SAOこそが2010年度の代表作
自分の感情を超えた評価は可能であろうか?私はあるんじゃないか?と思う。私は基本的に自分の感情と言うシンプルな主観的評価しかしない。それ以外はただの現象を分析するとして留まっている。それを正しさとして振り回すと揉め事が多い。だが同時に人の好みは人それぞれとして一切の議論を拒絶するのは面白くない。
これを相対主義と絶対主義と言う。極端な形の相対主義はとにかく生きていて面白くない。他者と自分の正しさについて論争したほうが面白い。ネットでは昨今マウントを取るとの言葉が目立つ。アニメよりもいで散々語られた言葉になる。問題となる5話で友達同士の上から目線が話題になった。どっちが上か?と言うとシンプルな男性が特に好むもの。
何故それを女性主人公でやったのか?は、当然男性視聴者を対象にしてるからが一番だが、女性にもこれが単純に暴力や切れたりするのと結びつかずに発生する事は男性ほど過激じゃなくてもあるからだ。それは女監督であるがゆえに男性原理で描かれたものじゃないリアルさがそこにあったから面白かったわけだ。
よりもいの話がしたいわけじゃない。マウント合戦が面白いと私は思ってるわけじゃないんだ。私にその感情が無いのか?ならそれは全く違う。私は何故かそれによって熱くなって切れたりしないため、別の感情の方が強く働く、真実や正しさの追究、真理の追究ではない、シンプルな知的好奇心こそがもっとも強い感情で、それが異常だと思えるほどで、他者と自分が感情面からすでに違う思考なのは理解してる。
その立場での面白さについて、人の好みは人それぞれにしないための話をしたい。
それが10年区切りで見た代表作を選ぼうって話しになる。これ昨今のアニメ供給過剰からするとあまり面白い言及じゃない。何故か?数が増えれば進化が早まるので、単純に年単位より作品数単位で見るべきだからだ。
じゃ意味が無いのか?いや実はあった。なろうのテンプレは永遠だなんて話を私はしてるわけじゃない。それがいつ終るのか?今中心となってる読者が年をとり新規が減少する時になる。その時時代は変わるのだ。それを待ちきれなくて今すぐ変わってほしい人の不満がエッセイの正体になる。必然を捻じ曲げようとしてもそれは上手く行かない。
それがテンプレ批判がゴミしか無い理由になる。だが終わりはありうる事でその視点の根底を正しく理解してないからゴミなんだ。これが大体10年区切りぐらいでちょうど良いと思ってる。これは作品数じゃない。中心となる受け手の加齢と新規参入という年齢層に関わる人の流れで、作品数とは無関係なので今のご時勢にあってない事は無い。
私はテンプレに対してそこまで未来を見て、対処を考えている。今すぐ変化して欲しいなんて思ってないんだ。いずれ将来消滅するのをなんとか避けたいと思ってるんだ。んまー運営は考えてると思うが、運営が考えているのは危機感だけで、実際の対処出来てるか?は全く出来てない。この点はプロとは言えない。そもそもプロでも対処できないんだ。
テンプレ批判は創作の歴史のテンプレそのものなんだ。毎度危機だとあおるものが居るが、正しくかなり先の将来の破滅を避けるための提言がなされた事は無い。大半は今飽きてる中心層から外れた層の下らない感情論でしかない。私はまたかって馬鹿馬鹿しい気分で見ている。いや自分は10年先を見てるよって多分言うと思う。いやいや個人的に飽きてるだけなのが文章から透けて見えるから。
さてマウントに戻る。この10年区切りの議論はマウント合戦になりやすい。私はそれが嫌でたまらない。自分の方が正しいんだのマウント合戦でより良い理想に近づけるような気持ちが無い。相対主義に陥り易いこれらのものを留めるものは何か?説得力だと思う。真実となる事実があるわけじゃない。多くの人を納得させる理屈を作れるか?にある。
その意味で私は多数決による決定をあまり重視してない。これはランキング批判にも繋がると思う。ランキングは語らないと散々私は書いてきた。この語りこそが実は真実なのだって点でランキングによる多数決には創作についての評価として価値が無いんだ。私は単純にランキング結果を見てそれに尤もらしい理屈を後付で作ってるわけじゃない。
