第四節 ナンパ (Side:隆司)
言われた通り、着替えてアパートを出て、駅前に来てみたものの、隆司は途方に暮れていた。
(そう言えば俺、ナンパなんかしたことないじゃん!)
という事に気付いて固まっていた。
隆司は年齢=彼女いない歴である。実のところ、決してモテないというわけではないのだが、本人が著しく鈍いために、全く自覚がない。
とりわけカッコイイというわけでもないが、彼女の一人も作れないほどではない。しかし、鈍さよりも問題なのは、愛想のなさと、口数のなさである。
目の前に人がいないわけではない。だが、どう声をかけるべきかが判らない。
固い表情で立ちつくす隆司をちらちらと見ている少女の姿もあるのだが、テンパっている隆司は全く気付かない。
(っていうかなんでナンパなんだよ!?)
情報収集をしなくてはならないという事は覚えている。だが、それをするためにナンパしろと言われた事は、あまりの動揺に、キレイサッパリ忘れていた。ナンパが主目的ではないということを、既に隆司は忘れていた。
(ナンパって、ナンパってどうやるんだ!?)
先程から同じ事をぐるぐる考えている。
(だいたい、そういうのが得意なのは、シュウとか恭一郎じゃん!)
新見恭一郎は隆司の従兄弟で、サカキ・エージェンシーの出資者で現役高校生である。同い年なのだが、隆司は恭一郎が苦手だった。雇われ所長のシュウと共に、この世で苦手な人物リストのトップを飾っている。
隆司は、人にからかわれたり翻弄されたりするのが苦手である。どう対処したら良いか判らなければ、自分の感情や思考を制御することも苦手だ。だから結局いつも、されるがままで、相手が飽きてそれが終わるのを辛抱強く待つ。
隆司は、感情の起伏が激しく、動揺はするが逆上はほとんどしない方だ。荒事が苦手で、口論も苦手。反応は顕著だが、からかってもあまり面白いタイプとは言い難い。
だが、シュウと恭一郎はことある毎に隆司をからかう。しかし、二人のからかい方は両極端だ。
例えばシュウならあくまで軽く明るくあっけらかんと後腐れなく、恭一郎はネチネチとしつこくいじめるように。
二人の共通点は、異性にモテるということと、異性に対して同性のそれとは比較にならないほど、態度や応対が異なるというところだ。
(……あれはいくらなんでも参考にならないよな)
隆司は嘆息する。あまりにも性格・容姿・タイプが異なり過ぎる。唸りながら考え込んでいたが、ふと、隆司は鋭い視線を感じた。
(え? まさかアイツが……?)
ギクリと振り返った。視線の先をたどると、そこにはつややかな黒髪の美しい少女が立っていた。
(……あ……っ……違った……)
ほっとしたような、残念なような気持ちになって、隆司は焦る。
(いや、アイツがここにいないなら、ソレで良いんだ。どうせ、アイツはロクなことしやしないんだから)
それにしても美しい少女だ。そこにいるだけで、辺りの空気を変えてしまうような、独特の雰囲気を持っている。清らかで高貴で、それでいて麗しく、強烈な光を放っている。
(すげぇ美少女。つうかアレ? 俺、睨まれてる?)
記憶にはない。知り合いではないはずだ。当然恨みを買う事も、憎まれる事も有り得ない。有り得ない、筈だ。
呆然と少女を見つめていると、少女はついと視線をそらせた。そこへ、金髪に近いくらいの茶髪の、背の高い同年代くらいの男が、少女に駆け寄って行く。
(芸能人か?)
そう思ってしまうような色男だ。少女と並ぶと、美男美女のカップル。少女は男の顔を見て、柔らかく花のように微笑んだ。
(あー……恋人同士?)
その割には、互いの距離が少し遠い気がした。だが、二人の間には、愛し合う者同士に通う空気が漂っていて、なんとなく正視できなくて、隆司は視線をそらした。
(いやカップルなんか見てる場合じゃない。とにかくナンパしなきゃ。じゃないと百々加さんに怒られる)
気を取り直し、こうなったら相手の性別が女であれば誰でも良いと覚悟を決めて、深呼吸した。
「あの! 今!! ひ、暇ですかっ!?」
隆司は両目を瞑って叫んだ。思わず声が裏返った。
「ふぁい?」
声は高い。背は低く小柄だ。だから、目の前にいるのは異性のはずだ。
ゆっくり顔を上げて目の前を見ると、そこに立っていたのは、きょとんとした顔の、少女とも少年ともつかない顔立ちの、華奢な姿が見えた。Tシャツにジーンズ姿で、右手にはコンビニの買い物袋。口にはアイスキャンディー。
「「…………」」
しばし見つめ合った。
「ふぁのぉ」
と言いかけて、その人物は口にくわえていたアイスキャンディーを外した。
「何か用ですか?」
大胆すぎるくらいのショートヘアではあるが、高く響く声は少女のもの。
(百々加さんの中学生版!?)
