第十二話 同盟の危機
貴族というと誇り高いというイメージが俺の中にはある。
もちろん良い意味でだ。それはこの世界に来て出会った貴族が全員、比較的まともだったというのがある。マルクスは行動はあれだけが、私財を投じてドラゴーネに援助し、自ら復興を手伝っていた。
だからだろう。
今日の客は本当に衝撃的だった。
「ふん! こんなしけた薬店を紹介するなんて、エレナも見る目がないな」
そんなことを言うのは坊ちゃん頭の男。
着ている服はキラキラしていて趣味が悪い。年は二十代後半くらいだろうに、まったく落ち着きが感じられない。
親の七光りで育ちましたって感じの貴族だ。俺がこの世界に来て初めて出会う嫌な貴族でもあった。
「おい、お前! 著名な薬師らしいじゃないか?」
「……著名かどうかはわかりませんが、たしかに私は薬師です」
内心の反感を押さえこんで俺は営業スマイルを浮かべる。
こいつの名はドナート・カルヴォ。公爵家の一つ、カルヴォ家の若き当主だ。
ドラゴーネへ支援物資をわざわざ届けにきた人物であり、エレナが苦労して招いた人物である。それを俺一人の反感で台無しにするわけにはいかない。
ここはグッと我慢しよう。
「じゃあ媚薬を作れ」
「……はい?」
「あん? 聞こえなかったのか? 媚薬を作れ、うんと強力なやつだ」
「そういう薬はあまりおすすめは致しませんが」
「お前のおすすめなんか聞いてない! 僕が作れと言ったら作れ!」
ドナートは店にあった薬ビンを手に取って、俺に投げつけた。
受け止めるのは簡単だったが、それをすればドナートの怒りが増すことは予想できたのであえて避けない。
ビンが俺の額にあたって砕け散り、中身が俺の頭に被る。ケガはしないがずぶ濡れだし、薬品独特の匂いが鼻につく。
「ふん! 思い知ったか! お前ら下民は僕ら貴族の言うことを聞いていればいいんだ!」
なにをどう思い知ればいいのやら。
困った奴だ。こういう限られた世界でしか生きてこなかった奴は常識がねじ曲がっている。あえて否定してもヒステリックを起こすだけだろうし、どうやって帰ってもらおうかな。
そんなことを考えていると、マリルが慌てた様子で店に入ってきた。
「クロウ殿! 大変であります! うわぁ!?」
ただ慌てすぎていたのか、ドナートの足にぶつかってしまう。
ギロリとドナートがマリルを睨む。その目にはまるで子供が虫を無意味に弄ぶ残虐性に似た光が宿っていた。
まずいと思ったときにはもう遅かった。ドナートは右手を思いっきり振り上げて、マリルの頬をひっぱたいた。
「僕に触れるな! 汚らわしい!」
「きゃっ!!」
右頬を強くぶたれ、マリルが悲鳴をあげる。
いきなりのことで訳も分からず、その目には涙が溢れている。
一瞬にして、俺の怒りが沸点まで上昇した。
さらにありえないことに、ドナートは倒れたマリルを足蹴にしようとした。
「このっ! うん!? なんだ、お前!」
マリルに覆いかぶさるようにして俺はマリルを庇う。
ぶっちゃけ、殴ってもよかったがそうするといろいろなモノが台無しになる。となると、こういうことしかできない。
沸点を超えても意外に冷静な自分に驚きつつ、俺はドナートの蹴りを受け続けた。
「このっ! このっ! 生意気なんだよ! 下民の分際で!」
「クロウ殿!?」
「黙ってるんだ」
マリルの口をふさぎ、ドナートの気が済むまで蹴らせる。
ぶっちゃけ、どれだけドナートが俺を蹴ろうとダメージはない。たぶんドナートからすれば石を蹴っているような気分だろう。
「はぁはぁ……どうだ! 思い知ったか!」
「ええ、そうですね」
俺を蹴り疲れたドナートに向かって、俺は振り返って立ち上がる。
身長はドナートのほうが高いが、俺の目を見てドナートが一歩たじろいだ。
「な、なんだ……!? 僕に文句あるのか!? 僕はカルヴォ公爵だぞ!」
「ええ、存じています。ですので、お引き取りを。公爵閣下がお求めの薬はこの店にはありませんので」
「なっ!? ふざけるな!」
「お引き取りいただけますね?」
少しだけ目に力を籠める。
それだけでドナートの顔が青ざめた。人間だって動物だ。どれだけ退化していようと危機を察知する力がある。
絶対的強者には逆らわない。逆らってはいけないという生物として当然の感覚がドナートを怯ませる。
