第三十一節 ナツ (SIDE: 百々加)
百々加は念のため、隆司の携帯電話にかけた。しかしコールされない。電源が入っていないか、電波の届かない場所にいるというアナウンスが流れる。
通話を切って、隆司宛てにメールを送る。百々加とシュウに連絡しろという内容だ。
それから、神楽坂学園高校に電話をかけた。
『はい、神楽坂学園高校です』
「3年1組の高村隆司の姉の百々加です。お手数ですが、呼び出しをお願いできないでしょうか」
『大変申し訳ありませんが、只今立て込んでおりまして、折り返しご連絡してもよろしいでしょうか』
「……え?」
一瞬、素でポカンとしてしまった。
「何かあったんですか?」
『ちょっと事故がありまして……いえ、高村君は無事です。詳しくは後日説明会を開きますので、他言は無用でお願いします』
(事故?)
百々加は眉をひそめた。
「いったいどういう事ですか?」
『只今、状況など分析中のため、回答できません。ただ、高村君について申し上げますと、怪我をした生徒の付き添いで、病院へ向かったようです』
「何処の病院ですか?」
『……神無総合病院です』
「有り難うございます」
百々加は通話を切った。すぐにシュウにかけ直す。1コールでシュウが出る。
『モモカチャン?』
「隆司は無事らしいですが、生徒に付き添って、神無総合病院へ向かったそうです」
『病院?』
「詳しい事情は、これから調べます」
『いや、待ってくれ、百々加』
シュウがいつになく焦ったような、真剣な口調で言う。
『すぐに合流しよう。今、何処にいる?』
「神無町商店街近くの住宅街です」
『暫く移動しないで。すぐに迎えに行くから』
「え、何故です?」
『……狙われている可能性がある』
「まさか」
『悪い。こういう状況になると思ってなかった。ごめん、百々加』
「なんでシュウが謝るんですか」
『俺のせいだからだよ』
「え?」
百々加は思わず聞き返した。
『君の目の前に身長173cmの男が現れたら、すぐに逃げて。そいつは近接戦闘と、心理戦のエキスパートだ。しかもナイフと銃も使える』
その時、目の前に車が急停止して、中から見覚えのある人物が降りて来た。長い髪が、豊かに波打っている。少女のような、少年のような、性別不詳、年齢不詳の美しい人物。
「……ナツ……?」
百々加は記憶にある名前を呟いた。
「君にそう呼ばれたくはないけどね」
鈴の鳴るような声が、やんわりと諭すような声音で言う。優しげな穏やかな微笑みを浮かべている。
「……男性だったんですか」
百々加は呆然と呟いた。
『百々加、まさかそこにナツがいるの!?』
携帯からシュウの悲鳴のような声が上がる。ナツは、天使のような無性別の、美しい、感情の読めない穏やかな微笑みを浮かべる。
「ああ、女だと思ってた? 良く言われるんだ。声も女みたいに高いからね。だけど何故、僕の性別が判ったの? もしかして、シュウから聞いてた?」
「……骨盤が」
百々加の言葉に、ナツは納得したように頷く。
「ああ、骨格ね。じゃあ、彼女の事も一目見て判ったんだ?」
ナツの言葉に、百々加は目を丸くする。
「……彼女って……あなたは、あの子を知ってるんですか?」
「僕じゃなくて知り合いがね。できれば一緒に来て欲しいところがあるんだけど今、良いかな?」
『百々加! ダメだ!! もうすぐで着くから……っ!!』
シュウが叫ぶ。ゆっくりとナツが歩み寄って来る。
「僕の名前は四条棗と言うんだ。だけど、君には、名前も名字も通称も呼ばれたくない」
ナツはニッコリと微笑む。
「僕は荒事が苦手だから、君におとなしくして貰えると嬉しいな」
優しげな微笑みと、おっとりとした口調。だが、百々加の察知能力は、相手の敵意と害意を感知し、警鐘を鳴らす。
百々加は、周囲を複数人に囲まれている事に気付いた。
「……あなたはシュウの大切な人、ですよね?」
百々加が言うと、ナツは苦笑した。
「シュウはまだそんな事言ってるの? 本当、妙なところで義理堅いな。それとも負い目なのかな。一番肝心な時に役立たずだったから」
「……役立たず?」
百々加は眉をひそめた。
「そう。シュウは鑑別所に入っていたからね。ナリがいなかったら、たぶん僕は今頃、生きていなかったよ」
そう言ったナツを、百々加は無言で見つめた。
「……君は知ってたの、子猫ちゃん」
ナツが不思議そうに、首を傾げた。
「子猫……?」
百々加は微かに眉をひそめた。
「君は捨てられた猫みたいだったからね。それより、知ってたの? シュウの過去のこと。アイツが、そうそう自分の打ち明け話をするとは、思えないんだけど」
「知らないですよ、シュウの事は何もかも」
百々加は冷徹な声で言い放つ。
「シュウは、肝心な事は何も話してくれませんから」
「そう、やっぱりね」
ナツは嬉しそうに笑う。
「アイツは、昔からそういうヤツなんだよね、秘密主義で。だから妹を殺すハメになったのに」
ナツの言葉に、百々加は眉間に皺寄せた。
「……何故、そんな事を言うんですか」
ナツはニッコリ笑う。
「事実だからだよ」
「だとしても、言って良い事と悪い事があると思いますけど」
「何故、君は怒るの?」
