第2章 第5話 今も変わらぬ天の声
異界より舞い降りし天女が家神荘に居ついてから、はや数日。すでにオレには、スイレンという許嫁がいるものの……行き違いで家神荘に辿り着いた天女伽羅の実家とも千年に及ぶ長い付き合い。
そして、はるか昔に婚約破棄して以来、次の千年後こそ両家の者が結ばれるという【約束】を交わしていたのだから無下にもできない。
もうすぐ年の瀬が迫っていることもあり、ひとまず許嫁候補の1人として伽羅も家神荘に下宿することになった。
「はぁ……ようやく話し合いが落ち着いて安心しましたわ。先祖から代々、継承してきた私の義務……。さすがに、中途半端な状態で帰るわけにはいきませんもの」
おそらく、伽羅にとっては家神家への婚約申し入れは、生まれた時からの重要な任務だったのだろう。ホッとした様子で、今のソファにストンと腰を下ろし温かいココアをゆっくりと飲み始めた。
サラサラとした黒髪を後ろで結いて、小さな唇で少しずつココアを飲む姿はとても上品で可愛いらしい。
「うぬぅ……スグルどのの嫁はわらわなのにっ! なぜ、婚約したての状態で、新たな嫁候補と同居しなくてはいけないのじゃ」
不機嫌なのは、先に婚約者として家神荘で暮らしているスイレン。いつも澄んでいる大きな瞳は、少しだけ影を落としている。
スイレンの言い分も、分からなくはない。巫女としてオレの陰陽師としての活動をサポートしながら、料理や家事などもコツコツこなしてくれていた。それに、異界の呪術である異界術を操る【異界術師】としてのエネルギー源もレンゲ族との契約があってこそ、若年最強とまで呼ばれる術を操れるわけだが。
切っても切れない力関係があることから、ほぼ間違いなくスイレンとの婚約は確定していた。なので、まさかもう1人婚約者が増える展開は想定外だったのだろう。
「仕方がありませんわ。千年前は、現世も異界と同様に一夫多妻制が通っていたのですもの。それに、私のご先祖様以外にも、婚約者は5人いたと伝えられています。これまでのレンゲ族による婚約者の座独占状態が、おかしかったのです」
「仕方ない? 家神一族は、七代おきにレンゲ族の女神から妻を娶るのが、ならわしなのじゃ。いきなり思い出したのように、のこのこ婚約者として現れおって!」
また、庭で呪力バトルでも始められたらたまったもんじゃない。どうにかして2人を宥めなくては。
「ちょ……スイレン、落ち着いて! 伽羅だって、一族の代表として話し合いに来ているわけだし。千年前から約束していたものを、たった数日で帰すわけにはいかないって。スイレンも、あの時は納得していただろう?」
「まぁ……あの時は……。あぁっやはり、無理矢理にでも帰せば良かった!」
一度は了承したものの、やはり納得がいかない様子のスイレン。伽羅とは、あまり仲良くないものの幼なじみということもあり、スイレン自身が気づいていないだけで情のようなものが移っているのかもしれない。
そんな不機嫌なスイレンのことを気にする様子も見せず、ふと思い出したように立ち上がる伽羅。
「んっどうしたんだ? 伽羅」
「ええ、せっかく家神荘に暮らすことになったんですもの。守り神様の眠る祠に挨拶しなくては……。実家から、上質の日本酒を持ってきておりますの。守り神様は日本酒お好きかしら?」
我が家の守り神……つまり祠に眠る天の声こと『家神天命』のことだろう。天命さん……通称『天の声』は、オレの直系ではないものの、初代家神で同族の祖に当たる。
「天の声……いや天命さんが日本酒どれくらい好きかは知らないけど、お清めになるし、喜ぶんじゃないか? うちの敷地は広いけど、場所は……案内しようか?」
「大丈夫ですわ、千年ぶりの両家のお近づきの儀式。婚約破棄のこと……千年前のご先祖様、ずっと気にしていましたの。一対一で守り神様……家神天命様にお話ししておきますので……」
まるで、オレと天の声がたまに潜在意識の世界で対話できるように、伽羅もご先祖様と対話したことがあるような言い回しだ。一応天女様だし、ご先祖様とのチャネリングくらい簡単なのかもしれないが。
自室から捧げものの日本酒を取り出して、いそいそと祠へ向かう伽羅。その後ろ姿は、まるで恋人とのデートを控えた乙女のようで、すでに中の人が伽羅本人ではなく千年前のご先祖様に切り替わっているような気さえした。
「……ん? そういえば、婚約破棄したご先祖様って、天の声本人のことなんじゃないか」
「伽羅に取り憑いているご先祖様と天命どのが、ついに千年ぶりの再会か……。どのような理由で婚約破棄したのかは知らぬが、修羅場の予感がするのう……。しかもあの様子、わらわが知っている伽羅よりもいささか乙女チックじゃった。中身はおそらく……どうする、スグルどの?」
家神荘の敷地内とはいえ、屋外はかなり寒い。すでに、コートを羽織り防寒対策をしているところを見ると、スイレンは伽羅を尾行する気のようだ。
