第2章 第15話 青葉の季節を待つように
1度目の時渡りから、およそ2ヶ月ほどが経過した。両親だと信じていた人達は実は叔父さんと叔母さんで、ツグミ姉ちゃんとアヤメは実は姉と妹ではなく従姉妹で……。
と、時渡りの影響で生活しづらくなるかと思いきや、普通に家族として暮らしている。これが、時の女神が施した時間軸調整技術の成果なのだろう。
ツグミ姉ちゃんとアヤメの記憶はすでに改変されており、初めからいとこ同士の生活という設定になっているのだから。
* * *
「スグルお兄ちゃんおはよう! 今日は珍しくゆっくりめの起床だね」
「アヤメ、おはよう。ちょっと昨日調べものしてたから、寝坊しちゃって……」
「ふもとの家の資料集めだよね……あんまり無理しないで。今日のお昼はカレー当番の私と伽羅さんが作るから、楽しみにしててね! サバ缶とトマト缶で特製カレーライスだよっ」
「おうっ! 期待してるからな」
あまり陰陽師の仕事のことには触れようとしない辺り、気を遣っているのだろうか。パタパタと台所へと向かうアヤメは、以前より少しだけ大人びて感じる。
妹ではないことが判明したものの、これまで通りお兄ちゃんと呼ばれているし、実の妹みたいな存在だ。
よく考えてみれば、祖父の所有していた大きな別荘に住むのは孫であるオレ、ツグミ姉ちゃん、アヤメ。オレの許嫁候補であるスイレンと伽羅。使用人のミミちゃんをはじめとする異界の民が数人。そして、任務のために下宿中のモイラさん……と結構な大所帯だ。
宿泊施設として利用されていても不自然ではない家神荘での生活には、従姉妹同士だからといって、それほど影響しなかった。
夜更かしした所為か、まだ眠い瞼を擦りつつ取り敢えずは居間へ。家族団欒を過ごす場所として使われている居間の様子は、時渡り前と変化ない。
あの頃と比べて顕著な変化といえば気候である。ちょうど季節の移り変わりの時期だったこともあり、真冬の気温は何処へやら……。春特有の温かさが、我が家神荘の敷地にも漂い始めていた。
ぽかぽかとした春の陽気は、窓硝子越しであっても伝わってくる。
「はぁ……しかし、15年前の秋祭りの資料はほとんど出てこないなぁ。完全に歴史から排除されてる感じだ。やっぱり、当時のことを知る人に直接調査をするしかないのか」
ぼんやりとソファに横たわり天井を見上げると、シャンデリアがシャラシャラと揺れた気がした。もしくは、自分が疲労で眠気にやられているのか。
「スグルどのの叔父上達は、当時は富士五湖にいて式神修験町のお祭りには参加していないという話じゃ。でも、調査を依頼した本人なのだから、何か重要な秘密を知っているのかも知れないのう」
「うん……ただ、電話で軽々しく話せる内容じゃないし。直接会いたいけど海外に出張中だし……」
「時の女神モイラの能力が上手く働けば、帰国期間が変更されて叔父上と直接話せるチャンスも来ると思うのじゃが。相手は海外在住、チカラが到達するまで時間がかかるのかも知れん」
スイレンの時間がかかるという言い回しを素直に受け止めると、モイラさんの時間軸改変能力を使えば、叔父さん達と直接話す機会が与えられるということになる。
「えっそんなことまで出来るのか? 海外出張の契約期間は、まだ長いはずだけど。異界の女神様達の能力ってスゴイ……くしゅんっ。あれ……ごめん」
突然のくしゃみは『これ以上この話題をするな』という自然の警告なのか。はたまた、ただの季節特有の花粉症というヤツなのか。
花粉対策として、居間には空気清浄機がつけてあるはずだが。今年の花粉は元気が良いのか、何故が鼻のあたりがムズムズと。
「へっくしょん……はぁ、まさかの花粉症デビューか? 外出する時は、マスクをつけるように気をつけないと」
「スグルどの! 花粉症には甜茶という飲み物が効くらしいぞ。それから、乳酸菌も摂取すると予防になるとか。あとは代謝を上げる食品をまめにとって、健康維持を心がけるか。うむ、早速ネット通販でポチッと購入するかのう」
最近のスイレンは、ネットサーフィンに目覚めていて、さらに通販が趣味だ。田舎暮らしだし、便利な通販に頼りたい気持ちは分からなくもない。
「うぅ……ありがとうスイレン。せっかくの春休みなのに、のんびり出来ないなぁ。まぁ今日はアヤメがカレー当番で、サバとトマトのカレーを作ってくれるらしいから……それで代謝が上がるかも」
健康食として名高いサバ缶を、美味しく食べられるレシピの一つがカレーだ。
喫茶店での一件以来、本当に我が家ではカレーを食べる曜日が組み込まれた。おかげで、頻繁にいろいろなテイストのカレーを味わうことが出来る。
「そういえば、今週のカレー当番はアヤメどのと伽羅じゃったな。それにしてもスグルどのとアヤメどのは、本当の兄妹のように仲が良いのう。わらわなんか、最近は伽羅の奴と姉妹に間違われるというのに……」
