第23話 旅立ちの日に咲く、青い花
「おはよう、スグル。今朝、うちが手放した山の除霊をしてくれたんでしょう? ありがとう」
「えっ? ああ、うん……」
始業式のあと、同じクラスのルリから今日の除霊について問われる。
基本的に依頼は守秘義務があるため細かい事情は話せないし何気なく済ませた風に装わなくてはいけない。が、実際は精神的にも体力的にも……そしてタイムスケジュール的にも結構大変だった。
早朝の除霊依頼を無事にこなし、開発業者の人に報告したのち、一度車で帰宅。陰陽師の装備服から学生服に着替えるためシャワーを浴びて、身支度。再び、車で移動……なんとか始業式に間に合った。
陰陽師稼業は、家から継承しているものなので学校も公認だ。なので、最悪の場合は始業式に出られなくても仕方がないのだが……今回は休まないで済んで良かったと思う。
1巡目の世界では、スクールバスが落石事故に遭い、オレもルリも……大半のクラスメイトたちも始業式には出られなかったのだ。
今、こうして無事にルリと学校で会話ができていること自体、死に戻りによるタイムリープが上手くいった証拠だろう。
「あの山ね、なかなか開発が進まなくて困っていたんだって。それで、うちに何か思い当たることはないかって度々連絡が入ってたんだけど……。ほら、所有しているだけで、何十年も放っておいた山だったから……。分からなくて……」
「そっか、守秘義務があるからルリにも詳しいことは話せないけど、もう解決したから安心していいよ。ところで、今朝の通学は大丈夫だったか?」
「ああ、それがね……スグルが除霊してくれた後に、バスのルートが一部通行止になって迂回して来たんだ。あれってやっぱり、うちが持っていた山が原因かなぁ?」
「多分、除霊作業の後に工事現場の岩を片付けるって言っていたから、その関係だと思うよ」
「そっかぁ……。やっぱりね……。そのうち、落石事故でも起きたらどうしようって話していたんだ。何か起こる前に、対処出来て良かった!」
義務的に会話が続くものの、不自然なほどよそよそしい態度のルリ。オレの方をきちんと見て、会話しようとしない。
「あのさ、スグル……婚約したんだってね……。今朝、聞いたよ……正確にはうちの親が開発業者の人から聞いたんだけどね」
婚約について情報が回ってしまったことに、思わず胸がギクリとする。だけど、凛堂ルリ子の除霊は済んでいるし、大丈夫なはずだ。
「そういう形で聞いたんだ。ルリには、オレの口から直接話そうと思っていたんだけどな。まさか、噂話で先に知られるとは……」
「この辺りは、まだ田舎町だからね。他人の結婚とかに人一倍興味があるんだと思うから。すごく、綺麗な女の人で美男美女カップルだって……話していたらしいよ。本当に、結婚するの?」
どうやら、スイレンの話が少しずつ噂で回り始めているようだ。1巡目では、最初のうちは地元の人たちも友好的だったものの、事故やら何やらが起きた時に不吉だの何だの悪い噂を流された。なるべく、スイレンが変に注目されないように守ってあげたい。
「えっ? ああ、うん……。籍を入れるのは、法律的な関係でオレが18になってからになるけどさ。学校側が許可すれば、多分在学中に籍を入れると思う」
「そう……うちの学校って、家業を継ぐ人が多い地域だし、スグル以外にも勤労学生が何割かいるから……在学中の結婚も出来るのかもね。けど、家の関係で決めた相手との結婚って、抵抗ないのかなって思っていたんだけど……」
この質問は……1巡目の時にも似たニュアンスのことを訊かれたっけ。
「いや、オレの方から一目惚れしてプロポーズしたんだ。だから、抵抗なんてないよ。むしろ、嬉しいし……好きな人と結婚出来るんだから……」
「……なんだか、スグルに先を越されちゃったね。スグルって、小さい時は女の子みたいで可愛い感じだったから、私が面倒を見なきゃって思ってたけど……」