ランキングの最大の問題は、確率的に全く意味の無いランダムが混じることだ。それをそのまま反映させるなどアホのやる事だ。そういったものを排除して納得させる意見を考える。
それは最大公約数を獲得するような要素ではない。その人達も自分の好みを外れても納得できる理屈を考える事にある。
私はその理屈を発見した。これは創作全ての論じゃない。アニメだけに偏ったものになる。基本は漫画論だが、漫画よりアニメの方が漫画らしいのだ。これは何度も書いた、漫画は実際は実写化される作品に溢れている。漫画とはそれが良さであり、それを排除した漫画論より、アニメ物語論にしたほうがマシ。よりラノベの方がもっと漫画だけの独自の物語の面白さの論が展開できる。
ただラノベには問題があって、あまりニッチなものなのと今停滞してるためあまりふさわしくない。それゆえアニメ論が妥当だと思う。お前がアニメが好きなだけだろう?それは違う。私は漫画の方が好きなんだ。だからこそ熟知してるためアニメ論の方が望ましいと思ってるんだ。
まずは具体的に出そう。あまり詳しくないのもある。例えば60年代はアトムで間違いないと思うが、はっきりいって詳しくない。詳しくない人間の私が見てもラインナップを見れば過去の人間がこれが代表作だという言葉に一切の反論が無いからだ。そもそも選択肢が無い。そして手塚治虫と言うクリエイターの存在が漫画だけじゃなくてアニメへの影響として偉大すぎる。
70年代はヤマトで良いだろう。アニメの対象年齢を上げた作品。これは難しい話で、アニメの対象年齢が上がったニーズに適したから代表作なのだって理屈も可能だからだ。ただアニメは子供が見るものとして幼児番組のように卒業するって過程を壊した記念すべき作品だろう。
80年代はガンダムでほぼ間違いないだろう。ここで問題が2つある。ガンダムファーストは79年の作品になる。それは70年代ではないか?だがガンダムを不動の地位にしたのは、その後の80年代の再放送と逆襲のシャアまでを含めた続編にあると私は見ている。実際ガンダムは79年に打ち切られている。その点からずらして80年代の代表作品として良い。
そしてもっと問題なのが、富野監督最大のライバルだった宮崎監督のジブリである。これはジブリは普遍だと思う部分があり、80年代の熱狂の瞬間風速では負けてるのじゃないか?と私は見ている。
ディズニーとそこは似てて、いつまでも見れるものというのは逆に言えばその瞬間は弱いと私は思ってる。ジブリは80年代を代表する作品ではないし、不動の地位を築いたのは後の繰り返される再放送においてで、この点ガンダムがずれ込むのと全く同じ理屈になる。
ここまでは簡単に説得できる。問題は90年代だ。ここからアニメが多数の人が見るものじゃなくなってしまう。コナンとかサザエさんを00年代以降出されても困るんだ。だが視聴率的には圧倒的にこちらの方が高い。
この辺が多数決がそろそろ壊れていく時代に入る話しになる。その間となる90年代はこれは結構簡単。エヴァでほぼ間違いないだろう。唯一のライバルは攻殻機動隊ぐらいだが、この点は卑怯だが認知度になる。世界的評価は圧倒的に差があるが、それでも、日本の中においてエヴァほどの知名度は無い。
一部の人が評価する00年代と多数決って単純さが成り立っていた80年代の過渡期として80年代的なものも取り入れての評価となる。セーラムーンとかもあるが、こういったものはちょっとどうかと思うのでやめておく。
さてエヴァから入り込むオタクの評価である。オタクと非オタクの評価の融合。これが私は重要だと見ている。それが00年代に重要になってくるから。当時のオタクは意見を統一する人は知識階層が多かった。ネットもこれに影響を受けていた。このせいで大きな問題が生じる。マニアックな文芸論のような評価のアニメが増えて、それがさっぱり知識階層以外は面白く無いという現象が生じた。
エヴァ後つまらないのはラストのせいだという人も多いが、実際はこういったインテリ層が漫画アニメの面白さを捻じ曲げたからになる。その解放こそが00年代の代表作にふさわしいとして、私はハルヒをゼロ年代の代表作にしたいんだ。単純に萌えキャラが流行ったからなんてもものじゃない。本来あるべき姿に立ち返った。