「どうするって……一対一で話し合いたいって言っていただろう。大事な儀式みたいだし、尾行して様子を探るのは気がひけるよ」
「うむ……だがなスグルどの。わらわも伽羅との付き合いは長い方じゃ……あやつはご先祖様に取り憑かれると、記憶を失う傾向にあってなぁ。取り憑かれている方も取り憑く方も、感覚が鈍る。距離をあけて尾行すれば、大丈夫じゃろう」
つまり、こっそりと後を追って……ということらしい。仲が良いのか悪いのか。何故かやる気のスイレンに連れられて、オレも祠の方へ……やれやれ。
* * *
祭壇に御神酒を捧げると、懐かしい気配がした。小さな杯を片手にとる、彼の手が見えた気がする。
千年ぶりの逢瀬に心を震わせるのは、現世の伽羅ではない。平安時代の……遠い日の想いを胸に、ずっと子孫の心に留まり続ける天女の娘だ。
『やはり、あなたでしたか……伽羅さん。おっと、ご子孫のお名前も伽羅さんでしたっけ。なかなかややこしいものだ……』
「うふふ……今だけ少し、身内の肉体を拝借しておりますの。同じ伽羅という名を継承している可愛い血縁」
僅かな時間とはいえ、身体を借りていることに罪悪感が無いわけではないが。取り憑くことで、それなりに伽羅の役に立っているつもりだ。せめて、今日くらいは勝手を許してもらおう。
『はぁ……ずいぶんと変わっていない。いや、人であった頃はあなたに振り回されましたが。久しぶりですね』
「ええ、お久しぶりですわね、天命様。今では天の声と呼ばれているとか。あなたと婚約破棄してから、はや千年あまり……ようやくこうして、お会いすることが出来ました」
『……お会いする……と言っても、あなたのその身体は、血族の者の身体を借りたものですし。私に至っては、神としての肉体さえ消失し、今ではその名の通りただの天の声ですよ』
それもそうだ……お互いきちんとした実態すらない身。だが、今回の逢瀬は色恋の話ではないくらい天命なら分かっているはず。
「ただの声と言えども、意思を伝えることはできる……何かの役には立つはず。特に、五芒星の守りの陣が発動した意味……あなた様なら分かっているはずですわ」
『……! やはり、時が満ちたのか。あなたがわざわざここにいるということは』
「ええ、家神一族にかけられたあの時の破滅の呪い。私たち五芒星の陣を司る乙女5人との婚約。その意味は、家神を存続するためのもの。何の因果か、あのスグルという若者……いろんな因果を1人で引き受けることになりそう……。私も、ささやかながらチカラになりますわ。その分、見返りもありそうですし」
『伽羅……あなたは、一体何を考えて……?』
「この気配……好奇心旺盛なお嬢さんがいらしたみたい。天命様、またお会いしましょう……お酒、楽しんで下さいな」
すうっと、伽羅の意識が遠くに昇る。気がつくと、現代の天女の娘がキョロキョロと祠を見回していた。
(行ってしまった……私と違い、依り代となる祠や拠点を持たないのだろう。仕方がないか)
* * *
「あら……? 私、一体さっきまで何を。そうだわ、守り神様に御神酒を捧げて……これからよろしくお願いします!」
自分で捧げたはずの御神酒だが、徳利を用意した記憶がない。また、ご先祖様に取り憑かれたのだろうか……伽羅の悩みのタネのひとつである。
だが、自分の身体が自由に動けることでご先祖様のささやかな願いが叶うのならそれも良いのだろう。
カタン、コトン! 祠の外から何やら物音。家神一族の次期当主であり行き違いとはいえ許嫁であるはずのスグルさん。そして、正妻候補の1人で一応恋敵というポジションになる幼なじみスイレンの姿。
「えっとさ……なんていうか、伽羅のことが心配で……スイレンがさ……」
「な、何故わらわに話を降るのじゃ、スグルどの! ふ、ふんっ。お主のことなんぞ、全然心配でも何でもないが、何かあると迷惑なのでなっ!」
「はは、スイレンも素直じゃないなぁ……」
彼らには、まだ五芒星の守りの陣が必要となる真意を話せてはいない。杞憂に終われば良いのだけど。家神の血を絶やすわけにはいかない……たとえ、この身が果てようとも。
だけど、今はまだ世間知らずな天女でいよう……。この若年最強の異界術師と謳われながら、人の良いスグルさんと顔馴染みの女神と一緒に。
「スイレンさんに心配されるほど、落ちぶれていませんっ! さあ、これから大晦日にお正月と神様たちのお手伝い……私も貢献いたしますわ!」
「もうっ。せっかく人がほんのすこーしだけ心配してやったというのにっ」
「おっ頼もしいなぁ……じゃあ、今度伽羅も加えてギルドクエスト受けてみようか?」
祠を出ると、冬の日暮れは追いかけてくるように早く、家神一族所有の山一帯に夕闇が迫る。きっと、夜には星が美しく見えて……そして、いずれ宿命が始まるのだろう。
彼の下へ、千年の時を経て五つの星が集まるように。
次回更新は、2019年1月26日(土曜日)を予定しております。