「女の子みたいな顔っていうのは、男としてはちょっと傷つくな。ルリはオレの事、そういう風に思っていたのか」
「えっ? いや、ちゃんとスグルが男の子なのは理解しているつもりだよっ。最近、カッコよくなってきていたし……ねっ」
いろいろ大変すぎて忘れていたが、オレの顔って女神レンに似ているんだっけ? だけど、【母親似の男】がたくさんいるように、【女性のご先祖様の容姿を隔世遺伝させてしまっている男】というケースもあるのだろう。
だからと言って、オレの性自認はバリバリの男である。これは、もう男としての肉体を授かってしまったからにはそうなるのがサガというものだ。
人並みにエロい事に興味があるし、女の子相手じゃないと、ドキドキしない。女神の因縁や才能を継承していようが、何だろうがオレはオレ……その辺は、ご理解いただきたい。
「なんていうかさ……ずっと、こういう感じで……一緒にいると思ってたから……。婚約者が出来て、スグルが遠くなっちゃった。私より先に大人になっちゃうだもん」
泣いているのか、笑っているのか……いまいち表情からは心が読み取れない。
「オレが婚約すると、何か変わる? これまでも、幼なじみとして付き合ってきたのに?」
「かっ変わるよ! 今まで、普通に接していたのが、やっぱり婚約者さんのことが気になるし、遠慮が出るもん。そんな日が、こんなに早く来るなんて思わなかった……」
「多分だけど、友達っていうのは、いずれお互いパートナーが出来て少しだけ距離ができるんだよ。家族を持つっていうのか? 例えば、家族サービスのために趣味の遊びを減らす人がいるように……。まぁ、大人じゃないからよく分からないけど……」
「家族……スグルにとって、その婚約者さんは、もう【家族】なんだね。本当に、その人だけが一生の相手でいいんだ……」
「うん……別にいろんな人と恋愛したいわけじゃないし。そのまま、結婚するのがベストなんだって思ってる」
このままいけば、オレはスイレン一筋で結婚し、一生の相手をスイレンだけと決めて過ごすだろう。例え、何かの形でスイレンと離れようと。
「やっぱり、そこまで覚悟を決めるのは前世から結ばれていたとか……そういう感じなの? だから、その婚約者じゃないと嫌なの?」
「前世って言われても……本当の意味では前世とか輪廻ってものを信じていないし。だって、まったく同じ人間に生まれ変わるとは限らないだろう?」
「まぁ……確かに。私も自分の前世がなんだったのか分からないし。小さい頃は、男の子みたいって言われていたから……。案外、前世は男だったのかもしれないし……」
オレの七代前のご先祖様は、いわゆる英雄色を好むみたいな雰囲気で、妾を作ったり何やら結構な女好きだったようだが。
今思うと、あのご先祖様がオレの魂の転生前の姿じゃなくてホッとする。
一族壊滅の危機に遭うほど、妾との仲をこじらせたわりには、お咎めなく睡蓮の女神に魂を移して転生してずるい気もするが……。
きっと、七代前の当主も女性の立場に転生することで、女性特有の嫌な気持ちや嫉妬心を体感するという咎を背負っているのだろう。
一蓮托生を誓わせた上に、浮気したら睡蓮に転生すると告げた女神レン。
その意味が、1度同じ花の上で魂を融合してから、改めて生まれ変わる事を指しているのだとすると……。
つまり、睡蓮として生まれ変わる呪いの半分は、七代前の当主に背負わせたいと願った罪の証なのだ。
しばしの沈黙……帰り支度を進める周囲の雑音だけが、教室内に響く。
「寂しくなっちゃうね……やっぱり、あの話……決めちゃおうかな?」
「あの話って……?」
「よその都市の学校への転校。スグルのご両親みたいに、海外へ出張ってわけじゃないけど。うちの親もここより、大きな都市に異動になるの。はじめは、おじいちゃんたちと暮らしてここに残ろうと思っていたんだけど……」
