第十八話 戦後の団欒
部屋に戻ると畏まった様子のマリルがいた。
「げ、猊下! お帰りなさいであります!」
「どういうこと?」
「戦闘中とかはよくわかってなかったけど、終わってからクロウ君が魔皇ってことに気づいて混乱中ってところかな」
エレナの説明に俺は納得して頷く。
マリルはたしかに俺が魔皇だってことは知らなかったからな。驚きと混乱を与えちゃったか。
「マリル」
「は、はいであります!」
「いままでどおりでいいよ。俺はいつもどおりだから」
俺の言葉を聞いて、マリルは何度も目を瞬かせる。
そのあと、おろおろとし始めて助けを求めるようにエレナを見る。
「私もいままでどおり接してるよ」
「だ、大丈夫でありますか? あとで食べられたりしないでありますか?」
「俺は猛獣かなにかか……」
地味にショックを受けつつ、俺はマリルの頭を撫でる。
「俺は俺だ。そしてマリルはマリルだ。変わったことなんて何もないだろ?」
「は、はいであります!!」
マリルは緊張から解放されて安心したのか、少し涙目だ。
いきなり知人が王様でしたって言われたらそりゃあテンパるか。悪いことしたな。
しばらくマリルの頭を撫でたあと、俺は自室の机に向かった。
そこには俺が持ってきたバッグが置いてある。それには十分な量の回復薬が作れる素材が入っている。
「なにするの?」
「薬を作る。ケガをした兵士も多いだろ?」
「大丈夫? とんでもない数がいるんだよ?」
万を超える軍だからな。一割でも千人だ。俺一人で作れる薬の量ではなかなかカバーしきれない。
とはいえ、元々エレナに持たせていた薬もあるし、重傷者だけに絞れば数はもっと減る。
まぁあんまりにも傷が深い場合は専用の薬を調合する必要があるんだが、結局戦自体は俺とロデリックのせいで長引かなかった。いや、この場合はおかげっていうべきか?
「まぁある程度作ったら重傷者の様子を見に行くよ。それ次第で簡単な薬を作るかどうかは決めようかな」
「一応、太守の中には何人か医師や薬師を連れてきている人もいるけど?」
「それって兵士のために?」
「まさか。自分のためだよ」
だよなぁ。
ここって中世ヨーロッパ的な世界だし。エレナみたいな貴族のほうが珍しいってのは最近ようやく理解してきた。
「俺が言えば兵士たちを診るかな?」
「間違いなくね。伝えておく?」
「お願い」
指揮官の副官か、社長の秘書かという手際の良さでエレナは素早く医師や薬師の話をしていた太守をピックアップする。
そのまま部屋を出ようとしたエレナに対して、マリルが声をかけた。
「え、エレナ様!」
「どうかした? マリル?」
「私も一緒にいくであります!」
「うーん、気持ちはありがたいけどあんまり魔皇からの伝者は多くないほうがいいかな」
「そ、そうでありますか……」
しょぼーんとした様子でマリルは肩を落とす。
自分も何か役に立ちたかったんだろうな。エレナは申し訳なさそうにお留守番しててと言うと、部屋を出て行った。
マリルの役に立ちたいという気持ちはわからないでもない。だから俺はマリルを傍に呼び寄せた。
「マリル。薬作りを手伝ってくれ」
「わ、私が手伝っても大丈夫でありますか!?」
「前も手伝ってくれただろ? 平気さ」
そう言って俺はマリルに薬作りを教え始めた。
作るのは刃物による刀傷によく効くバルテン回復薬。軟膏タイプの薬で、これを塗ることでだいたいの切り傷は治る。
ただしその分作り方は手間がかかる。
だが、エルミール呪消し薬よりもだいぶ複雑な作り方にもかかわらず、マリルは優れた理解力でそれらをマスターしていった。
エレナが帰ってくる頃にはほぼ一人で作れるまでになっていた。
「すごいね。もう一人で作れるようになったの?」
「はいであります!」
褒められて嬉しいのかマリルが誇らし気に胸を張る。
エレナもそんなマリルが可愛いのか、微笑みながら頭を撫でている。
「これだけと騎士見習いより薬師見習いのほうが近いかな?」
「えっ!? 駄目であります! 自分は騎士になるであります!」
「うん? 俺の弟子は嫌か?」
慌てるマリルに俺は悪戯っぽい笑みを浮かべながら聞き返す。
まさか俺のほうからそう言われると思ってなかったのか、マリルは慌てて両手をパタパタと振る。
「ち、違うであります! クロウ殿の弟子になれるというのは非常に名誉で、嬉しいであります! で、ですが!」
「わかってるよ。騎士になるのが夢で目標だもんな。でも、薬師のスキルをもった騎士っていうのもありじゃないか? 別に持っていても不便じゃないだろ?」
俺の提案にマリルが顔をあげる。
しばし俺とエレナの顔を見比べたあと、再度マリルはエレナを見た。
「大丈夫でありますか……?」
「騎士の勉強も疎かにしないって約束できるなら大丈夫かな」
「今よりも大変だぞ。基本的な薬の作り方を覚えるだけでもけっこうかかるし」
俺みたいに魔法があるわけではないマリルは、薬の作り方や用途を記憶しなくちゃいけない。
いくら記憶力のいい子供でもさすがに学ぶことが多すぎるかもしれない。けど、マリルは優秀だしできると思うんだが。
そんな思惑をよそにマリルは胸の前で拳を握り締めて答える。
「わかりましたであります! 私は薬師の勉強も始めるであります!」
「うん、マリルがいろいろ学ぶのはいいことだと思うよ」
そういってエレナは優しげにマリルを見つめる。
その目は妹の成長を見守る姉のようであり、子を見守る母のようでもあった。
「まるで姉妹みたいだな」
「はいであります! エレナ様は姉上で、クロウ殿は兄上であります!」
「俺が兄?」
「はいであります!」
笑顔のマリルを見て俺とエレナが顔を見合わせる。
そして少しして二人で笑い合う。
だが、すぐにそれは固まってしまう。
「それか二人が父上母上であります!」
別に他意はないんだろう。会話の流れで思いついたに過ぎないんだろう。
ただ、俺とエレナは少し顔を赤らめる。
そんな俺とエレナをマリルは不思議そうに眺めていた。
「どうしたでありますか?」
「いや……ちょっと照れる想定だなと思ってね」
「そ、そうだね。私が魔皇の妻っていうのはちょっと……」
「嫌でありますか?」
「嫌じゃないよ。エレナがお嫁さんなら最高だと思うよ」
「えっ……」
えっ?
思わず嫌なのかと思ってエレナを見ると顔を真っ赤にして少し距離を取っていた。
どうやら嫌ではないらしいと安堵しつつ、見たこともないエレナの照れ顔を俺は目に焼き付けた。
結局、その後要塞には一週間くらい留まり、ある程度の負傷者に薬を与えたあと、俺たちはゆっくりとドラゴーネに帰還したのだった。