これはヌーベルバーグの評価ととても似ている。実際のヌーベルバーグは難解なものやアメリカンニューシネマのような陰気なものに占められてしまったが、ヌーベルバーグによって、高く評価された監督としてヒッチコックが居る。娯楽的であるとして芸術性の面で評価されなかったヒッチコックの芸術性を評価したとなる。
ただヌーベルバーグは結局芸術性に落ち込んでしまったため衰退してしまうのだが、この時代の潮流で出てきたスピルバーグ、コッポラ、ルーカスなどはヒッチコック的な高い娯楽性の重視と物語の芸術性よりも映像的な快楽の重視と言う映画独自の価値を高める部分が多い。
私は実際ヌーベルバーグと呼ばれるものやアメリカンニューシネマはほとんど見て無い。だってつまらないと言う噂で唯一面白いと言われるタクシードライバーは見ている。結局シンプルな面白さの無いものは駄目だと私は見るようになってる部分がある。
さてそれだけが理由じゃない。ハルヒがどうシンプルな面白さを持つのか?は大事じゃないと思ってる。ハルヒフォロワー的作品が連発した点にある。馬鹿みたいな学園者の氾濫。これこそがハルヒが面白かった理由になる。あいつ上手くやりやがったな。こういうのを作者同士で思わせられるか?これが私は今のアニメの代表作に相応しいと思ってるんだ。
自分ならもっと上手く作るぞ。こういう隙こそが実は大事なのだという事。10年区切りの代表作は至高の作品ではなくて、コロンブスの卵のような作品で無ければならない。ボトムズと言う作品が有るのだが、監督は何故自分が名監督のようになれたか?でガンダムが示した道があったからだ。ただそれだけと語っている。
自分には人を楽しませる力なんて無いと割り切ってる。だがこういうやり方があったのか?と示してくれたので力の無い自分のまま作ったのだと語っていると言う事だ。実はすでにゼロ年代の前からずっとこういった作品は同じになる。
2つの理由がある。私は目の肥えた人を納得させるのを重視してるが、同時にディープではないオタもきちんと納得させるべきだと思っている。そのためには多数の人の記憶に残るものが良い。それにはフォロワー的作品が多いの方が望ましい。ガンダムの影を求めて他のロボットものを見た時に、金銭的には富野監督への富の集中は疎外される。
だがブランド価値で言えば、多くの人は常にガンダムは超えられないって気持ちを抱いて、ガンダムの評価を上げる事に繋がるんだ。単発の唯一無二の傑作は多くの人の記憶に残らない。
もう1つの理由は私が書いたテンプレは面白いにある。漫画アニメは芸術性で価値が決まるわけじゃない。気軽に見れる頭を使わないシンプルさにある。これが破られる至高など必要ないのだ。それはもう漫画ではないが言えないが、アニメではないのだ。そういったものは絶対に模倣される。単純なんだから。
受け手が楽しめる単純さはコピーの増大を防ぐことと相反することになるから。単純な面白さで人をひきつけないアニメはアニメの代表作になんてなれるわけが無い。アニメに文芸論で培ったような芸術性は意味が無いんだ。アニメは創作として自由になれない枷がある。それは創作としては私ははっきり劣っていると思ってる。
アニメは創作として劣ってて良い。むしろ劣っているものを代表作にし無い評価などゴミだと思っている。不自由の中のクリエイト。これを目指さないアニメは至高のアニメではない。アニメは創る事の刺激に溢れたものでは無いし、受け手である多数派もこれをノーと突きつけるべきだ。そんなものはマニアだけが楽しめば良い別の創作だ。
さてここから、2010年代の代表作を私はノベル。ソードアートオンライン、SAOだ。私は2013年に3作が今後10年の代表作になるとした。まどマギ、SAO、進撃。後はその後のライバルに目を配った。
ただ作品のレベルからこれらのを超えるものは多分無いと予想したのが大きい。シュタゲがかなり人気だがあれはゲームの方が面白いと言う人が多すぎる。それに対してSAOにそういった意見はほとんどないし、進撃にいたっては、アニメが原作と漫画家自身が語るほどだ。絵にちょっと原作は難があり、その絵の部分がすごく高度に仕上げられている。良原作アニメ化の多分理想の作品。
