第六話 毒竜ファフニール
体中の皮膚が爛れていくのがよくわかる。
火傷というより腐敗。そんな印象だ。
だが、常人な発狂しそうな状態にも関わらず俺の意識は鮮明だった。
痛いことは痛い。しかし、気合をいれて頑張ればなんとかなりそう。そんな感じだ。
つくづくデタラメな体になったと実感する。
結界が俺の体を焼くこと十分。完全にごり押しで俺は結界を突破することに成功した。
「はぁはぁ……」
突破したもののさすがにキツイ。
痛みが体力を奪い、思わず俺は近くにあった木に寄りかかった。
体の傷は急速に癒え始めているが、
「結界の内部は普通の山か……」
完全に外界と隔離されているため、人外魔境を覚悟していたが、そうでもないらしい。
この分ならすぐに山頂にたどり着けるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いたのが悪かったのか、俺の後ろで微かな物音がした。
なにかが這う音だ。咄嗟に前にだいぶすると、木の陰から巨大な蛇が飛び出てきた。
「シャー!!」
「まじか!?」
三メートル近い蛇は好戦的な様子で俺になにかの液体を吐きかけてきた。
咄嗟にそれを避けると、俺の後ろにあった木がドロドロに溶けていった。
なるほど。竜がエレナを引き込んだのはこいつらの存在があればこそか。
「これも毒か……」
毒竜の本拠地には毒をもった魔物がうじゃうじゃいるってことだ。
厄介な場所だ。
「キシャ―!!」
毒を躱され怒った蛇が今度は牙で俺を串刺しにしようとしてくる。
それを躱して、俺は無防備な蛇の胴体を剣で真っ二つにした。
なんとなく嫌な予感がして、飛び散った血から距離を取る。すると、その血が周りの植物を溶かしていく。
「血まで毒性か。この環境がそうしているのか、それとも別の要因か」
とにかくこの場にいる生物はみんな毒をもっていると見るべきだろうな。
さて、どうするべきか。こいつらに邪魔されながらだと時間がかかる。
「いや、こいつらはこいつらで使い道があるか?」
俺は持ってきたバッグからビンを取り出して、血を採取する。
頭の中ではその血の利用法が明確になっていた。咄嗟の思いつきではあるが、もしかしたらこれが竜を倒す武器になるかもしれない。
そんなことを思っていると、今度はコウモリが襲い掛かってきた。
三匹いるコウモリは三方向から襲い掛かってくるが、それをすべて剣で斬り落としていく。
「このペースなら材料には困らなそうだな」
コウモリの死体から血を採取し、俺は剣についた血を軽く振って払う。この感じでこいつらを斬っていったらたぶんだけど剣のほうが先に駄目になるだろうな。
けど、どうせ竜には通じないだろうし、あとでパウロさんには謝るということで使わせてもらおう。
「竜の鱗は鋼のように硬いってのが定番だしな」
そもそもそこらへんの武器で倒せる竜なら、こんなに苦労はしない。
太守家が保有する魔剣のみが有効打であり、それすら決定打にはならない。討伐しても数百年周期で蘇るということは殺しきれていないということだ。
しかも今回はどういうわけか大幅なパワーアップをしている。
たとえエレナの刃が届いたとしても、それは数百年後に問題を持ちこすだけだ。まぁここまで領地が追い詰められている以上、それ以上を求めるのは欲をかきすぎかもしれないけれど、トドメをさせるならさしておきたい。
「さて、今度は大群だな」
俺の目の前にぞろぞろと蜘蛛の大群が現れた。
おそらくどいつもこいつも強力な毒をもった毒蜘蛛。見た目的にはタランチュラをデカくしてより禍々しくした感じか。魔物とはよくいったものだ。
感心しながら、俺はその蜘蛛の魔物たちを迎え撃った。
■■■
十三種。
山に入って一時間ほどで俺が血を採取した魔物の種類だ。
そいつらの邪魔を受けつつも、俺は山頂近くまでたどり着いていた。
だが、あと少しで山頂というところで俺は腰を下ろしていた。
理由は二つある。一つは採取した十三種の毒血を配合して新たな毒を作るため。
もう一つは山頂から馬鹿みたいな爆音が響いているからだ。
「どう見ても怪獣なんだよなぁ」
山頂で暴れているのはもちろん竜だ。ちらつく姿からさっするに大きさは優に二十メートルは超えている。
戦っているのはまず間違いなくエレナ。さすがは竜殺しの一族。マリルが大陸屈指の剣士といっただけはある。怪獣を相手に数時間持ちこたえるとかまさしく英雄だ。
「けど、いくら強くても人間だからな」
慎重に俺は血を配合しながらつぶやく。
パウロたちがいた小屋には治療のあとがあった。あの状態のパウロでは難しいはずだから、彼らの世話をしていたのはおそらくエレナだ。