そう思ってしまったのは、少女の胸がペタンコで、背が低く童顔だったからだ。
「あ、あのさ!」
慌てて隆司は言う。
「俺、今日初めてこっち引っ越してきて、この町のことよ、よく判らないから……そ、その、できたら教えてくれないかなって。こ、このままじゃ自炊どころか、晩飯にもありつけないし……」
「ああ」
なるほど、という顔で、少女は頷き、明るい顔で笑った。
「なんだ、びっくりした。てっきりナンパかと思っちゃった。まさかだよね!」
そのまさかです、とは言えず、隆司は固まった。
「おやすいご用だよ」
少女はにっこり笑って言った。
「とりあえずスーパーと商店街行っとく?」
聞かれて隆司はコクリと頷く。何をしたら良いか判らないお手上げ状態だ。
「自炊ってことは一人暮らし?」
コクンと隆司は頷いた。
「料理得意なの?」
聞かれて一瞬考えるが、また頷いた。
「ひょっとして無口?」
隆司は無口というより、人見知りが激しい。だから、首を横に振った。
「ふぅん」
少女は首を傾げたが、何も言わなかった。
「えっと、こっちね」
と指さす方向に見えた。
「買い物する?」
「いや、今日は疲れたから……後日」
「ふぅん。あ、そっか。今日引っ越してきたって言ってたっけ」
そう言うと、ニカッと少女は歯を見せて笑った。
「うん、やっぱりナンパじゃないね」
「?」
きょとんとして隆司は少女を見つめた。
「だってナンパだったら、もっと喋ってるもんね。もしナンパだったら、あたし初めてだよ」
「じゃぁ、商店街はこっち。食べるところはこの辺だと駅前と商店街に集中してるから。駅裏は飲み屋とかしかないし」
少女、佐納吉良の言葉に、隆司は頷き、微笑んだ。
「ふわぁ、お兄さん、笑うとカッコイイねぇ!」
吉良は感心したように言った。
「……え?」
予想しない言葉に、隆司は目を丸くした。
「笑った方が良いよ。そしたら、すっごくカッコイイから。んと、うちの学校の東条樹龍先輩の次くらいに」
「東条樹龍?」
スゴイ名前である。
「うん。ハーフ、ううんクォーターで金髪で背が高くて超カッコイイの。ただ、ものすごくナンパで、女の子しょっちゅう口説いてて、そのクセ誰とも付き合わないの。
たぶん生徒会長の来島渚先輩のことが好きなんじゃないかって噂だけど、渚先輩は美人で真面目で、ファンクラブあるくらい人気あるから、口説けないのかもって」
吉良の言葉に、隆司は先程のカップルのことをふと思い出す。
「そういえば、樹龍先輩と渚先輩、さっき駅前にいたかも」
「……え?」
隆司が微かに目を見開くと、吉良はにっこり笑って言った。
「二人とも美男美女だから、すっごく目を引くんだよね」
「だけどあれはどう見ても、高校生……」
「あたし高校生だよ」
吉良の言葉に隆司は硬直した。
「……高校生?」
「うん」
吉良は屈託なく笑う。
「あたし、神楽坂学園高校の1年生」
「!」
隆司は思わず息を呑んだ。
「ほぇ?」
吉良はキョトンとした。
「どうしたの、お兄さん」
「……俺、神楽坂学園高校に明日から転入」
「わ! スゴイ偶然」
吉良も驚いた。それから嬉しそうに微笑む。
「何年?」
「……3年」
「わぁ、樹龍先輩や渚先輩と同じ学年だね。1組だったら、二人と同じクラスだよ。あ、そうだ。渚先輩って、理事長の姪でお嬢様なんだって。樹龍先輩のお母さんは元モデルらしいの。って、お兄さんも隆司先輩って呼ぶべきかな」
「高村で良い」
親しくない相手に、しかも年頃の異性に、名前で呼ばれるのは苦手だ。隆司がそう言うと、吉良は頷いた。
「わっかりました、高村先輩。じゃあ、あたしのことはキラまたはキラリンって呼んでください」
「…………」
隆司は今更ながら、目の前の少女が苦手なタイプだということに気付いた。
「あ、そっちじゃないですよ。こっちです」
距離を取ろうとした隆司の腕を引いて、吉良は指さした。そこには神無町商店街という看板があった。