第七話 ドラゴンスレイヤー
顎を蹴られれば大抵の生物が怯む。
ましてや魔皇になった俺の全力の蹴りだ。いくら竜でも怯むはずと踏んでいたのだが、さすがは自称とはいえ魔神になったと言うだけはある。
ファフニールは顎を蹴られながら、左手で俺を地面に叩きつけた。
「っ!?」
「人間ごときが……我に歯向かうな!!」
なんとか空中で姿勢をかえて着地を取るが衝撃で地面が大きく陥没する。
まったく、理不尽な動きをしやがって。
「人間に対して理解が足りてないな。人間は何でも歯向かう。尽きない欲で何でも挑戦して、なんでも攻略する。自然だろうと神だろうと挑むのが人間だ」
「ふん! 大いなる自惚れだな! 大した力も持たぬ癖に!」
「その人間に何度も倒されてるお前が言っても説得力はないぞ?」
痛いところを突くと、ファフニールが激高して口に風を集め始めた。
大技を放つ気か。
たぶん、山頂の木々を吹き飛ばした攻撃だな。
風のブレスってところか。
ファフニールは俺に向かって風の球を吐き出した。集められた風の球は地面を削り、俺がいた場所を大きく抉る。
しかし、俺は一足先に跳躍して回避した。
「空に逃げるとは! 愚かなり!」
上空に逃れた俺を見て、ファフニールが叫ぶ。
再度、風のブレスの体勢を見せている。よほど俺の挑発が気にくわらなかったらしい。
短気な奴だ。
「どうかな? お前を倒すための秘策かもしれないぞ?」
「ほざけ!!」
ファフニールはたぶんに苛立ちをこめた声と共に風の球を吐き出した。
それに対して俺は左手を握り締めて、思いっきり向かってきた風の球を殴りつけた。
「なに!?」
「痛っ!!??」
左手が風によってズタズタに切り裂かれていく。
だが、俺の左ストレートとのぶつかりあいで風の球は消え去った。
そして俺は右手を握り締め、おもいっきりファフニールに降下した。
「喰らっとけ!!」
「ぐっ!!」
落下のスピードも加えた渾身の右ストレートがファフニールの顔を捉え、ファフニールの巨体が地面に叩きつけられる。
さすがに左手ほどじゃないが、右手の皮膚もズタズタになったが、気にしてはいられない。
たぶん地球にいた頃なら痛みで叫び、悶絶していただろうが、魔皇の特性なんだろう。今の俺は痛みに恐ろしく強い。大抵の怪我は気合で我慢できてしまう。
「這いつくばってるほうがお似合いだぞ。毒トカゲ」
「このっ! 我を愚弄するな!」
ファフニールが勢いよく立ち上がり、俺と再度と睨み合う。
こっちは両手を犠牲にしてようやく地面に這いつくばらせるだけか。やっぱり肉弾戦だけじゃ決定打には欠けるな。
俺の魔法の性質的に突発的な戦闘には弱い。それがよくわかる。
炎を出せたり、力が強くなったりするわけじゃないからな。でも、それでいい。
「貴様は生かしてはおかん! 我が食ってやろう! 光栄に思うがいい!」
「残念ながらその機会は一生やってこない」
多くの挑発と俺による攻撃。それによってファフニールは俺への警戒を最大限まで高めた。
決定打を持ち合わせていない俺への、だ。
そうなると俺にファフニールをどうこうする機会はなくなるのだが、元々俺はファフニールをどうこうする気はない。
俺の力は薬。その使い手が俺である必要はないというのが強力な長所だ。
「なにぃ?」
「お前の過ちは二つ。一つは俺に集中しすぎたこと。もう一つはお前を殺せる相手をすぐに殺さなかったことだ。忘れているなら教えてやる。竜殺し(ドラゴンスレイヤー)は俺じゃない、彼女だ」
瞬間、ファフニールは後ろを振り返る。
しかし、時すでに遅し。ファフニールの背中側に回っていたエレナが、最後の力を振り絞って渾身の突きの体勢に入っていた。
「ドラゴーネ!?」
「終わりよ」
エレナの持つ魔剣グラムがするりとファフニールの背中に突き刺さった。
ファフニールは痛みと屈辱に悶え、体を大きく捩る。その動きによってもう力を使い果たしていたエレナが吹き飛ばされる。
「よっと」
