第十六話 魔皇決戦・下
クレーターに降り立った俺にロデリックは鋭い眼光を向けてきた。
さきほどまでの余裕はあまり感じられない。明確に俺を敵と認めたようだ。
「近接特化と思えば自在に魔術を使う。どうやら単純な魔法ではないようだな」
「どうかな? 意外に単純かもしれないぞ?」
そう言いつつ、俺はゆっくりとロデリックに近づく。ロデリックも俺に歩み寄っている。
そして互い手が届く距離までくると、どちらともなく打撃戦が始まった。
だが、打撃戦といいつつどちらの攻撃も当たらない。俺の繰り出す攻撃は未来を知っているかのように躱され、ロデリックの攻撃は俺は強化された身体能力で躱す。
「爺さんのくせに動きがいいじゃないか」
「馬鹿にするな。私はずっと勝者であり続けた。その過程であらゆる戦い方を身に着けている。戦場の中で培った我が体術はお前のように日の浅い魔皇では突破できんよ」
そう言ってロデリックは俺の突きを躱し、俺の腹にフックをいれてきた。
竜の尻尾で弾かれてもちょっと痛い程度にしか感じない体なのに、ロデリックのフックはめちゃくちゃ痛かった。
「ぐっ……!」
「どうした? その程度か?」
「舐めるな!」
鉄の騎士を両断した手刀を繰り出す。
エレナのグラム並みの切れ味を誇る手刀だ。受け止めるわけにはいかないだろう。
そう読んでいたが、ロデリックは自らを風と化して手刀を受け流した。
「なに!?」
「魔皇同士の戦いは効率よく魔法を使ったほうが勝つ。お前と私とでは経験が違う」
ロデリックは再度風になると、俺の後ろに回り込んで両手を組んで俺の後頭部を殴ってきた。
視界に星が散らばる。どうにか意識を飛ばさずに保ったが、その致命的な隙の間にロデリックは風を集めて俺を大きく吹き飛ばした。
「っ……!!」
「力押しの接近戦と思っていたなら考えを改めるのだな。距離が近いこそ技が光る」
「偉そうに……老人の説教は嫌いなんだよ」
後頭部を押さえながら立ち上がる。
言葉はほど余裕はない。今の一連のやりとりでたしかに埋めがたい差を感じた。そもそも風になれるロデリックに打撃は効果がない。とはいえ、いつでもどのような状態でもなれるならずっとその状態のはず。
攻撃を加えるなら実体に戻らないといけないはずだし、長時間ずっと風のままというわけにもいかないだろう。
となれば、まずはそこを封じるとするか。
懐から小瓶を取り出し、それを握り締めて俺はロデリックに猛然とダッシュする。
「学ばん小僧だ」
そう言ってロデリックは風となって俺の突進を躱す。その瞬間、俺は小瓶を地面に投げつけた。
その小瓶に入っていたのは玄武結界薬。北方にいる結界を張る玄武を素材とし、一時的に強力な結界を張ることができる。
まぁ魔皇なら本気で抜け出そうと思えば抜け出せるだろうが、同類が目の前にいてはそこまで集中はできない。
「なに!?」
距離を取ろうとしていたロデリックはそれを阻まれてたことに驚く。
そして瞬時に周囲が結界で閉ざされたことを察した。
「今度は結界か……!」
「ちょこまかと逃げるんでね。通せんぼさせてもらった」
コキコキと首を鳴らし、俺はロデリックと向かい合う。
チャンスがあるとすればここ。
ロデリックが逃げ出せない今しかない。
そう踏んで俺は最後の薬を握って地面に投げた。
「煙幕か!?」
最後の薬は煙上の薬で、それが俺の姿を覆い隠す。外界には結界によって漏れ出さないため白い煙が結界内を覆う。
その間に俺はロデリックに近づく。
「目隠しならば通じないと先ほどもいったはずだ!」
ロデリックが風で近づく俺を弾き飛ばそうとする。だが、俺は地面を強く踏みしめて耐える。
耐えられた理由は結界で囲われているため、ロデリックがさきほどみたいに全力で風を使うことができないのだ。
「さっきとは状況が違うぞ」
「ちっ!」
俺はロデリックの腹に思いっきりパンチを食らわせる。
ロデリックの顔が苦痛で歪む。しかし、さすがは歴戦の勇士。すぐさまロデリックも俺の顔を殴ってきた。
それからは泥沼の殴り合いとなった。
ロデリックとしても風で逃げたいところなんだろうが、逃げ場の限定された結界内で風となるとそこから一気に追い詰められかねない、
だから俺のこの乱打戦に付き合わざるを得ないのだ。
「小僧が!!」
ロデリックの拳を俺は掌で受け止める。
何度も何度も殴られればタイミングも覚えてくる。
ロデリックの目が驚愕で見開かれるが、俺はその拳を放さずに空いている手でロデリックの顔をぶん殴る。
「小僧小僧うるさい爺さんだ……いい機会だから聞いておいてやる。あんたは同盟に魔皇がいると知っていた。それはつまり魔神の存在に気づいていたってことだよな? ならドラゴーネの危機も知っていたんだろ?」
「ふん! 当たり前だ!」
「つまりあんたはドラゴーネを見捨てたんだな?」
「聖人を気取るな、世を知らぬ小僧め! お前が見たドラゴーネの悲劇など大陸中に転がっている! 我々は魔神を討伐する超越者! 考えるのは魔神のことのみ! 魔物の討伐は人間の範囲内。それを何とかできないならばそこにいる人間の責任だ!」