まどマギはアニメオリジナルなので。
でも私は2011年度の時点で、これは駄目だと見ていた。その後のフォロワー作品を作れないと見たからだった。作られたことは作られたが、誰もがまどマギのせいで面白くない現象に陥っている。私がまどマギの影響でこれだけ別格だと思ったのは結城優奈は勇者であるだけだ。
何故か?世界観がどれもこれも魅力的じゃないから。その中で唯一、ゆゆゆだけが独自の世界にまどマギのシナリオフォーマットをぶち込んだものになる。ゆゆゆは魔法少女らしくないんだ。唯一私が価値だと見ていた魔法少女的コス、ここを絵的にマネをしていた。美味しいところの取り方が絶妙に上手い。
テンプレを作るための土台に強い刺激が全く無い。これを2011年度に見抜いていて、代表作に多分なれないと見ていたらそのとおりになった。今ではもう魔法少女とつくだけで私は見ない。
他にも理由があり、それは次の進撃にも繋がる。ハルヒは単純にラノベの代表作ではない。当時エロゲをアニメ化してた京アニブランドの1つになる点がキーなのだ。まどマギは主流では確か無いが、ゼロ年代のエロゲブームの延長でしか無い。その証拠に私は直接しらないが、まどマギを分析した人のもので数々のエロゲを元ネタにした事がばれてしまっている。
私はそれを批判してるのではない、新しい幕開けの10年代の作品が実際はゼロ年代の手垢の付いたものだったというのがイマイチだと思ってて、進撃がまさにこれなんだ。
クリエイターは案外賢いのかもしれないが、進撃は斬新ではなくて、マイナーなエロゲの路線を漫画化したものになる。進撃自身がマブラブのフォロワー作品で、まどマギとそっくりの構造をしている。そしてその源流はブルージェンダーと言う90ゼロ年代の端境期のアニメに遡れる。
これは直接見たのでほぼ間違いないのが分かる。エロゲという地下に潜っていただけで、すでに評価されたものなんだ。源流があるから駄目なんじゃない。すでにジャンルとして確立してしまっていたような部分の問題になる。進撃の後追い作品が氾濫しないのは、多分これじゃないか?と見ている。
じゃ進撃の個性はどこにあったか?多分巨人を中心にすえたそこになる。とにかくそこが上手い。マブラブ自体は見てないが、その後のドイツをモデルにした続編のマブラブを見た。なるほど進撃のモデルと言うのが良く分かるし、ブルージェンダーの後継だというのも良く分かる。ちなみにこの間のガンパレってエロゲ原作の略称のアニメも見ている。
私にとってはあまりに慣れたジャンルだったって点で進撃を流行の拠点と捕らえる事が出来ない。あくまでブルージェンダー以来作られ続けた似たタイプのジャンルとしか捕らえられない。ただブラックブレッドと言う作品が進撃ブームの中で作られたのはアニメ側か?ラノベ側の意識したのはあっただろうとは見ている。皆無と言うわけではない。ただ、ブラックブレッドはキャラクターの可愛さからまどマギとの類似点をいわれた点がある。それぐらい進撃の影がアニメには見えない。
SAOも私はこれ駄目だと思っていた。その私の固定観念を打ち破ったのは、私はVRMMOアニメは失敗すると見ていた。絵的にただの古臭い異世界ファンタジーだからになる。それはSAOがゲームっぽさが面白くなかったからになる。この認識が変わったのがなろうのアニメ化になる。
すでにログホラのアニメ化で兆しは見えていた。ただログホラはログホラ個別が面白すぎて、新異世界ファンタジーって部分に気がつけなかった。なろう作品よりSAOははっきり言ってゲーム世界観を生かしてなくて面白くない。だけどそれでもこのすべての影の元はSAOで良いと思う。
何故か?と言うと、それは私のマニアックな面白さの部分だから。もっと広い層に訴えるにはゲーム世界の洗練された面白さよりも雑多な中途半端さのある面白さの方が重要となる。ライトでチープでキャッチーであるこれがSAOの魅力だと思う。私は斬新な世界観に刺激を受けたが、それ以外SAOを面白いとあまり思わない。