「あはは……それだけ、シンクロが高いんだろう?」
「うぬぅ、どちらが年上に見られているのかだけ気になるのう。なんといっても同い年じゃからな」
しばらくすると、アヤメと伽羅がカートで食事を運んできた。
「お兄ちゃん達、お待たせ! サバ缶とトマト缶の特製カレー出来たよ。トマトでサバの臭みが中和されているから食べやすいよ」
「ちょっと味見しましたが、絶妙なバランスに仕上がりましたわ」
本来ならお手伝いさんが行う仕事だが、自分で作った料理は自分で運びたいらしい。エプロン姿で現れた2人は、まるで新妻のようである。
「おぉ! なかなか美味そうじゃん。ツグミ姉ちゃんやモイラさん達も呼んできて……」
「今、ミミちゃんが呼びに行ってくれてるよ。多分そろそろ……あっお姉ちゃん、モイラさん。今日のカレーはアヤメの自信作なの……この間のカレーとはまた違う具材で。伽羅さんにも手伝ってもらったんだけど」
「へぇ……もしかしてサバ缶を使ったカレー? 結構レアなメニューに挑戦してるわね。アヤメくらいの年頃で、カレーのレパートリーがいくつかあるなんてお姉ちゃん鼻が高いわよ」
いつもと変わらない雰囲気で囲む、手作りのお昼ご飯。特製サバカレーをメインに、グレープフルーツ入りのレタスサラダや、ラッシーというメニュー構成。
「うむ、サバは骨が硬いのがネックじゃったが。こうして煮込んで仕舞えば、食べやすくなるのう」
「トマト以外にも、血液サラサラになるキノコ類や玉ねぎをたっぷり煮込んでいますのよ。栄養もバッチリですわ」
「サバもこうして工夫すると、美味しくなるもんだな」
サバ独特の臭みはすっかり消えてしまって、トマトの酸味とシメジや玉ねぎの野菜が上手く合わさっている。
「アヤメさんは、料理初心者とは思えないほど手際よくこなしてますね。私も見習わなくては……」
「えへへ、モイラさんありがとう。みんなお仕事大変みたいだから、せめて手料理をって。お手伝いさんが作ってくれる料理も美味しいけど、私ってこの家族の中で1人だけ呪術が使えないから」
まさか、そんなことを気にしているとは……予想外のセリフに、思わず閉口してしまう。
実は死に戻りする以前は、アヤメも形だけとはいえ陰陽師デビューしていたのだが。タイムリープの影響で、そのことすら無かったことになっている。
どちらにせよ、アヤメが陰陽師としてのチカラを発揮している場面をほとんど見たことがないのは事実だ。
「スグルは家神一族と異界の女神様のハーフだって話だし、私たち姉妹より実力が上なのは仕方がないけど。でも、それでもわたし達姉妹だって代々の家神陰陽師の血筋を引いていることには変わりないのよ? もっと自信を持って」
「うん……ありがとうツグミお姉ちゃん。けどね、霊力が足りないなら無理に現場に出なくてもいいのかなって、思うようになったんだ。足手まといになりたくないし。あっごめんね……愚痴とかじゃないから全然。カレー美味しく食べてね」
ほとんど変わらない家族関係と述べたが、少しだけ訂正。
どうやら、アヤメの内に秘められていた霊力へのコンプレックスの扉を開けてしまったらしい。だが、足手まといになるなら現場に出ないという考えは、当たっているのだろう。
なんせ、現在の家神一族の中で最も霊力が高いとされているオレだって、今後は手も足も出ない敵を相手にする可能性があるのだから。
「そうだわ、アヤメ。そんなに霊力がないことがコンプレックスなら、我が一族の先輩に悩みを打ち明けたらいいんじゃないかしら? 実はね、お父様とお母様がゴールデンウィーク明けに帰国するらしいの。まだ、詳しいスケジュールは分からないんだけど」
事件解決の手がかりのためなら、叔父さん達の帰国期間を改変できるという時の女神の能力……先程の会話が頭によぎった。
無言でモイラさんをチラリとみると、何事もなかったような表情でサバカレーを堪能中。ポーカーフェースなのか、プロの調査員特有のスルースキルなのか。
展開を阻まないために、黙ってツグミ姉ちゃんとアヤメの会話を聞くことに。
「えっ? お父さんたちが……5月過ぎに……。予定では、しばらく海外から戻って来れないんじゃ……」
「それが、突然日本の本社に戻れることになったんですって。陰陽師家業を継がなかったお父様なら、アヤメの相談相手にもなってくれるわよ。それに、スグル達のふもとの家の調査も一気に進むでしょうし……ねっ」
すべてお見通しと言わんばかりのツグミ姉ちゃんのウィンクに、思わず胸がドキドキするのは姉ちゃんが美人だから……というだけではない。さすがは、洞察能力の達人スキルを継承する陰陽師といったところ。
青葉の季節を待つように、今は静かに過ごそう。
ゆっくりと……だが確実に、時のパズルは物事の全貌を見せてくれるようだ。
第2章後半(第16話以降)は、2019年5月18日(土曜日)から更新予定です。