第十四話 ファフニール竜化薬
店に戻った俺は急いで作業台の上に置いてあった薬を手に取った。
これまで俺が作った薬の中では間違いなく最高級品。
名前はファフニール竜化薬。名前の通り、一時的にファフニールのような竜になることができる。
これを作るために北方に生息する姿を変えられる鳥の羽やら、高級薬には必ず使われる黄金の兎の血など様々な高級素材を集めた。
まぁ竜の素材に関してはドラゴーネが無償で提供してくれたためタダだが、それでもかなり掛かった。具体的にはマルクスが払ってくれたお金の半分くらいは消えた。
どうしてこんなものを作ったかといえば、魔皇や魔神と戦う機会が来たらというのを想定したためだ。ほかにも役立ちそうな薬は作ったが、今現在、フェニーチェへ行く手段としてはこれしかない。
ただ問題もある。
「さすがにこれを飲んだら消耗するよな……」
強力な薬であることは間違いない。だが、これを飲んでしまえば消耗が避けられない。
魔皇と戦う前に消耗してしまえば、勝ち目は薄くなる。だが駆け付けられなきゃ勝ち目云々もない。
ほかに手はないかと思考を巡らせる。
そんな悩む俺の視界にひょっこりとマリルが顔を出した。
「クロウ殿! その薬でエレナ様が助けられるでありますか!?」
「いや、助けられるんじゃなくてこの薬なら助けにいけるんだ。ただ、反動が大きい薬だからこれを飲んじゃうと向こうに行っても戦えない可能性がある」
戦えないなんてことは正直ないだろう。それだけ魔皇というのは理不尽な体をしている。ただ、同類と戦う以上は万全でなければいけない。
「どうするか……。今から改良を加えたり、新しい薬を作る時間はないだろうし……」
すでに戦争が始まっているならすぐにでも発たなきゃいけない。
迷っている時間はないか。
意を決して薬を持とうとしたとき、横からその薬を取られた。
「マリル?」
「私が飲むであります!」
「なに言ってるんだ!? 反動が大きい薬だって言ってるだろ!?」
「死ぬわけではないなら飲むであります! エレナ様を助けに行くなら私だって役に立ちたいであります!」
「大人でも反動が大きいんだぞ! 子供のマリルが飲んだらどうなるか予想もつかない! やめろ!」
「私は子供である前に騎士であります! 父上はエレナ様を守るために命をかけたであります! その娘の私がエレナ様が危地にあるのに何もしないとあれば、死んだ父上に顔向けできないであります!」
そう言ってマリルはグイッと薬を飲んでしまった。
「馬鹿!?」
「ぐぅぅぅぅぅ!!」
マリルが胸を押さえて苦しみ始めた。
強い薬の効果に体がついていかないのだ。
「吐き出せ! 早く!」
「いやで……あります……」
強情なマリルは口を閉めて薬を吐き出そうとはしない。
このまま薬の強さに耐えきれなければ、最悪暴走してしまう可能性もある。
こんな都市のど真ん中で竜が暴走したらどうなるか。嫌な想像ばかりが頭を巡る。
「くそっ! もう少し頑張れ! 薬の力に負けるんじゃないぞ!」
マリルに呼びかけながら、俺はマリルを担いでメディオの外へ向かう。
薬は子供の手の届かないところへ。そんなこと誰だって知っている。そんなこともできないのに何が薬師だ。
後悔ばかりが押し寄せる。
腕の中ではどんどんマリルの声が苦し気なものに変わっていく。
そしてその時は突然やってきた。
「がっ!?」
マリルの心臓の音が突然大きくなったのだ。
ちょうどメディオの門をくぐったあたりの地点だ。
明らかに大きくなった音に俺は嫌な予感を覚え、なんとか走ってメディオから距離を取る。
どんどん大きくなるマリルの心臓の音。焦燥感が募り、嫌な汗が体中からあふれ出す。
そして。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
マリルが声をあげて暴れだした。
その力は尋常ではなく、俺でも押さえきれずにマリルを手放してしまった。
「マリル!?」
声は届かない。
マリルは地面の上で悶え苦しむ。そしてその姿は徐々に強い光に包まれ始めていた。