なろうの方がよっぽど面白い。それは、ゲームであるより、ゲーム的な実際の世界の方が面白さが多彩に表現できるからになる。ゲームであることが不自由な制約でしか無い。なろうではVRMMOが人気があるが、それは所詮異世界ファンタジーと較べてじゃなくて、他のジャンルに比べれば人気ジャンルってだけで、外で通用するようなものは多分出来ないだろう。
ほぼ同じ事が異世界物で出来るのにVRMMOにする制約に面白みを感じないから。
念のためその後のアニメを精査してみよう。2014年度は野崎君、ノゲノラ、しろばこ、君嘘で良いかと思う。それぞれ全く違うジャンル的なものから選んだ。これを絞れない。ジャンルが違うから当たり前じゃないか?そういう常識を超えるから傑作なんだという事。特にノゲノラはまさにSAO的作品。
2015年度はユーフォで良いと思う。感動系や泣かせる青春物があまり好きじゃない私にもこれは素直に面白かった。それはスポーツ部活物のフォーマットがあったからだと思う。文科系の形を取ってるだけのほぼ運動部だから。
2016年度は、僕街とリゼロでほぼ良い。異世界と現実舞台のタイムリープ2作品。シュタゲを選べなかったフォローみたいなものだと思う。タイムリープは鉄板。しかも目の肥えた人もそうじゃない人も傑作になりやすいのがこのパターン。まどマギもそれを一部含んでるのが面白い。過去の傑作時をかけるもそう。まだ見てない君の名はもそうらしい。
私は一層、もう飽きられるほどタイムリープを作ったほうが良いと思う。これは多分飽きる。でも作る量が少なすぎなのにものすごく反応されるから名作に押されすぎるんだ。これは物理的に扱えるんじゃないか?と見てる。人を強く動かす作品と数を集める作品は必ずしも一致しないは書いた。だがタイムリープにはこれがある。こういったものは何作作ってもそう簡単には飽きられない。
人を抱え込む許容量がある。魔法少女にはそれが無いと私は見たんだ。基本的には希少価値で決まるが、許容量を考慮するとそれは作品のタイプで変わってくると私は見ている。
2017年はアビスで良いと思う。これ異世界ダンジョンってもろなろう系なのに、全く違う世界観とストレスたっぷりのストーリー展開で、全くなろうと質が違う。多分タイプ的には世界観は似てないがリゼロに似ている。
2018年はよりもいで決まってしまうかもしれない。コレは困る。私の感情があまり動かない作品。結局私はハルヒを例外に非現実的な世界観を重視しすぎるのじゃないか?と思う個人的な部分がある。
2017年のアビスはキーで、なろうとは違うファンタジー、次に同じ年にゲームでよく使われるファンタジー世界とはまるで違う宝石の国が次点ぐらいに位置している。
テンプレ化する世界観こそが本当のキーでアニメってのはそういう非現実的なテンプレポイントに面白さがあるんじゃないか?と見てて、私個人もそこが好きなんだ。
よりもいは真似出来るか?ならまず出来ない。雑多に作られる実写ドラマのような、ただの青春ものと言うシンプルな特徴の無いものになってしまう。だが人は自身の感情を重視する。全く違うタイプのよりもいに人気が集中する事はありうる危機感を持っている。私なら逆にファンタジー色が濃かった2010年代と見るんだ。
説得力がある自信はある。だって感情が強く動かないから代表作だとなるんだ。希少価値に私はあまり感情が動かないんだ。これはものが分かって無い人間が詐欺にあうようなつまらない感情だと見てるんだ。だからこそそういった多数派に受けるには、こういった希少価値ばかり狙えば良い。簡単じゃないがビッグヒットは狙える。
アニメの作り手はこればかり狙っている。賢いのか?違う、ちょっとかじればアホでも思いつく戦略で、それは弊害を含むって知らないからだ。こういった作品を作り続けても確かな力が見に付かない。力と言うのはタイプの同じものを作り続けて初めて熟練する。実はこれを安定して作れる人がいる宮崎駿になる。
こういうクリエイターは天才の領域で滅多に現れない。だから力の無い人間が同じことをすれば結果論の繰り返しにしかならないと私は見てるんだ。これをずっとアニメオリジナルの批判として書いている。本当は過去のロボット物こそが、普通のプロレベルのクリエイターが手がけるべきアニメのあるべき姿なんだ。