野球のスライディングキャッチのように滑り込みながら、俺は吹き飛ばされたエレナをキャッチする。
エレナの顔にはさきほどとは比べ物にならないほど疲労の色が出ている。もう一撃は加えられないだろうな。
「見事な突きだったよ」
「ありがとう……」
「鱗を貫けるならもうちょっとやりようがあったんじゃないか?」
「違うわ……心臓の裏側にある鱗だけが脆いの。毎回、グラムで刺されているから」
「なるほど。竜の急所ってことか」
「ぐぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
ファフニールの絶叫が山中に響く。
エレナはうるさそうに両耳を手で覆う。完全に戦闘モードのスイッチを切っているらしい。
「おのれ! おのれ! 許さぬぞ! 必ず貴様らの子孫を皆殺しにしてくれる! 我の心臓は二つある! 一つ潰されれば休眠せねばならぬが、またいつか復活してみせようぞ!」
「だそうだけど?」
「事実よ。竜殺しの一族と言われても、ドラゴーネは一度だって竜を殺しきったことはないの」
「そうかい。じゃあ君が一人目だな」
「ふっふっふ……人の話を聞かぬ小僧だ……」
地面に倒れたファフニールの体が山に取り込まれていく。
なるほど。一つの心臓を潰したあと、休眠中のファフニールを殺せない理由はこれか。この山はまさしくファフニールの家だったってことだな。
「お前こそ人の話を聞け。いつもと違うのはお前だけじゃないんだ」
「なに……?」
「魔神ホウガンはこの山の生物に毒の力を与えた。お前は自分に大きな力を与えられたと思っているようだが、毒の強さという点じゃほかの生物だって負けちゃいない」
「なにが言いたい……?」
俺が説明する前にファフニールの体に異変が起きた。
突如としてファフニールは血反吐を吐き、山との同化を取りやめたのだ。いや、やめざるをえなかった。
「なにが……!? 我の体に何をした……!?」
「今回のグラムには毒を塗っておいた。山にいる強力な毒生物、計十三種の毒血によってつくられた毒だ。竜だって殺せる類のものだろうさ。ましてや弱点の心臓に直接注ぎ込まれたら成す術はないだろうな」
「馬鹿なぁ……!? 魔物の毒血を使って、新たな毒を生み出すだと……!? そのようなことが人間ごときにできてたまるか……!?」
「事実できているだろ?」
ファフニールの体中から血が噴き出し始めた。もう終わりだな。
毒で領地を苦しめた竜が毒によって死ぬってのも哀れなもんだ。
結果的にホウガンが与えた力によって、ファフニールは完全に殺されることとなったわけだ。
「馬鹿な馬鹿な馬鹿な!! そのようなこと、ホウガン様でもなければ……!?」
そこでファフニールはある考えに至ったらしい。
そして信じられないと言わんばかりの声で、最後の言葉を残していく。
「まさか……小僧……貴様、ホウガン様を……」
「さぁ? どうだろうな」
最後の質問をはぐらかす。
するとファフニールは絶叫の後に絶命した。
残されたのはファフニールの死体と疲れ果てたエレナ。そして割と疲れた俺だった。
「なんとかなったか。効くかどうか賭けだったけど」
「……あなたは一体何者なの?」
俺の腕の中で動くのも億劫そうにしていたエレナが、真っすぐ俺の目を見てきて訊ねてきた。
その問いに俺は少し逡巡したあと、最初に挨拶したときと同じように答えた。
「俺はクロウ・クラマ。通りすがりの薬師さ」
「そう……じゃあ、あなたがそういうことにしておきたいと言うならそういうことにしておくね」
エレナは微笑み、ゆっくりと目を閉じた。
どうやら本当に体力の限界だったらしい。
しかし、寝られるのは困る。後始末と説明をすべて俺がする羽目になるじゃないか。
だが、安心しきった顔で眠るエレナを見ていると文句も引っ込んでいく。
彼女はずっと一人で頑張り、最後には見事竜を倒したのだ。
眠るくらいは許されてしかるべきか。
「仕方ないな」
呟きながら、とりあえずエレナを地面に寝かせて、俺は突き刺さったグラムの回収から始めたのだった。