やがては直視すらままならないほど光は強くなり、その光が止んだあと、俺の目の前には二十メートルを超える漆黒の竜が立っていた。
その姿はファフニールそっくりで、今にもこちらに襲いかかってきそうな迫力がある。
マリルが薬の力に負けておらず、正常な状態であればこちらを認識できるはずだが、意識が混濁しているならばそれは期待できない。
なんとか薬の効果が切れるまでマリルを抑え込むしかない。
そう覚悟を決めたとき、かつて対峙したときと同様に、赤い目が俺を見据えた。しかし、その赤い目はどうもかつてとは違う色に見えた。
そしてその印象は間違っていなかったようだ。
「クロウ殿! すごいであります! 私、ドラゴンになったであります!!」
「マリル……よかったぁ。薬の力に負けなかったんだな……」
あっぱれというほかない。
それほどにこの薬の力は強い。劇薬といっても過言ではない。
それを子供が飲んで意思を保っていられるなんて、奇跡としかいいようがない。
「これでエレナ様を助けにいけるでありますね!?」
「ふぅ……まぁそうだな。飛び方は感覚的にわかるかい?」
「はいであります!」
問いかけにマリルは元気よく答える。
感覚的な変化も薬によって再現されるし、これは完全に薬が正常に発動しているとみるべきか。
となればやることは一つだ。
「フェニーチェへの方角は大体わかるな? 悪いがそこまで飛んでくれ。なるべく全速力で」
「畏まりましたであります!!」
そう言って俺はマリルの背中に飛び乗った。
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馬で数日の距離をマリルは数時間で飛んでしまった。
そんな速度で飛ぶマリルはもはや飛行機と変わらない。それに生身でしがみ付くなんてことは普通では不可能だ。
しかし、それをやれてしまうのが魔皇という生物だ。もはや人間とよぶにはあまりに破天荒すぎる。
つくづく自分が人外なのだと実感しつつ、俺はマリルの背から戦場を探していた。
マリルもフェニーチェの方角はわかっても、実際にフェニーチェに来たことはない。大体の場所に到着したあとは目と耳で探すしかない。
「クロウ殿……見つからないであります……」
「ここらへんのはずだ」
所々で見つけた大量の騎馬の足跡はこちらに向かっていた。
そろそろ目的地のはずだが。
そんなことを思っていると、竜となって聴覚が異常に発達したマリルが何かを捉えた。
「クロウ殿!」
「ん? なにか見つけたか?」
「エレナ様の声であります!」
そう言うや否や、マリルが急激に方向を変えて飛び始めた。
振り落とされないように気を付けながら、俺はマリルの進行方向を見る。
俺の目にはまだ何も映らないし、耳には何も届かない。だが、マリルにはちゃんと捉えられているようだ。
「マズいであります! 魔皇と戦っているであります!」
「魔皇がもう出てきてるのか!?」
俺が出ないかぎり魔皇が積極的に姿を現すことはないと思っていたが、そうではないらしい。
予想外の事態に焦燥が募る。
しかし、それは事態をしっかり把握できているマリルのほうが強かった。
「駄目であります! エレナ様! 駄目であります!!!!」
状況が読み取れない中、マリルが突然咆哮をあげた。
竜の咆哮は人の心を怯えさせ、戦意を喪失させる効果がある。さすがに魔皇には効かないが、突然の咆哮ともなれば魔皇の注意を引くことくらいはできる。
目の前の山を越えると、戦場が見えてきた。要塞に籠る同盟軍とそれを攻めるアムレート軍。
その要塞の端でエレナがいた。鉄の拘束具で身動きが取れない状態で。
しかもその眼前には鉄の槍が迫っていた。
「マリル! 飛ばせ!」
「応であります!!」
一気に要塞近くまで近づくと、マリルは尻尾を振ってエレナの近くにいた男を吹き飛ばした。
マリルも本能的にその男が敵の魔皇だと気づいたらしい。
男はアムレート軍の陣地まで吹き飛ばされ、マリルは守護神のように要塞の前で滞空した。
