第2章 第10話 記念碑のセーマンドーマン
クラクラと目眩にも似た睡魔に襲われて、気がつくとオレは15年前の家神邸の目の前にタイムワープしていた。まだ、正確には本当に今いる場所が15年前に該当しているか、分からないけれど。
ただ、この身をもって体感できることは、ジリジリと焼けるような日差しとじっとりとした真夏特有の気候だけである。気候の変化に対応するために、長袖シャツとジーンズという浮かないファッションで来たつもりだったが。想定よりも、暑い季節に辿り着いてしまったようだ。
「うぅ、あっついなぁ。九月に移動したつもりだったけど、この雰囲気じゃまだ夏休みだろうな。取り敢えず、長袖じゃキツイし……袖を折り曲げて……」
真冬の季節から真夏への移動という突然の体感温度の変化に、身体がびっくりしているのかドクドクと汗が止まらない。長袖シャツを捲り上げて、急ごしらえの半袖に。
「はぁ……こんなもんだろう。ええと、ここがふもとの家神邸の前だとして……何かの因果を作る術式が敷地のそばにあるはずだけど。まだ、この頃は代々の陰陽師の記念碑を観光客にも公開していたんだっけ? そこから、調べて……」
自分の一族が所有する敷地のはずだが、なんせ今いるところは15年前だ。本来は1歳児であるはずのオレ……成長した16歳の家神スグルを知る人なんていないわけだから、他所からの来訪者を装うのが無難だろう。
「そこの方……お客様かしら?」
キョロキョロと辺りを見回していると、背後から優しげな女性の声。ふと、振り返ると黒髪セミロングヘアの女性と小さな男の子の姿。
親子だろうか? 男の子は女性のチュニックの裾を掴んだ状態で立っており、ちょっぴりまだ立つことに不安定な雰囲気もある。いつでも乗れるようにベビーカーが傍にあり、おそらく歩けるようになったばかりの年齢であることが伺われた。
「あっはい、この地域の陰陽師の記念碑を見たくて……観光で来たんですが。この辺りは古くからの陰陽師地域ですよね」
疑われるのもよくないし、何気なく敷地内に入れるような話の流れを作る。
「まぁ! 若いのにツウなのね。陰陽師というと、京都の方がいろいろと所縁の場所があるでしょう? この辺りにも陰陽師の観光地があるんだけど……それほど知られていないのよ。記念碑は、我が家の敷地の一部なの……一応一般にも公開しているから、案内するわね」
「いいんですか? じゃあ案内をお願いします。あとこれ、拝観料の500円です」
「そういえば拝観料が一応あったのよね、ここ。すっかり忘れていたわ。ありがとう」
女性は拝観料を受け取り、手にしていたベビーカーを庭の安全そうな場所へと置いて、道案内が開始。
すんなりと、家神邸の敷地内へ入れることになってホッとする。だが、ふとした疑問がふつふつとわいてきた。
この女性……家神邸を我が家の敷地と呼んでいるが、オレはこの女性らしき人と会ったことがない。異界時間軸調査会の報告が確かなら、この敷地に15年前に住んでいた一族の誰かは既に亡くなっているとのこと。
つまり、この女性も近い将来何かが起きて亡くなってしまうということだろうか? 完全に構築された過去の時間軸は、未来からの来訪者が手助けしても大きな流れを変更することは出来ないという。
(まさか、もうすぐこの親子は何者かの手によってこの世から消える運命なのか。出来ることなら助けてあげたいけど、もうこの時間軸をどうすることも出来ないのか?)
