第五話 ドラゴ山突入
ドラゴ山に向かう道中は平和そのものだった。
最短距離を通っていく最中に村はなく、山に近づけば近づくほど人気もなくなるため山賊なんかに襲われることもなかった。
「マリル。太守の孫娘、エレナさんってどんな人なんだい?」
「エレナ様でありますか?」
俺の前に乗って、器用に馬を操るマリルに俺は暇つぶしがてらエレナの人物像を聞いてみた。
村で聞いた限り領民からは慕われているようだったけど、それだけじゃ詳しいことはわからない。
「綺麗でとても優しい方であります。少なくとも私が知っている女性の中では一番綺麗であります。クロウ殿も見たら見惚れること間違いないであります」
「あ、うん、外見の話は別にいいかな……」
「綺麗な女性は嫌いでありますか? 変わっているでありますね」
「いや、そうじゃなくて性格的なことを聞きたいんだよ。それに美的感覚は人それぞれだしね」
可愛いや綺麗というのはわりと育った環境に左右されると思っている。
日本人の男性は自然と日本人の女性を好む。それは見慣れたことへの安心があるからだ。だから、ヨーロッパ風の外見をしているこの世界の人たちと俺とでは少し美的感覚に差がある。
マリルが言う以上、綺麗な人なんだろうが、マリルが言うほど俺が影響を受けるとは思えない。
「そうでありますか。性格は良く言えばクール、悪く言えばドライであります」
「クール? ドライ? 無口な人なの?」
「いえ、無口ではないであります。ただあんまり表情は変わらないでありますね。基本的に表情が動かないので考えが読みづらいであります。昔、エレナ様が大切にしていた服を汚してしまったときもいつも通りだったので、とても怖かったであります」
「クールで無表情だけど無口じゃなくて優しいの?」
どうもワードが繋がらない。
それはマリルも承知しているのか苦笑している。
「まぁ困惑するのはわかるであります。けど、それが正しい人物評なのであります。他者を率先して助ける優しい方ではありますが、あまり行動や表情に感情が出ないであります。怒ってるところも見たことがないでありますね」
「へー、じゃあ笑うこともないの?」
「笑うことはあるであります。まぁ微笑みがほとんどで満面の笑みというのはほとんどないでありますが」
「なるほど」
会ってみないとわからないということはわかった。どうにも人物像が掴めない。
そんな判断を下していると、少し先に霧に覆われた山が見えてきた。
一目でそこが目的のドラゴ山であるということがわかったし、同時に人がいないことも察しがついた。
「マリル。バッグに入っている薬を飲むんだ」
「え? ですが毒は食べ物からしか」
「いいから飲むんだ」
「は、はいであります!」
有無を言わせぬ言葉にマリルは急いでエルミール呪消し薬を飲んだ。
エルミール呪消し薬は基本的に呪いへの耐性を高める。呪いにかかっていない状態でも、飲めば呪いに対抗する手段となるのだ。
『呪霧。周囲に呪毒の霧を広げ、入ったものを毒に侵す。範囲が限られるが、黒呪病よりも強力なため霧を吸い込んだだけで呪いにかかる。魔力を奪うことはしないが、死に至る呪毒である』
厄介なものを広げている。
俺は魔皇になったことで特別頑丈な体と耐性を手に入れているため、この程度の毒は効かないがマリルのような子供は薬を飲んでいなければすぐに感染してしまうだろう。
しかも見たところ、山を守る手段はこれだけじゃなさそうだ。
遠目からだが、山の周りを霧以外の何かが覆っているように見える。
「用心深いことだな」
「どうしたでありますか?」
「周囲に強い毒の霧が充満してる。普通の人が吸えば、すぐに毒状態に陥るだろうね」
黒呪病とは違い、これは入った者を容赦なく弱らせ、撃退する類のものだ。
こんな霧の中にいたんじゃ、強力な剣士でもまずいかもしれない。
「で、でもエレナ様の魔剣グラムは使用者を保護する最高級の魔剣であります! エレナ様なら大丈夫なはずであります!」
「あまり聞きたくなかった情報だ。そうなると山に入った可能性がある。これだけ手を尽くす相手だ。山に入れたとするならそれは間違いなく罠だ」
できれば近くで立ち往生しててほしい。
そうであるなら一度都市に戻って、エルミール呪消し薬を広めていけばいいだけだ。
かすかな焦燥を抱えつつ、馬を進ませると山の麓に大きめの小屋があった。そこには馬が繋がれていた。
「マリル。君は馬に乗っていろ」
「は、はいであります……」
マリルに指示を出し、俺はゆっくりと小屋に近づく。
そしてそっと小屋の扉を開いた。
