第三話 エルミール呪消し薬
「はじまりは一か月前のことであります」
山賊を縛って閉じ込めたあと、俺はマリルの家で話を聞いていた。
なぜ幼いマリルが俺に説明しているかというと、俺自身がそう望んだからだ。正直、今、この世界で信頼できると言えるのはマリルしかいない。だからマリルの口から状況を聞きたかった。
「突然、ドラゴーネ一帯の食物が毒に侵され始めたのであります」
「毒?」
「はい。食べた者の体には黒い斑点が浮かび上がり、高熱で動けなくなるであります。そしてどんどん弱っていき、やがては……」
「……原因はわかっているのかい?」
「おそらく……ドラゴーネはかつて竜を殺した英雄によって作られた領地で、太守家はその竜殺しの血と武器を継承しているであります。ただその殺された竜というのはしぶとく、二百年周期で復活するのであります。代々、太守家がそれをし討伐してきたのでありますが、今年はその年なのであります」
「つまり毒は復活した竜の仕業だと?」
俺の言葉にマリルが頷く。
毒と聞いてホウガンの仕業かと思っていたけれど、どうやら違うらしい。
あいつが原因であれば、これから騒動は収まっていくはずだ。あいつはもう死んだわけだし。いや、毒自体を大地に流されていたらそうもいかないか。これは厄介だな。
とりあえず今は原因は竜ということで動いていくか。
「毒は保管してあって食べ物にも浸透していて、領内はすぐに食料不足に陥ったであります。そんな中で領民の希望は大国に留学中だった太守の孫娘、エレナ・ドラゴーネ様だったのであります」
「太守の孫娘……つまり今代の竜殺しってことかい?」
「その通りであります。大国の騎士学校に留学していたエレナ様は大陸に名が轟く剣士。そんなエレナ様はすぐに領内に戻ってくると、人脈を生かして各地から食料を集めてくださったのであります」
「それが配給ってことか。けど、それが止まっているんだろ?」
マリルは沈んだ表情のまま俯く。
その顔を見るに配給が止まった理由も知っているようだ。
「五日前。エレナ様と騎士は諸悪の根源である竜を倒しにいったであります。ただ、食料の配給は諸外国に人脈があるエレナ様ありきで成立していたので、エレナ様がいないと上手く回らないのであります……それに領内の中心にある都市〝メディオ〟にすらもう満足に動ける人も少なくなっていると、最後の配給に来た方が言っていたであります」
「最後に配給が来たのは?」
「四日前であります」
うーん、その中心都市メディオから竜のいる場所までどれくらいかかるのだろうか。
それによって状況は大きく変わってくる。
あまり離れていないならば、太守の孫娘は敗れたか、どこかで毒にやられたかということになる。離れているならまだ移動中ということも考えられるが。
「本来ならばもう竜が住む山にたどり着いているはずであります。それなのに危機が去らないということは……エレナ様はもう……」
「結論を急ぐべきじゃない」
「ですが、もうエレナ様以外に頼れるものはないのであります! もう私の母上には時間が……」
そうか。マリルの母親も毒に侵されているのか。
そうだよな。いくらしっかりしているとはいえ、一人で生きてきたわけじゃない。
マリルにだって家族がいるはずだ。それなのにこの家に親はいない。
「君のお母さんは今どこに?」
「村の集会所であります……そこでほかの人と一緒に……」
「よし、じゃあそこに案内してくれるかい?」
「え……?」
「これでも薬師でね。なにかできることがあるかもしれない」
「本当でありますか!?」
沈んでいたマリルの顔に輝きが戻ってきた。
その輝きにプレッシャーを感じつつ、俺はできるだけ笑顔を心掛ける。
ノーデンスの言っていたことが本当なら俺に治せない毒はないはずだ。
とはいえ不安はある。薬を作る材料があるかどうか。そもそも見ただけで作り方がわかるのかどうか。それでも俺にはなぜだかできるという自信があった。
それが魔皇になって魔法を手に入れたことからくる本能的な自信なのか、根拠のない自信なのか。判断はつかなかったが俺はその自信に押されて、マリルの案内で村の集会所へ向かった。
■■■
集会所にいくとそこには二十人ほどの人々が寝かされていた。
そのうち、一番入り口の近くにいた女性の下にマリルは駆け寄る。
「母上……」
「マリル……お見舞いにきてくれたの?」
「はいであります。今日は薬師殿を連れてきたのであります」
そう言ってマリルは俺を見た。
俺は会釈するとマリルの母親も視線だけで礼をした。
「クロウ・クラマと言います。昨日、倒れていたところをマリルに助けていただきました」
「まぁ……良い子ね、マリル」
「騎士を志す者として当然であります」
胸を張るマリルに母親は笑みを見せる。しかし、その笑みは弱弱しい。
見れば顔以外の至るところに黒い斑点が浮かんでいる。そしてその斑点を見た瞬間。