まさかのルリの転校話に、すでにこの世界線は1巡目と違うルートを歩みだしたことを実感する。
ルリの家は武術の師範を代々務める名家だ。道場のこともあるし、本来的には跡継ぎになるルリが残ることになっていたんだろう。
「ご両親と一緒に、よその都市へ?」
「うん、そうした方がいいかなって……。新学期の転校に間に合わなかったし、最初は断ろうと思ったんだけど。スグルには婚約者が出来て、私だけ置いてきぼりな感じで……。それだったら、違う土地に行って新しい自分を探したいって!」
切なそうに、だけど、どこか吹っ切れたように笑うルリは……オレがよく知っている明るく優しいルリそのものだった。
* * *
まるで、凛堂家が長いこと引き継いできた足かせから解放されたかのごとく、ルリの転校はスムーズに進んで行った。
9月の終わりに差し掛かったある日に、ルリは式神修験町を出る事になった。10月からは、大型地方都市の学校で新生活だという。
旅立ちの日の朝、駅のホームで昔馴染みのみんなで見送り。1巡目の時のことを考えて、結局スイレンとルリを1度も合わせる事はしなかった。
多分、それが誰も傷つかない選択肢なのだろう。
「ルリちゃん、元気でねっ」
「大型都市かぁ……いいなぁ。ここと違って学校帰りに買い物とか出来るし……スクールライフそのものが田舎町とは違いそう」
「ルリは頑張り屋だけどさ……新しい環境で、頑張りすぎちゃダメだよ!」
みんなルリがいなくなる寂しさと、環境が大幅に違う地域に転校することの羨ましさで複雑な心境そうだ。が、まだ時間が残っているにも関わらずオレ以外のメンバー達は解散しようとし始めた……何故?
「じゃあ、私たちはこの辺で……。ルリちゃん、家神君にちゃんといろいろ伝えるんだよっ!」
「後悔すんなよって」
どうやら、気を利かせて一番長い幼なじみのオレとルリを2人きりにしようとしているようだ。
そういえば、幼なじみのほとんどが、オレとルリが将来結婚するって思っていたっけ……。
「ルリ、その……元気で……また、いつか……」
「うん……また、ねっ。スグル……その、私ね……スグルに伝えたいことがあって……」
「伝えたいこと……って?」
「私、実は、実はっ……ずっと……。ううん、やっぱりいいや。ごめん、ごめん、スグル……うぅ、ひっく……少し、泣かせて……」
「ルリ……」
自分でも、ずるいと思った。ルリのオレに対する気持ちを気づいていながらはぐらかして、気がつかないフリをして……。
泣きじゃくるルリの白い頬を、伝う涙を拭ってやりたい衝動にかられながらもグッとこらえる。
ここで、ルリに触れてはいけない……お互い傷つくだけだから。
「ねぇ……スグル、リンドウの花言葉って知ってる?」
なけなしの、ルリの明るい笑顔に胸が貫かれそうだ。
「花言葉……一体、どういう?」
「リンドウの花言葉のひとつには、【正義】っていう花言葉があるんだって……。本当は【苦しんでいる時のあなたのことが好き】って花言葉もあるらしいけど。私は、いつも心に正義の花を咲かせたい! いつも堂々と……凛とした花でいたい! だから、スグル……幸せになってね……」
ルリからそっと差し出される手……友人らしく、握手でお別れをしようとするスタンスは、彼女なりの正義を通しているのだろう。
「ああ、ありがとうルリ……。ルリも幸せに……」
白く滑らかな……でも、武術の稽古で少しだけ傷痕のあるルリの手を……キュッと握り返す。
久しぶりに握ったボーイッシュな幼なじみの手は、どこか頼りない年頃の少女のか弱い手。
ルリの首に巻いている青いストールがふわりと風に揺れる……。乗車前に振り返り、最後に「 」と告げるルリは、まるで旅立ちの日に咲く、青い花のようだった。
最後に告げられた言葉は、オレとルリだけの……一生の秘密だ。