すると、中で誰かが立ち上がる音がした。
「野盗か……たとえ弱っていようと貴様らなんぞに我が同輩たちはやらせんはせんぞ……!」
その男は二十代半ばくらいの男だった。騎士の鎧を身に着けているが、剣を杖にしてなんとか立ち上がっている状態だった。
そしてその奥には寝込んでいる騎士が四人。一目で危険な状態だとわかった。
「その声はパウロ殿でありますね!?」
「……なに?」
後ろにいたマリルが声をあげて小屋に入ってきた。
そんなマリルの姿を見て、パウロは目を見開く。
「マリル!? なぜ、お前が……ここにいる!?」
「エレナ様を探しに来たであります!」
「すぐに、引き返せ……! ここには……毒が満ちている!」
「大丈夫であります! クロウ殿の薬があるであります!」
そう言ってマリルはバッグから薬を取り出し、俺の方を見てきた。すぐに頷き、俺もバッグから薬を取り出して寝ている騎士たちに飲ませ始めた。
「これは……?」
「エルミール呪消し薬。呪い関連に効く薬です」
「やはり、エレナ様の見立てどおり……これは呪いなのか……?」
「呪毒の一種です。ただここに充満している毒の霧は領内に広まった呪病よりも強力ですから、薬を飲んですぐ回復というわけにはいきません」
「詳しいのだな……?」
「これでも薬師ですから。ところであなた方の主はどちらに? ここは危険ですから一度、霧の範囲外に撤退しましょう」
俺の言葉にパウロは悲痛な表情を浮かべた。
その表情を見て、俺は嫌な予感が当たったことを痛感した。
「……山に入ったんですね?」
「山を……覆う結界に脆い部分が見つかって……」
「エレナ様が山に入れたなら終わりでありますね!」
「いや……それは彼女を誘い出す罠だ。毒では彼女を殺せないと見て、自分の本拠地に誘いだしたんだろう。そのことを彼女は?」
「罠でも行くしかないと……」
太守の一族であるエレナには領地を守る義務がある。
誘いだとしても乗らざるをえなかったんだろう。それに竜に会うことさえできれば仕留める自信が彼女にはあるんだろうし。
ただ、これまで何度も太守の一族にしてやられている竜だ。実力を見誤ることはしないはずだ。
向こうも勝てると踏んで誘い出したはず。
「エレナ様を助けにいかないとであります!」
「彼女が山に入ったのはいつ頃です?」
「二時間ほど……前だと思う……」
時間の感覚が曖昧なんだろう。
パウロが自信なさげに告げる。
二時間。普通の人間ならまず生きてはいないだろうが、竜殺しの一族だ。そのくらいなら持ちこたえているかもしれない。
しかし、すでに手遅れの可能性もある。
「クロウ殿! なにか策はないでありますか!? 結界を破壊する薬とか!」
「作れなくはないけど、材料が足りない。そもそも戦いにきたわけでもないから、持ってきた材料で作れるのは呪消し薬だけだよ」
「そんな……」
マリルの顔に絶望が映る。
その絶望の表情には覚えがある。見たわけではない。自分が最後の瞬間に浮かべていただろう表情だ。
その表情を見て、俺はドラゴ山の方を見た。
『呪炎結界。立ち入った者を呪いで焼き殺す結界。通常の炎ではないため、炎に対しての備えは無意味となる』
山を包む結界は強力だ。
向こうが解かないかぎり入ることは非常に〝難しい〟。
ただ、難しいだけではある。不可能ではない。
俺に覚悟があれば。
「……剣を貸していただけますか?」
「どうするつもりだ……?」
「結界の綻びを探してきます。上手くいけば中に入れるかもしれません」
「なら私も行くであります!」
「いや、君はお留守番だ。彼らを頼むよ」
「ですが!」
「俺の指示には従うって約束したね?」
俺の言葉にマリルは押し黙る。
そして静かに頷いた。それを見て、俺は大きく息を吐いてパウロから剣を受け取った。
「エレナ様を頼む……」
「約束はしかねます」
そもそも結界を突破できるかも怪しいんだ。救うなんて口が裂けてもいえない。
それに生きて帰れるかもわからない。
薬を作る時間がない以上、俺の残された武器はただ一つ。
この魔皇としての丈夫な体だ。
走って小屋を離れ、十分距離を取ったところで俺は山に向き直った。
そこには赤黒い結界が張られている。
そう、俺が今から取る方法は非常に脳筋的な方法だ。だれもが愚かと評する行動だろう。
だが、それでもマリルのあんな表情を見たら、このまま見捨てるということはできない。いや、見捨ててはいけないと思った。
「はぁ……持ってくれよ。俺の体」
そう自分の体に言い聞かせながら、俺は思いっきり結界の中に飛び込んだ。