戦場の誰もが驚きで固まり、事態についていけてなかった。
「エレナ様! 大丈夫でありますか!?」
「その声は……マリルなの……?」
驚くエレナをよそに俺はマリルの背から飛び降りて、エレナの近くに着地する。
俺の姿を見てエレナは息をのむ。
「クロウ君……」
「会ったら即説教をしてやろうと思った」
「ごめん……」
「けどまぁ……無事でよかった」
そう言って俺はエレナを拘束する鉄の十字台を破壊する。
エレナが自由になった頃、一陣の風が吹いた。
後ろを振り返ると竜の尾で吹き飛ばされたはずの老人がさきほどと変わらない姿で立っていた。
「ふむ、やはり睨んだとおり同盟にいたか、六人目」
「たまたまな」
お互いの視線が交差する。
直感でわかる。こいつは同類であり、俺よりもずっと長く魔皇である男だと。
しかし、それがなんだ。
こいつは俺に喧嘩を売ってきた。しかも俺が一番嫌う形でだ。
正直、一発殴らないと気が済まない。
「名を名乗れ、竜と共にやってきた少年。名乗る名を持ち合わせているからやってきたのだろう?」
「いいだろう。俺はクロウ・クラマ。あんたと同じ魔皇だ」
「ふっ……私はロデリック・カルヴァート。君の先達ということになるな。クロウ・クラマ」
ただの挨拶だ。
しかし、それだけで周囲にいる何万もの兵士に緊張が走った。
それだけ魔皇というのは異質な存在なんだろう。
「アムレート軍を下げろ。あんたにとっても邪魔だろ?」
「下げる必要はない。巻き込まれたならば自己責任だ」
「あんたは良くても俺が良くないんだ。あんたの我儘で人が死ぬのは見たくない」
軽くロデリックが俺を睨むが、俺も負けじと睨み返す。
やがてロデリックがため息を吐いて、後ろにいた金髪の剣士に指示を出した。
「オーレリア。軍を下げろ」
「はい、猊下」
「これでよいかな?」
「エレナ。同盟軍も下げてくれ。正直、巻き込まない自信がない」
「……わかった。けど、私はここにいる」
エレナが強い目でそう告げた。
なんとか説得しようとも思ったが、絶対に頷かない気がしてやめた。
「わかった。でも無茶は禁止だ」
「うん、わかった」
「マリルもいるであります!」
「ああ、そうだな。けど、戦闘はしなくていい。そろそろ時間切れだしな」
「マリルも戦えるであります!」
「いや、ここからは俺の戦いだ。この爺さんは一発殴らないと気が済むない」
俺が沸き上がる怒りを抑えていると、ロデリックは俺の神経を逆なですることを平気で告げてきた。
「そこまで怒らせることをした覚えはないが?」
「まったく……こんなのがまだあと四人もいるのか。この大陸の人は本当に大変だな」
「いや、幸運だと思うがね。我々がいることで魔神の危険から遠ざかれるのだから」
「魔神とあんた、どっちが危険かと聞かれればあんたのほうだと思うがな」
魔神は群れないし、人間を使ったりない。
しかし、こいつは違う。大国を動かし、興味本位で戦争を起こした。
人間社会にとってこいつほど危険な存在もいないだろうという気さえする。
「失礼な話だ。私は君が生まれる前から人間の守護者なのだが?」
「守護者? 笑わせるな。あんた、人間の命なんてこれっぽちも大切に思ってないだろ? 価値観は人間というより魔神よりだぞ?」
「ふむ……そう言われればそんな気もするな。少なくともこの百年。人間を愛おしんだことはない」
恥じることもなくロデリックは認めた。
その言葉に俺は自分の中のロックを外した。
今から俺はこいつを老人とも人間とも思わない。相手はただの怪物だ。
どれだけぼこぼこにしようと構わないと。
「さて、そろそろ軍も退いたかな?」
「まだ退いてる途中だぞ?」
「残念ながら私はあまり待つのが好きではないのだよ。さぁ始めよう! クロウ・クラマ! 魔皇同士の戦いを!!」
宣言するとともにロデリックの周辺に無数の鉄の騎士が生み出された。
それに対して俺は竜血薬を飲んだ。エレナに渡したものと違って、ほとんど薄めてない。
魔皇にとっても毒に近いそれを飲み、一瞬の激痛に耐えたあと、俺は鉄の騎士団に向かって突貫したのだった。