見慣れない女性と小さな男の子の後ろ姿をぼんやりと追いながら、胸がズキズキと痛むのを感じる。
「シーズンになると、上の山の方にある別荘の蓮や睡蓮の花が見事でね。昔は観光に来た人たちに、そっちも観てもらっていたのだけれど。不便な場所だし、老齢の父が住んでいるだけだからお花の公開は辞めてしまったの」
「そうですか、お父さんがお一人で……。どちらかの家で一緒に住むとかはしないんですか? 例えば、別荘の方で暮らせばお花も公開できるし、お父さんとも暮らせるし……」
もしかしたら、この親子をふもとの家から引っ越す提案をすれば、何らかの形で助けることが出来るかもしれない。悲劇が起きたとされるのは、ふもとの家の方なのだから。
すると、女性は苦笑いして……。
「あら、やっぱりそう思うのね。将来の介護もあるし、父と暮らすのがいいとは思うのだけど。まだ、子どもが小さいでしょう? 外出しやすいようにふもとの方の家を選んじゃったの」
と、何気なく同居しない経緯を話す。
やっぱり、駄目か。
しかし、この女性はオレとはどのような関係に当たるのだろう? 山の上の別荘に住んでいたのはオレの祖父だから……オレの両親の兄弟のお嫁さんか、実の姉妹か?
我が一族では、亡くなった親族を弔うための儀式を年に一回ほど行っていたが、これまで関わった一族全員に向けて祈りを捧げるため具体的に誰なのか分からない。
それに、オレの両親が海外に転勤してからは儀式は一旦お休みとなっていた。
何とかして、この時間軸の流れを変えたいオレの気持ちをよそに、目的地である陰陽師の記念碑前に到着した。
実は、この辺りの敷地はオレが物心つく前に閉鎖されたため、記念碑を見るのは本当に初めてである。
記念碑は2メートルほどの高さで、シンプルな石の作り。台座に乗る形で、説明の看板やお賽銭箱も。
一見、何処の観光地にもありそうな記念碑だが、台座となる部分に守りの結界を施してあるようだ。
「ここが家神一族所縁の陰陽師の記念碑よ。本来は守り神様を祀る祠があったらしいんだけど、明治期に部外者に荒らされたそうで……。代わりに、守りとなるための記念碑を作ったのだとか」
「へぇ……この土地自体、歴史が長いんですね。あれ? この、記念碑の守りの印……セーマンドーマンだ。てっきり、この辺りの陰陽師は五芒星の守りを基準にしていると思ったんだけど、一緒に格子模様のお守りも使っていたとは」
ふと、呪印を確認すると有名陰陽師安倍晴明と蘆屋道満が得意としたとされるセーマンドーマンが刻まれていた。
ちなみに五芒星がセーマン、格子模様がドーマンと呼ばれている。五芒星までは想定できていたが、格子模様の守りは想定外だ。
「この土地を作るときからセーマンドーマンがあるらしいから、ずっと継承しているんだと思うわ」
「そういう流れなんですか……。この辺りの陰陽師は、みんな安倍晴明の派閥から移動して来た陰陽師だと聞いていたけど。他の術も使っていたとは……きちんと、この目で確認してみないと分からないものですね。そうだ、神様に挨拶しておこう……」
チャリンチャリーン! お賽銭箱に500円玉5枚を投げ入れる音が、辺りに響く。女性の連れている男の子がキョロキョロと辺りを見回し始めた。突然の耳に残る音に、驚いたのだろうか。
タイムスリップして来ている身だが、初めてきちんと会う守り神様には挨拶しないと良くないだろう。今の時代に合う通貨を持ってきているため、お賽銭で時代がチグハグになることはないはずだ。
「ふふっ。百聞は一見にしかずとはよく言ったものよね。陰陽師への理解を深めるお手伝いが出来て嬉しいわ。私は他所から家神一族に嫁いできた身だから。さて、せっかくのお客様だし、ご飯を用意しないと! 時間まで、自由に散策していて、あとで呼ぶから」
見学だけのつもりだったが、食事まで用意してくれるようだ。こういう形の食事の振る舞いは、お遍路巡りではあるらしい。
「えっご飯まで? なんかすみません……いろいろとお世話になってしまって」
「うふふ、なんだかあなたを見ていると、他人ではない気がして。うちの子が大きくなって会いにきてくれたようで……もしかしたら、あなたも陰陽師さんの末裔なのかしら? なんて、詮索したら悪いわね……じゃあ、また後で」
うちの子が大きくなって会いに来た……という発言に心臓がバクバクと大きく鳴る。オレの知っている母はこの人ではないはずなのに、懐かしいような切ないような、なんともいえない気持ち。
思わず額を伝う汗は、きっと15年前の真夏の暑さのせいだけじゃない。