第2章 第1話 満月のブラックフライデー
満月の晩は、人や獣の心が興奮し、また妖力も高まる日とされている。
先祖代々、およそ千年の時を経てもなお残る陰陽師一族である『家神家』にかけられた因果。
輪廻の果てを超えてもなお、絡みつく切れない糸は、若き当主であるオレ……家神スグルにも忍び寄っていた。
特に今宵は、陰陽師の活動再開日とされる神無月明け初めての満月……極めて警戒しなくてはならない。
今日は、1日じゅう気合を入れて警戒して過ごさなくてはいけないはず……そのはずだった、多分。
だが、由緒正しい陰陽師一族の末裔である我が家神一族は、どういうわけだがこの大事な満月の日にこぞって大型ショッピングモールに買い物へと繰り出していた。
新しい物好きなのは、他の家庭も同じなのか……モールの立体駐車場はすでに満車に近かった。まだ開店時間前なのに……。
「うわぁ、すごーい。もう人がすごく並んでるよっ。早く行こう、お兄ちゃん」
「えっああ……うん。オレは特に何も買わないけどさ……」
セールのチラシ片手にすでにやる気のオーラに満ちている妹アヤメを脅威に感じつつ、ツグミ姉ちゃんの愛車から降りる。
「もうっスグルッたら、あんたも学生服と陰陽師衣装以外のバリエーション増やさないと、スイレンちゃんとのデートの服に困るわよっ」
ツグミ姉ちゃんに婚約者であるスイレンのことを突っ込まれて思わず動揺する。
「デ、デートの服って……オレ、一応それなりに気を使って……。ツグミ姉ちゃんオレの服ってそんなにダサい……?」
ちなみに本日のオレのファッションは、カーキのアウターにラフな黒いシャツにダークカラーのジーンズだ。靴も何処にでもある黒、ボディバッグも黒とシンプルで特に目立つ格好ではない。
なにより、今のオレを見ても誰も陰陽師だとは思わないだろう。
「あはは、冗談よ! 普通よ、フ・ツ・ウ! あーあ、1時間以上運転してたからちょっと疲れちゃった。けど、スグルが18になったら運転役はスグルがやるんだろうし。あたしもちょっとは楽になるわよね。さあ買い物行こうっと」
どうやら、からかわれただけのようだ。しかも、この先数年はみんなでブラックフライデーセールを毎年攻める気らしい。
「ふふっ。スグルどのは、いつもかっこいいから大丈夫じゃ! 私が保証するぞ」
「えっスイレン……本当に?」
「うむ。ただ、まだ私も現世のファッションを勉強中……一緒に励んで行こうぞ。さて、今日は勉強を兼ねてブラックフライデーの会場を探索じゃっ」
「おっおう……それにしても、開店前からすでに列ができてる店もあるし……」
「現世のおなごは、いくさとは無縁と思っていたのじゃが、まさかこのような形で戦っているとは……つゆ知らず」
「みゃあ! ミミもスイレン様の戦利品を運ぶの手伝いますにゃっ。本日はブラックフライデーの合戦ですにゃ」
異界からやってきたスイレンやミミちゃんからすると、すでにバーゲン会場は合戦場扱いである。無理もないか……この人だかりだもんな。
ちなみに、いつもだったらスイレンのやや目立つラベンダーカラーの髪色は、霊力拠点から離れた地域に来ている影響でやや紫がかったダークブラウンである。ミミちゃんの猫耳と尻尾も今は潜めており、銀髪系のオシャレガールに見える。
「スイレンちゃんも、ミミちゃんも、拠点と離れている影響でこのモールでも浮かないだろうし。目一杯バーゲンを楽しんでいいわよ! さっ戦場はもう目の前よっ」
ツグミ姉ちゃんがパーマかけたてのこげ茶のふんわりセミロングヘアーをかきあげて、先陣を切る。
なんせ女性というのは『バーゲン』というものが大好きなのだ。しかも、本日のセールは通常のセールとはひと味違う。
海外から渡ってきた近頃流行の『ブラックフライデー・セール』である。運が良いのか悪いのか……今年はさらに祝日と重なっている。
地方の山奥暮らしにとっては、買い物できる大型店は限られており、人が密集することは分かりきっているのだが。
女子大生の姉ツグミ、女子中学生の妹アヤメ、さらに元飼い猫で猫耳御庭番メイドのミミちゃん、そしてオレの可愛い婚約者である女神様スイレン……と女性ばかりに囲まれて暮らしているオレの家庭内での立場はめっぽう弱い。
弱冠16歳にして、すでに女性陣にこき使われる運命が定められていた。
そう……バーゲンセールにおける男の役目、俗に言う荷物持ちというものである。
* * *
リンゴーン!
