魔王も大好き異世界の肉じゃが
さて……トイレが異世界の入り口になっているなんてことは珍しくはない昨今の異世界トリップ事情。
魔王と戦うために何の役にも立たない高校生が召喚されるってのはよく聞いていた。
でも大抵そういう人は、幽霊部員でもいいから剣道部とかに入っている設定があるのがつきものだ。
私は、期待に胸を膨らませてこちらを見ている異世界の住人に失礼して、トイレの扉を閉めた。
トイレットペーパーの芯が切れていて、自宅だからこのまま取りにいくのがベストだと思ったのだが、まさか異世界に飛んでるとは思わないでしょう? とんだ赤っ恥だったわ。
私はきちんと手を洗って、水洗トイレが不思議と流れるのを確認した。
胡乱な視線でちろちろと渦を作っている水洗トイレを見ながら、そっと身だしなみを整えて、外に出た。
魔法陣の中間で、黒魔術師みたいな集団に囲まれたまま、私はこほんと咳払いをした。
「い、いきなり呼ばないでください」
下半身ずり下ろしたまま出てきた私よりも、召喚した人のほうが恥ずかしそうな顔をしている。
ごめん……みたいな顔だ。うん、謝れよ。こっちも驚いだだろ。
「おお勇者よ。下半身素っ裸とは何事か」
角の生えたおっさんが腕を広げてそう言った。この人、王様みたいなポジションかな。
「いや、勇者と呼ぶのはふさわしくないな。シェフよ、お前はシェフだ」
水牛みたいな角の生えたおっさんは豪奢で邪悪なマントをひるがえして、格好良い低い声でふははと笑いながら、言った。
「自己紹介が遅れたな。私は魔王ソロンだ」
なんとなくそんな気がしていた。でなかったらこてこてのコスプレでしかない。
「突然だが世界を征服して平和をもたらしたのが100年前だ」
「平和? え」
「あれは仕方がなかったのだ。人間たちすぐに争うし、あの時は各々が世界を滅ぼしかねない魔法をぶつけ合おうとしていた。まとめて滅ぼすしかなかったのだ。今じゃちょっと大人気なかったと思っている」
「はあ」
「おかげで一生懸命育てた人間の文明が最初からやり直しになった。短気は損気、そんな気がしないか?」
「そうですね……」
魔王というより創世主のようだなと思いながら話を聞いていた。
「魔王、本当にちょっとやりすぎたと思ってるんだよ。ちょっと、聞いてる?」
なんだその、女子高生が彼氏に向かって腹を立てるように頬を膨らませて、可愛いと思ってるのだろうか。邪悪なマントをひるがえすおっさんが頬を膨らませていて。
「聞いています」
しかし私はチキンだったので聞いていると言ってしまった。
「そんなわけで、人類を蹴散らして、平和主義そうな人を集めたの。そしたら争わないだろうって思って。でも、よくわからないけどその中からまた平和じゃない奴が出てきてね……」
この愚痴、長くなりそうだな。
どうしよう。私、シェフにも勇者にもなれない、どこにでもいる、普通の女子高生ですらない、高校を中退した引きこもりなのですが。
「さあ勇者よ! いや、シェフよ! 私を助けておくれ。お前なら私の悩みに答えられるはずだ」
「お言葉ですが、魔王さま」
口答えしたらダメだと思いながら、私はあまり知らない敬語を一生懸命使おうとした。
「されど、拙者に果たして、できようか?」
だめだ。緊張してしまったせいで、すごく偉そうな口調で言ってしまった。
魔王様の顔色がみるみるうちにシリアスになっていく。
「安心するがいい。お前にそんなに期待してないから」
よかった。とほっとしたような、がっかりしたような気がした。
「なんて言うと思うのか? 少なくともお前のいる、向こうの世界でどのくらい期待されてないのか知らないが、私は期待している」
ちょっと嬉しいような。いや、それは不味いという気持ちも入り交じる。
「勇者よ、お前に包丁と、布のエプロンを渡そうではないか。これを装備して、隣の調理台にい立つのだ。そして調理を始めるがよい。前のシェフはとても腕が良かったのだがな……」
嫌な予感がした。死んでしまったに違いない。
「天命を終えて他界してしまった。肉じゃがの味が忘れられず、ついそなたを誘拐するような形で召喚してしまったこと、申し訳なく思う。肉じゃがを作ってほしいのだ」
かまいませんよと言いたかったが、じゃがいもやにんじんってこの世界にあるのだろうか。
私は無言でエプロンを身に着け、包丁を片手に隣の部屋に向かった。
そこには色とりどりのフルーツや、根菜類、赤や青や黄色の魚……南国かと思うような色彩に私はくらくらした。
肉じゃが……肉、肉。ないじゃないか。
「あの、肉は?」
私は思わず聞いた。
「ミートです。牛や豚、鳥でもいいですが」
「お前は残酷な国から来たのか? 豚や牛を殺す国から」
魔王が恐ろしいと身体を震わせてそう言った。私は魚をちらりと見て、あれは痛覚がないからかなと思った。
「魚卵とかありますか?」
「魚の卵、だと。なんて残酷な」
何ならいいんだよって言いたくなる。
「卵は平気ですか? 無精卵のほうです」
「まあそれなら」
「牛乳は? チーズとか」
「それは肉じゃがの隠し味なんだな」
違う。好みの確認だ。
「芋はどれですか?」
と聞けば、トマトのようなフルーツを指さされる。
「地面に埋まってるものはこれですか?」
「これはイモーという食べ物だ」
「地面に埋まってる根の食べ物はありますか?」
今度は紫色の尖った物体を渡された。
私は予想したとおりになるだろうと思いながら、その紫色の大根みたいな具材を刻んで、普通に煮てみた。
紫色の煮汁がグロテスクに鍋を満たす。地獄の釜茹でのように。
「おお! これは肉じゃがと見た目がそっくりだぞ。お主さては、肉じゃがを知ってるな?」
「ええ」
おかしいな。私の知ってる肉じゃがと違う。
これは難易度が高そうだぞ。これなんだ? みたいな難しさがある。
異世界の肉じゃがはどんなもんだろう。
果たしてそれは魔王の腹に合うのだろうか。
そして具材を切りながら、ぼんやりと人類は100年前に喧嘩しすぎるから滅ぼしたという話を考えていた。
あの話、肉じゃがと何か関係あったのかなって。
たぶん関係ないなと思いながら、ピンク色の茎を根本から捨てようとした。
「この茎でピンクにそまったごはんが美味しかったな」
と魔王の息子っぽい子がそう言った。
赤飯みたいな文化がこっちにもあるようだ。私は大根の葉っぱのように刻んで、ごはんに混ぜた。
赤飯のピンクというより、着色料で染めたような色になった。
紫色の鍋と、合成ピンクみたいな米を交互に見て、私はそっと料理が下手くそな自分を恥じた。
「美味しそうだな」
と魔王親子が本当に楽しみな顔をして、言っている。
ここでなら戦える。
危うくそう思いかけた。
もしかしたら私は、褒められさえすれば、伸びたのかもしれない。挑戦さえさせてもらえたら、失敗を許してもらえる人生だったなら、あるいは……いやよそう。
私は紫色の肉なし肉じゃがと毒々しいピンクの赤飯を作るという使命があるのだ。
どんな料理作っても失敗だとバレないなら、私はめちゃくちゃ美味しい見たこともない肉じゃがをあなたたちに食べさせたい。
(了)
美味しそうな話を書く予定が……。