わけのわからない感覚に苛まれたドナートは、気分が悪そうに暴言を吐きながら店を出て行った。
「ふー……厄介な貴族だな」
「クロウ殿~……」
「ああ、ごめんな。怖がらせて、痛くはないか?」
少し腫れている頬を撫でながら、何か薬でもと思っているとマリルが泣きながら首を横に振る。
そんなマリルの髪を撫でると、マリルが悔しそうに顔をしかめる。
「クロウ殿は……悔しくないであります!?」
「悔しい? まぁ悔しい気持ちはあるけど、あいつを怒らせるとエレナに迷惑がかかるからね」
「でもあんなに蹴られて! クロウ殿は悪くないのに!」
「悪くないっていうならマリルも悪くはないよ。ただぶつかっただけだ。普通の大人なら笑って流す場面だからね」
「けど、私には過失があったであります! でも、クロウ殿にはないであります!」
「ああいう人にはそういうのは関係ないんだよ。ほら、こっちにおいで。痣にならないように薬を塗ってあげるから」
憮然とするマリルを手招きして、俺は塗薬をマリルの頬に塗る。
しみるのかマリルが顔をしかめるが、たっぷりと塗っておく。そしてマリルが落ち着いたところで俺はマリルが慌てていた理由を聞いた。
「なにをそんなに慌ててたんだ?」
「そうであります! 今日来た公爵がエレナ様に結婚を申し込んだであります! 支援を盾に!」
「ああ、そういえばそういう話が来てるって言ってたな。エレナも。あいつだったのか。でもグリフォーネからの支援もあるし、エレナは受けないんだろ?」
「それがグリフォーネは支援を約束しても中々支援を届けないので、カルヴォ公爵と繋がっているんじゃないかと屋敷では噂されてて、もしかしたらエレナ様は婚約せざるを得ないんじゃないかとみんな言ってるであります!」
そういえば確かにマルクスが来てからもう一週間以上が経っている。
マルクスは再戦すると言って帰っていったわけだが、それ以来グリフォーネからは人が来ない。
公爵家が動かないため、その他の家も動かない。
ドラゴーネにはまだまだ大量の支援が継続的に必要であり、今支援を中断されるわけにはいかないのはわかる。
だが、エレナがその提案を飲むだろうか。
うーん、あのエレナが飲むとは到底思えない。
しかし、あのドナートとかいう奴、媚薬をエレナに使う気だったんだろうな。つくづく最低な奴だな。たぶん貴族も含めて自分以外すべてを見下しているんだろう。
そうじゃなきゃそんな行動には出られない。そして頭が悪すぎる。エレナの紹介で来た店に媚薬作りを頼むとかどうかしているだろ。なにもかも筒抜けだぞ。
「あいつがいるうちは警戒が必要かな」
そんなことを呟きながら、俺はとりあえず少し汚れた店の清掃を始めた。
■■■
二日後。
エレナ率いるドラゴーネ騎士団はドラゴ山に来ていた。
俺や騎士団の見習い的立場のマリルもエレナの従者としてついてきている。理由は死んだファフニールの亡骸を回収するためだ。
竜の体は武器にもなるし、薬にもなる。ある程度、メディオが落ち着いたためこうしてドラゴ山まで回収しに来たわけだ。あまり放置しておくと盗人に取られてしまうかもしれないというのも、このタイミングで来た理由だ。
「この前はごめんね」
騎士たちに剛力薬を配っていると、エレナが近づいてきてそんなことを言ってきた。
表情は落ち込んでいるような気がする。あくまで気がするだが。
「ドナートのこと?」
「うん……」
「いいさ。良かれと思って紹介したんだろ?」
「でも……私のせいで嫌な思いをさせたから」
蹴られたことに対してエレナも心配はしていない。当然だ。エレナは俺が魔皇だと知っている。ドナートに蹴られた程度でどうこうするとは思ってはいない。
「平気さ。マリルを平手打ちしたときは殴ってやろうと思ったけどな」
「殴ってしまえばよかったのに」
「いつになく過激だな。さすがに迷惑だろうからやめておいたよ」
「……ごめんね。私に力がないばかりに負担をかけて」
「負担ってほどじゃないさ。こっちの我儘にエレナを付き合わせているんだし」
俺が立場を明らかにして、ドラゴーネに支援を求めれば何もかもが解決する。ただし、そうなると薬店は営めないし、周辺の魔皇たちがどんな反応を示すかわからない。
強敵との戦いに燃え上がるような奴らだと聞くし、手合わせとかいって殴り込みに来かねない。