開店のベルが鳴り響く……まるで戦いの始まりを告げる銅鑼のように。
『本日は、当ショッピングモール大型店に御来店ありがとうございます。ブラックフライデー特別セールとして、お得な商品を多数取り揃えております……』
品の良い落ち着いた場内アナウンスとは裏腹に、足早に、いや危険であるはずなのに走る人も多い会場内。怪我すると危ないし、走るのはやめて欲しいものだ。
姉は買い物慣れしているのか、颯爽とタイトな黒のミニスカからスラリと伸びる美脚を晒しつつブーツを鳴らして、モールに入店。最初のお目当てである某輸入食品ショップを目指す。
妹も黒髪のポニーテールとひらひらのフリルワンピースをはためかせて、姉の後ろに続く。
フカヒレスープ、たっぷりタラバガニの缶詰セット、チーズフォンデュキット、プレミアムティラミス、もちもちブルーベリーベーグル、挽きたてコーヒー豆セットなどの高級メーカーセール品を速攻でゲットしていた。
だが、ブラックフライデーはまだ始まったばかり! 次の戦場が姉と妹を誘う。早速、特設会場のタイムセールのアナウンスやお得なスウィーツの案内が……。
「ちょっと、スグルッ! 二階の特設会場で洋服のタイムセールが始まるから、この荷物持っててくれるっ。あっ中身は高級食料品だから、冷蔵ロッカーに預けておいてくれてもいいわよ!」
「おにーちゃん、フードコートの和菓子屋さんで人気宇治抹茶チョコレートがタイムセールなんだって。この荷物預かってて……すぐ戻るから!」
あれよあれよと、買い物袋がオレの腕に増えてゆき……両手が塞がる状態に。
「スグルどの……その大丈夫? 荷物、私も持つの手伝うぞえ」
「いや……スイレン、大丈夫だから。ヘーキヘーキっおっと。姉ちゃんのいう通り、一旦ロッカーに預けちゃうよ」
「うむ。私も行こう! スグルどのが心配だからな」
何気にスイレンと2人っきりになるチャンスを得た。なんせ、婚約してまだ数ヶ月の1番イチャイチャしたい時期。別の敷地にある冷蔵対応ロッカーまでの往復時間を利用して、のんびりとデート気分を味わいたいものだ。
「ありがとうスイレン。じゃあ、ミミちゃんはここのベンチでアヤメが戻ってくるの待ってて。お昼の時間になったら、レストラン街で待ち合わせなっ」
「わかりましたにゃ! アヤメお嬢様のことはお任せ下さいにゃ」
妹の世話をミミちゃんに任せて、2人で談笑しながら移動。途中、クリスマス用のモミの木やリアルサイズトナカイの置物に気を取られながらも、無事ロッカースペースに到着。
いくつかのエリアにあるロッカースペースのうち、駐車場に比較的近い場所を選んだので帰りは楽だろう。
「ふう……結構な荷物だったな。まだ増えるのかもしれないけど。ところで、スイレンは何か買わないのか?」
「そうじゃな。いわゆる冬用のコートがもう1着あると着回しが増えて助かるのじゃが。あと、バッグや財布かのう? ずっと異界からの持ち物を使っているから、そろそろ新調しようと思ってな……」
異界の女神様だけあって、スイレンのファッション小物は異界仕立てのものが多い。柄といい生地といい、和装に似合うように作られている。
向こうの流行なのか、ときおりゴスロリテイストのものも売っているらしいが。
今現在のスイレンのファッションは、シンプルな紺色のワンピースに黒のアウター、グレーのストッキングに靴はこげ茶。手荷物がちょこんと入る程度のベージュのミニバッグ、財布はガマ口の折りタイプで和の小花柄だ。
異界のものは高級感があり仕立てが良いので気がつかなかったが、もしかしたら少し年季が入ってきているのかもしれない。
「そっか。よし、じゃあオレたちも買い物としようか」
「ありがとう、スグルどの。ふふふ、久しぶりに2人っきりでデートじゃなっ」
さっきのオレと似たようなことを考えるスイレンに、思わず顔が赤くなる。やっぱり恋人同士というのは、思考回路まで似てくるのだろうか?
狭い通路を抜けて、再びモールのショッピングコーナーへ足を踏み出そうとした瞬間、目の前に1人の少女の姿。
少女は目深に帽子を被っており、白いコートに黒のセットアップスカート、黒いタイツにブラウンのブーツ、大きなスーツケースと旅行ルックだ。
ただし、少女からはただならぬ圧迫感があった。
一応観光地だし、旅行者が遊びに来ていても不思議ではないが。背中に背負った長い棒状の何かがやたら目立つ。布で巻かれており、棒状の何かの正体はよく分からない。
相手は無言ではあるが、ここは狭い通路……どうやら道を開けて欲しいようだ。
「あっすみません……どうぞ」
「失礼っ」
フッとすれ違った瞬間、伽羅のような懐かしい香りがオレの鼻孔をかすめとった。そして、チクリと痛むような感覚が左手に走る。
「ス・グ・ル・どのっ! どうしたのじゃ……なにやらボーっとして。まさか、あのおなごに関心が……!」
「いやいや、勘違いだから……。イテッ……あれっなんだろう、いつの間にか手から血が……」
「えっ大丈夫、スグルどの? さっき荷物を入れる時に何処かで切ったかのう?」
「念のため、薬局行って消毒液と絆創膏を買うよ。大丈夫だから……」
応急処置でスイレンにハンカチで止血してもらい、なんとなく先ほどの少女がいたところを振り返る……が。
(あれっ……いない)
ロッカースペースの通路は狭くてひとつだけ。だから、相手の移動も気付くかと思ったが。なんせ今日は特別人が多いし、素早く荷物を預けてすぐに移動したのかもしれないけれど。
「考えすぎか……」
そうだ、今日は満月の夜……陰陽師の警戒日のはずだ。なのに浮かれていたから、ボンヤリして怪我なんかしたんだろう。
このときは、そんな風にしか思っていなかった。
『平安の世から千年間……ずっと待っておりましたわ。運命の人……必ずやあなたとの約束果たしてみせましょう。いつか、2人で心中するというあの約束を……ね』
何処からともなく聞こえてくる、不穏なメッセージ。
伽羅の香りが千年の時を超えて、オレの胸の中にすうっと溶け込んだ。