食べ物だってほとんどなかっただろうし、彼らのために寝ずの番だってしていただろう。
おそらく体調は最悪のはずだ。その上、この山の魔物を倒したうえで竜との数時間にもおよぶ激闘。
いつ崩れてもおかしくないはずだ。
だからといって急ぐわけにはいかない。俺が今作っているのは新種の毒なのだから。
「竜に効くかどうかは……使ってみてからのお楽しみだけど……やってみる価値はあるかな」
そーっと毒血と毒血を合わせていく。さきほどからビンの中からどす黒い紫の煙が立ち上っており、それがすごい鼻を刺激する。たぶん普通の人間が嗅いだら卒倒ものなんじゃないだろうか。
「あとはこれを合わせるだけか」
最後の血を合わせるとビンの中にあった血が赤から紫に変化した。それを持ってきていた棒でかき回してみるが、毒性が強すぎて入れた棒が溶けたアイスのようになってしまっている。
これは早めに使わないとビンも持たないかもしれない。
「さて、行くとしますか」
道具をすばやくバッグにいれると、俺は立ち上がった。
それと同時に山頂からとんでもない爆音が響いた。そして少し遅れて強烈な突風。足に力をいれて踏ん張り、なんとかその場にとどまる。
突風がやんで上を見れば、山頂にあった木々が軒並み倒れていた。
ひらけた視界の先には真っ黒な鱗を持つ竜が少女を見下ろしていた。
竜の赤い目が見下ろすのは、銀の髪と銀の剣を持つ神秘的な少女だった。マリルが見惚れてしまうといった意味がよくわかる。
たしかに美しい。ただ、その顔には見るからに疲労の色があった。
「ふむ、これも耐えるか。さすがは我が宿敵の家系。だが、もはや力が残っておるまい。安心するがいい。すぐには殺さん。このままその忌々しい剣を奪い、呪毒で魔力を奪ってやろう」
「ファフニール……いったいどこでその力を手に入れたの……?」
「教えてやる義理はないが、まぁいい。どうせもはや反撃する力もあるまい。我が蘇ってから少しして、我らが魔物の神がこの山に現れた。そしてこの山に住む魔物すべてに毒の力を授けてくださったのだ。とくに我にはひときわ大きな力を授けてくださった」
「魔神があなたに……?」
「そのとおり。それからは察したのとおり、我は呪毒を放ち、お前たちの領民から魔力を奪った。寝ている間に失った魔力はおかげで回復したぞ。そして弱ったお前との戦闘に持ち込んだわけだ。残念だったな。すでに我は魔神の領域に足を踏み入れている。お前では倒せぬよ」
エレナは毒竜ファフニールの言葉に押し黙る。
だが、その目は死んでいない。まだ逆転の一手を探しているんだろう。
いやぁ、でもやっぱりホウガンが関わっていたか。たぶんここでファフニールを暴れさせて、自分から目を逸らさせようとしたんだろうな。
積極的にかかわってよかった。
ホウガン絡みならばこれは俺のやり残した仕事でもあるからな。
「さて、ではその忌々しい剣を奪わせてもらおうか」
そう言ってファフニールが右手を高くあげる。エレナを叩いて剣を手放させる気なんだろう。
それに気づいたとき、俺の体は勝手に動いていた。
一瞬でエレナの傍まで行くと、エレナを担いでファフニールから距離を取っていた。
「侵入した者がいることは気づいていたが……まだ我に歯向かう者がいたか」
「あなたは……?」
「通りすがりの薬師だ。名前はクロウ・クラマ。君の小さな騎士に頼まれてやってきた」
「小さな騎士……? まさかマリルが来ているの?」
驚きでエレナは透き通ったエメラルドグリーンの瞳を見開く。
ファフニールに追い詰められたときでも表情を変えなかったのに、マリルが来ていることには驚くらしい。
変わった子だ。
「ふん、だれが来ようともはや変わらぬ。我はすでに魔神と化したのだ!」
「いやいや、それは自惚れだな。お前はまだ魔神ほどじゃない」
魔皇になったからということを差し引いても、ファフニールにはホウガンほどの威圧感はない。
手負いであろうとホウガンには絶対に勝てないと思わせる圧があった。しかし、ファフニールにはそれがない。
それはつまり、まだファフニールが魔神ではないということだ。
「小賢しい口を聞く。ならばとくと我の力を思い知るがいい!!」
「ここにいて。なんとか動きを止めるから、トドメは君が。あと、これを剣に塗っておいて。魔剣なら溶ける心配はないと思う。あ、くれぐれも触らないように」
「……わかった」
いろいろと聞きたいことがあるだろうに、エレナはそれをすべて飲み込んで毒ビンを受け取って、静かに頷いた。
その反応に満足しつつ、俺は持ってきた剣を捨てて無手でファフニールに歩み寄る。
「武器を捨てるか?」
「いや、俺の体のほうが強いのさ」
言った瞬間、俺は跳躍してファフニールの顎を蹴り上げたのだった。