ロデリックが殴り返してくる。
それに歯を食いしばりながら、俺はお返しにもう一発殴り返す。
「お前らが動かないのは魔物を倒しても得るモノがないからだろうが!」
「まったくもってその通り! 自らの利益を優先して何が悪い!? そもそも魔神手前の魔物は大陸中にいくらでもいる。そやつらを討伐するのは我々でも手間だし、数が多すぎる。それをしようと思えば今いる魔皇が倍になってもなお手が足らん!」
ロデリックの拳が俺の顎を打ち抜き、俺の視界がぐらつく。
なんとか堪えるがダメージは俺のほうが大きい。
「まだ人間気分が抜けとらんようだな! 小僧! 我々は人間ではないのだ! 人間が預かる領分と我々が預かる領分は違うのだ!」
「それはお前が動かないための理屈だろうが!」
俺はフラフラしながらロデリックに頭突きを見舞う。
その衝撃でさらに視界が歪む。だが、口は開かない。必死に歯を食いしばる。
負けるわけにはいかない。気づかないならしょうがないだろう。だが、こいつは気づいていて見捨てた。こいつの配下を数人送り込むだけで、どれほどドラゴーネは救われたか。
こいつは頂上から見下ろしているから下にいる人の苦しみがわからないんだ。それは俺が一番嫌いな状態だ。
たとえ人間でなくとも寄り添うことはできるだろう。預かる領分が違くとも協力しあうことはできるだろう。
魔皇同士の戦いにエレナが加われたように。上から見下ろすのではなく、共に立って歩むことはできるはずだ。
だが、こいつはそれを放棄した。
だから負けられない。こいつは俺が嫌いなタイプの集大成にして終局点だ。
こいつにだけは何が何でも負けられない。
「進んで何もかも解決しろとは言わない……だが、知っていて見捨てるのだけは許さん! お前が見捨てたあの場所には多くの人々が住んでいたんだ!」
「だからどうした!? 私にとって人間は愛おしむ存在ではないのだ!」
決定的な齟齬。
人間という存在と命への価値観。それが俺とロデリックとではまるで違う。
相容れないと悟り、拳を強く握る。
ほぼ同時に違いの顔面に渾身の一撃が見舞われた。
確かな手ごたえと圧倒的な痛みと衝撃。
膝が笑って倒れそうになるが、なんとか堪えて前を見る。すると、目の前でロデリックが膝をついていた。
「おのれ……!」
「あんたの負けだ」
「舐めるな! 一度膝をつかせたくらいでこの私に勝った気でいるとは!!」
そう言ってロデリックは立ち上がろうとする。
しかし、それは叶わない。それどころかロデリックはその場で吐血し始めた。
「ごっほごっほ……!! 馬鹿な……!?」
「やっと効いてきたか……タフな爺さんだ」
時間切れとばかりに結界が消失する。同時に白い煙も霧散していく。どちらも効果切れだ。どくに白い煙はもう害はないだろう。
「なにをした……!?」
「結界内に充満させた白い煙は煙幕じゃない。ドラゴ山に住んでいた毒生物や毒竜に加えて、手に入るだけの毒を集めて、俺自身の血を使って魔皇に効くように調整した新毒だ。名づけるなら〝天魔毒〟ってところか」
「天魔毒だと……!? お前は一体、何者だ!?」
「俺か? 俺は薬師さ。あらゆる薬に精通しているし、あらゆる毒だって作り出せる」
「薬師だと!? 貴様とて吸ったはずだ! まさか解毒薬か!?」
「いいや。さすがにそんな便利物はない。戦闘中いくつも薬を重ねて飲んだから、俺の体には毒が効きづらくなっているだけだ。とはいえ、あんたをボコボコにするくらいの時間はあるはずだ」
いまだに吐血の止まらないロデリックを俺は見下ろす。
さすがに天魔毒だけでは死に至らない。魔皇に効くといっても十分にダメージを与えた状態になるまで効果も発揮しなかった。
そのうち回復するかもしれない。
だからここらへんが潮時だろう。
「帰れ。同盟領は俺の縄張りだ」
「慈悲をかけるつもりか!?」
「あんたにかける慈悲なんて持ち合わせちゃいない。これ以上続けて、互いに死力を尽くし始めたら同盟領が壊滅しかねん。だからここで手打ちだ」
そう言うと俺はロデリックの後ろに現れた金髪の美女に視線を向ける。
「というわけだ。あんたのところの王様を連れて帰ってくれ」
「かしこまりました。新たな王よ」
「ぐっ……! これは敗北ではない! 勝負は預けるぞ! クロウ・クラマ!!」
「受け取り方はあんたに任せるよ」
その場にへたり込んで俺は早く帰れとばかりに手を振る。
引き分けだろうが負けだろうが関係ない。
当初の目的は達成したんだ。それならばどう受け取られてもかまわない。
ロデリックが退いたことでアムレート軍も退き始めた。
「終わったか……」
「うん、終わりだよ」
いつの間にか近くにエレナが来ていた。
俺の体を気遣ってか、そっと体を支えてくれる。
「そうか、終わりか。悪いんだけど、気を抜いたら眠くなってきた。あとを頼んでも……いいか……?」
「うん、任せて。後始末は騎士の仕事だから。王様は休んでいいよ」
そう言われて俺の緊張の糸はプツリと切れた。