俺の頭の中に声が流れた。
『黒呪病。呪いのこもった小さな毒胞子から発生する病。直接人間に効くわけではないが、食物に付着して人間の体内に入る。感染した人間は現れた斑点によって胞子の親に魔力を奪われ続ける。それが元で高熱を発症する。この病単体で死に至ることはないが、自然治癒もない呪病』
なんだ、この声。
機械的なアナウンスのようなその声は、続いてそれに対する特効薬を説明し始めた。
『エルミール呪消し薬。エルミール草、ベギアール石、ランギルの実を茹で、緑色になったら完成。呪いを受けた食べ物もエルミール草と共に茹でれば胞子を消滅させることができるので、食べることができる』
何一つ聞いたことのない材料だが、なぜだか鮮明にその材料の姿が頭の中に浮かんだ。そして知らないはずなのに、その三つがこのあたりでも問題なく採れるものだということもわかった。
なるほど。これが〝天魔の薬師〟の力か。
この魔法を持っている時点で、俺の頭にはあらゆる材料、あらゆる薬の製造法、あらゆる病の詳細、その他諸々の必要なことが入っているらしい。
たしかに魔法だ。
「マリル。エルミール草、ベギアール石、ランギルの実を集められるかい? できるだけたくさん」
「え? あ、それは大丈夫でありますが、どうするおつもりで? どれも山にいけば普通に採れるものでありますよ?」
「その普通の物でこの病は治るんだよ。村の人にも声をかけて。この集会所にいる人たちの分も作らなきゃだからね」
「ほ、本当でありますか!?」
「命の恩人に嘘はつかないよ」
そう言うとマリルは目に薄っすらと涙を浮かべて、伝えてくるでありますと言って集会所を飛び出ていった。
「……本当に治りますか?」
「ええ。エルミール草は呪いに効きますから。大丈夫ですよ。しかし……良いお子さんをお持ちだ」
「……はい。私の誇りです」
「少し眠っていてください。すぐに薬を用意しますから」
俺の言葉を聞くとマリルの母親はゆっくりと目を閉じた。
そして規則正しい寝息を立てはじめた。
「さて、やりますか」
軽く肩を回して自分に気合をいれる。
これだけハードルを上げたんだ。失敗は許されない。
■■■
鍋にいれた三つの素材をぐつぐつ煮込むと、青汁のような液体になった。
中にいれた素材を取り出し、その青汁をカップにそそぐ。
マリルが腕一杯に持ってきたエルミール草と一個のベギアール石。そして籠半分くらいのランギルの実で一人分しか作れない。
村人が集めてくれた素材の量からして、今できるのは五人分というところか。とりあえず薬の効果を試すため、マリルの母にその青汁のような液体、エルミール呪消し薬を渡す。
「ほ、本当に効くのか?」
「だから試してみるんだろうが!」
「で、でもあの薬師がインチキだったら……」
村人たちから懐疑的な声が出てくる。
しかし、マリルの母親は躊躇いもせずに薬を飲みほした。
村人たちが固唾をのんで見守る中、ゆっくりとマリルの母親の腕に浮かんでいた黒い斑点が消え始めた。
「き、消えた!!??」
「本当に効いたんだ!?」
「しばらく安静にしていれば斑点は消えます。斑点が消えれば魔力が奪われることもないので、熱も下がるでしょう」
「……ありがとうございます」
マリルの母親は安堵したように優しい笑みを浮かべる。
そんな母親の胸にマリルが勢いよく飛び込んだ。
「母上!! よかったであります……本当によかったであります……」
「あらあら」
その光景を微笑ましそうに見ていると、突然マリルが俺の方を向いて土下座してきた。
その行動に俺は一瞬、度肝を抜かれる。
「クロウ殿!!」
「は、はい!」
「母上を助けていただきありがとうございますであります! この御恩は……一生忘れないであります!!」
「……マリル。頭をあげて」
俺に促されてマリルは顔をあげる。
その目から大粒の涙がこぼれている。さぞや嬉しかったし、さぞや不安だったんだろう。
だけど、俺への感謝は筋違いだ。
「君には俺を見捨てる選択があった。食料がない中、人を助けるなんて重荷を背負うだけだ。けれど、君は君の信念に従って俺を助けてくれた。だからお母さんを救ったのは君の信念だ。君が俺を助けてくれたから、俺は君のお母さんを助けられたんだよ。誇っていい。君はとても立派な騎士だよ」
「うぐ……ぐろゔどの……」
涙と鼻水としゃくりのせいで言葉が上手く発せられてないし、顔もぐちゃぐちゃだ。
それでもそんなマリルを誰もが笑顔で見守っていた。
「さて、じゃあ人数分の薬を作ります。材料をまた集めてきてくれますか?」
「……はいであります!!」
村人に問いかけると一番最初にマリルが答えた。
そんなマリルに負けじと村の人たちも声をあげた。
その日のうちに人数分の薬は作り終えられた。食べ物の毒抜きもエルミール草が使えると伝えると、歓喜の輪はさらに広がった。
そしてその日は久々に村をあげてのお祭り騒ぎとなったのだった。