それはさすがに避けたいから俺は立場を公表したりはしていない。
つまりは俺の我儘が原因というわけだ。
「ううん、居てくれるだけでありがたいよ。こんな小さな領地じゃなくて、もっと大きな都市にいくこともできたのに、クロウ君は留まってくれる」
「対価として店貰ってるしね」
「それくらいで満足はしないよ。魔皇じゃなくてもね。実質的に竜殺しを達成したのはクロウ君なんだもん。もっと望んでも罰は当たらないよ」
「そこまで自惚れちゃいないよ。ファフニールを討伐したのは君だ」
そういうとエレナは困ったような表情を浮かべた。
そして微かに笑ったあと、じゃあそういうことにしておくね、と言って騎士団の指揮に戻っていった。
「薬師様」
くすぐったい呼び方をされて振り向くと、そこには騎士隊長のパウロがいた。
ファフニールの一件以来、パウロをはじめとした騎士たちは俺を様づけで呼ぶ。
それだけ彼らにとってエレナの存在が大きかったということだ。
「パウロさん。どうかしましたか?」
「エレナ様は何か言っておられましたか? その……ご自身の結婚に関して」
「いえ、なにも」
「そうですか……あなたになら話すかと思ったのですが」
「あくまで噂なのでは?」
俺の問いにパウロは微かに逡巡したあと、少し近寄って小声で話す。
「カルヴォ公爵は戦争を仕掛けることも辞さないという勢いでして、しかもグリフォーネもカルヴォ公爵についているようで……戦争を避けるためにエレナ様は結婚もやむなしという考えを持っているようなのです」
「太守様はなんと?」
「なんとかもう一つの公爵家、フェニーチェに連絡を取っているようですが芳しくはないようで……」
二つの公爵家が手を組んだとなれば、残る一つと手を組むしかない。だがドラゴーネは消耗し、周りの支援がなければ成り立たない状態だ。そんな家と手を組むのは泥船に乗るようなもの。そう考えてもおかしくはないか。
「我々としてもなんとか力になりたいですし、エレナ様も騎士学校の友人たちを頼っておられるようですが、どうにもならないご様子で」
「ふむ……そんなに厳しい状況なのか」
そういう弱音的なことをエレナは俺には言わない。
言いたくないのか、言えないのか。どちらにせよ、彼女は表情に出ないから言ってもらわないとわからない。
まぁ言わないということは言いたくないんだろうな。
「薬師様。どうか前のように救ってはいただけませんか? 我が主の未来が暗いものになるのは耐えられないのです」
パウロの言葉に俺は少し考えこむ。一発逆転の方法はたしかにある。しかし、それは俺の夢を捨てることになる。
魔皇であることを明かせば、今のようにはいかない。
王は庶民とは気軽に接することはできない。たとえ王が望んでいても。
さて、どうしたものか。何か良い策はないかと頭を悩ませていると、ドラゴーネの騎士とは違う種類の鎧をつけた騎士が慌てた様子で駆け込んできた。
「きゅ、急報! エレナ・ドラゴーネ様はおられるか!?」
「ここにいます。何事ですか?」
「わ、私はフェニーチェ公爵家の騎士であります。な、南方の大国アムレート! 我がフェニーチェに軍を発しました! 我が主は同盟誓約に基づいて、すべての同盟領主に軍の派遣を求めています! これは同盟誓約に基づいての要請であり、拒否する場合は同盟の敵とみなされます!」
「アムレートが同盟に軍を!?」
「なぜアムレートが!?」
皆が混乱する中、エレナは毅然と告げる。
「たとえどの領地であれ、同盟に所属する領地に軍を向ける者はすべて同盟の敵です。ドラゴーネは同盟誓約に基づき、フェニーチェへ駆け付けることを約束しましょう」
「ありがたく……竜殺したるあなた様が駆け付けてくださるのは、万の軍よりも頼もしく思います」
都合のいいことを言う。
その竜殺しに手を差し伸べなかった癖に。
そんな鬱積をため込んでいるのは俺だけなんだろうな。誇り高きドラゴーネの騎士たちはエレナの言葉に歓声をあげている。
人間としての出来に決定的な差があるんだろう。
「クロウ殿……戦争でありますか?」
不安そうにマリルが訊ねてきた。
それに俺は曖昧に頷くことしかできなかった。俺自身も何が起こっているのか正確には理解できていなかったからだ。
ただ一つ言えるのは、また一つドラゴーネは復興から遠のいたということだけだった。