をチョイスしてくれましたね。歓喜団ですか……はるか昔の貴族が好んで食べたものです。しかも手作りとは……作るの大変だったでしょう?」
「ああ、オレ一人じゃ作り方分からないし、スイレンたちに手伝ってもらったんだよ。もしかしたら、この時間軸で過ごせるのは最後かも知れないから天命さんに何かあげたいって言ったら、歓喜団を勧められて。手作りのお供えに、ぴったりだって」
オレも一応、陰陽師の端くれだし異界にもしょっちゅう行っているが、お供え選びや神様の事情にそこまで詳しいわけではない。少なくとも、現役女神様であるスイレンたちに聞く方が的確なはずだ。
「ほう。今の異界の民の間でも、まだ歓喜団を作る風習があるとは……ホッとしました。いえね、聖天様を信仰されている人の間では有名なお菓子ですが。一般にはそれほど普及しなくなっていたので、勿体無いと思っていたんです。あぁ……昔を思い出しますねぇ。ではさっそく……いただきまーす!」
家神となってからもしばらくは実体を持っていた天命さんだが、明治期に術をかけられてからはいわゆる魂だけの【天の声】状態だ。でも、どうやらお供え物は普通に霊体状態でも食べれるみたいで、エネルギー補給には必須の様子。
「あれっ……結構、無くなるのが早い。歓喜団って油でしっかり揚げてるし、硬いはずだけど。早く食べて大丈夫?」
「今は霊体なんで、歓喜団の硬さは程よく感じますよ! んー懐かしい味ですねぇ……私にとってのソウルフードです!」
声はすれども姿は見えず……という彼だが、不思議と巾着型の歓喜団が1つ2つとお供えの台から消えていく。気のせいかも知れないが、一緒にお供えしている天然水なんかも量が減っているような。
(んっ……たまに、天命さんの魂の状態が見え隠れする時があるけど。気のせいか? よっぽど歓喜団が好物だったんだろう。やっぱり、誰でも思い出の味ってあるんだな……頑張って作って良かった)
「天命さんが好きな食べ物だったみたいで、安心したよ。これで心置きなく過去へ行くことが出来る。死に戻りしたりいろいろあったけど、今までありがとう。また、今の記憶を所持した状態で会えたらその時はよろしく」
「行ってしまうんですね、スグル。きっと、大丈夫ですよ。たとえ、この時間軸がただのパラレルと呼ばれる軸となってしまっても、もう一度出会い直せます。せっかくの歓喜団です……次に会う時は喜ばしい状態でお会いしましょう。行ってらっしゃい」
「うん……行ってきます」
* * *
天命さんに歓喜団のお供えをし、そのままの足でふもとの家まで山を降りる。一緒のタイムリープする他のメンバーは、先にふもとの家に着いているはずだ。
梅雨明け前の山道は、じっとりとした空気がまとわりつきお世辞にも歩きやすいとは言えない。
ただ、今回は他の任務とは異なり陰陽師服ではなく私服での活動となる。なのでいつもの陰陽師服よりは、温度調整しやすいのは確かだ。
濃い黒めのジーンズに、リネンの白いブラウス、インナー代わりに黒いTシャツ、スニーカー。タイムリープの季節が秋であることを考慮して、薄手のアウターを持参。
といっても、いざという時に戦えないと困るため、ボディバッグには式神札や小型錫杖などの陰陽師武器を収納済み。アクセサリーっぽくみえるブレス念珠を腕に身につけ、魔除けの効果を高める。
結局、見るからに陰陽師のファッションをしている時の方が、武器や装備に関しては装着しやすいと実感。
「スグルどの! こちらは準備が終わったぞ」
目立つ巫女服は控えて、お嬢様テイストワンピース姿で任務に挑むスイレンと伽羅が手を振っている。モイラさんは常にビジネススーツなので、意外とどこでも浮かないだろう。
「今、アヤメさんと黎明君が時間軸のゲートを開ける作業を行っていますわ。事件があったとされる時間軸には、異界時間軸調査会のチカラをもってしてもアクセス出来なかったとか。今回のアヤメさんの儀式が頼みの綱です」
伽羅が、これまで調査が行き詰まっていた事情を改めて説明してくれる。分かってはいたが、特定の時間軸には立ち入れないように特別な封印が施されていたのだろう。
「こっちも、準備してきたよ。天命さんにもきちんと挨拶してきたし。過去の時間軸に行くことも伝えておいた」
「万が一、我々がこの時間軸に戻れなくても過去の時代にも何処かに存在しているはずの天命さんに報告しておけば、各時間軸に印のようなものは遺せるはずです」
しばらく立ち入り禁止状態だった、【家神所有のふもとの家の記念碑】の方へ4人で赴く。そろそろ、アヤメと黎明君のゲート開きの儀式が終了しているはずだ。ゲートがあるとされている部屋の前で待機していると、グッタリとした巫女服姿のアヤメが黎明君におんぶされて部屋から現れた。
「……! おい、アヤメッ。大丈夫か? やっぱり、強すぎる霊力の鍵なんて負担があったんじゃ……」
「ううん。霊力は平気だけど、気候が変だし……熱中症になっちゃったみたい。大丈夫だよ」
亡き母を助けたいという気持ちを貫くために、大切なアヤメを病気にしたのでは元も子もない。戦えないアヤメはゲートを開く儀式を行ったら、今の時代で待機するだけだから大丈夫……と軽く考え過ぎていたのだろう。
「初めて特別な儀式を行なって、身体的に疲れたんだと思います。アヤメちゃんは、僕が家神荘まで連れて帰りますから。スグルさんたちは、ゲートが開いているうちに過去の時間軸へと急いでください」
しっかりとした口調で、黎明君に急ぐように促されてふと我にかえる。そうだ、せっかくアヤメが身を粉にして開いてくれた時間のゲートを無駄にしてはいけない。
いつの日か、実の母であるまどかさんがオレをそうめんや精進料理でもてなしてくれた部屋が、封印されし間。きっともっと沢山の思い出が作られるはずだったこの部屋から、もう一度やり直さなくてはいけない。
「行こう、スグルどの……もしかすると、結果は何も変わらないかもしれぬが。それでも母上の、最後を悲惨なものにしないで済むかもしれぬ」
「ああ。行こう!」
襖の戸を開くとグニャグニャと歪む部屋の風景と大きな丸い穴が、【部屋の中間に出来た窓】のようにぽっかりと空いている。オレ、スイレン、伽羅、モイラの4人は躊躇なくゲートの穴へと飛び込んでいった。
家神一族の悲劇が起きたとされる15年前、秋祭りのあの日を目指して。
次回更新(第2章第25話【秋祭り編】)は、令和元年10月19日(土曜日)を予定しております。