「あなたがシュウを誹謗中傷するからです」
百々加はキッパリと答えた。
「だけど事実だよ?」
ナツは不思議そうに言う。
「それでも」
百々加はナツを睨む。
「それは、あなたが公言して良い事だとは思いません。少なくとも、名誉毀損にはなりますよ、事実でも」
「庇うんだ、あの犯罪者を」
ナツはクスクスと笑った。
「僕がもし証言していたら、精神疾患がなければ、重犯罪で更生の余地なしって判断されて、成人並の実刑判決を受ける筈だったのに」
百々加は眉間の皺を深くした。
「あなたはそうやって、シュウを脅していたんですか?」
不機嫌な口調を隠さずに言う百々加を、ナツは興味深げに見ながら笑う。
「違うよ。最初にシュウの本性を見抜いたのが僕で、だけどシュウを化け物呼ばわりしなかったから、勝手に恩義に着てるんだよ。まるで刷り込みか洗脳されたみたいにね。気持ち悪いくらいに」
ナツの言葉に、百々加は顔色を変えた。
「気持ち悪い?」
百々加はナツを睨み付けた。
「気持ち悪いよ」
ナツはあっけらかんと言った。
「突き離しても、意地悪しても、それでも慕ってくるんだもの。気持ち悪いよ」
百々加はブルリと肩を震わせた。
「……良くそういう事が言えますね」
「だって気持ち悪いんだもの」
ナツは子供のような口調で言う。
「いっそ死んでくれないかなと思うくらいに、気持ち悪いね」
ナツがそう言った時だった。百々加が激昂しそうになったその時。
「気持ち悪いとか、死んでくれってのは、あんまりでしょ、ナツ」
明るい男の声が降って来た。
「シュウ!?」
「どうも」
民家の塀の上を平均台のように歩き、途中で宙返りして着地する。百々加は呆然と、ナツはしらけた顔でシュウを見ている。
シュウは首を傾げた。
「ウケなかった?」
「……そういうところがわざとらしくて、すごく嫌なんだよね」
ナツが言った。
「センス悪い?」
シュウが聞き返すと、
「最悪だね。死んだら直るかもよ? 一度試してみたら」
とナツは言った。
「生き返る保証がない限り、やる勇気はないなぁ、残念だけど」
と軽い調子で言って、シュウは百々加を抱きしめる。
「大丈夫? 怪我とかしてない?」
シュウは心配そうな顔で百々加に尋ねた。
「……シュウこそ」
百々加がかすれた声で呟くと、
「俺? 俺は見ての通り平気だけど」
とシュウは笑った。それからシュウは、ナツに向き直る。
「それよりさ、ナツ。あんまりイジメないでやって欲しいんだ。俺はまぁイイけどさ、それ以外の連中には、手を出さないでやってくんない?」
シュウが言うと、ナツは不機嫌そうに眉をひそめた。
「僕に意見するんだ?」
「うん、悪いけど。義理とか愛とか色々あるんで。できればお願いしたいんだけど」
「できれば、ねぇ?」
ナツは顔をしかめた。
「そういう事言うんだ?」
ナツが言うと、シュウは頷く。
「うん、ゴメン。ナツの事は愛してるし、大事だけど、こいつら家族みたいなもんだから」
「シュウがそんな事言うとは思わなかったよ」
ナツは渋面で言った。
「実の家族ですら、どうでもいいって言ってたくせに。死んでも平気だとか言ってたのに、どうしてそんなこと今更言うのさ」
ナツは非難するような口調で言った。
「今はそういう気分なんだ。そういう事もあると思わない?」
シュウがニヤリと笑って言うと、
「つまんない事言うようになったね」
とナツは不機嫌そうに言った。
「うん。俺、つまんない男だから」
シュウがニッコリ笑って言うと、
「……言動がいちいちサムイんだけど」
ナツは嫌そうな顔で言った。
「シュウ」
百々加が心配になってシュウに呼びかけると、シュウは笑って頬にキスした。
「ちょっと待っててね」
「シュウ!」
百々加は赤くなって叫んだが、シュウはマイペースを崩さない。
「あのさ、ナツ。ナツの頼みなら何でも無条件でするから、何もしないでやってくれないかな? 奴隷扱いでも、下僕扱いでも良いから」
シュウの言葉に、百々加は蒼白する。
「ちょっと待ってください! 何言ってるんですか!!」
怒鳴る百々加に、シュウはニッコリ笑った。
「良いから、大丈夫。平気だから」
「平気って……!!」
「いや、本当平気だから。ね? ナツ」
シュウが言うと、ナツはにっこり笑って、
「……下僕でも良いの? じゃあ、靴とか舐めてって言っても、してくれるわけ?」
「やれと言うならやっても良いけど、ギャラリーのいるところじゃ、恥ずかしいからイヤだなぁ。俺、照れ屋サンだから。だから、できれば周囲の人達、追い払って欲しいんだけど」
「相変わらずふざけてるよね、シュウは」
「え~? 何言ってんだよ。俺はいつでも本気でマジ。誠心誠意、愛を込めて言ってるでしょ?」
シュウは歌うように言う。
「その言い方が既にふざけてるよね」
ナツは冷たく言い放つ。
「でもさぁ、ナツ。ナツはナツなりに、俺のこと、愛してるよね?」
シュウが笑って言うと、ナツは嫌そうに顔をしかめた。
「気持ち悪いこと言わないでよ」
「だって、嫉妬や独占欲じゃないの? 俺が離れようとしたら、そうやってかまってくるのはさ」
シュウがニヤニヤ笑いながら言うと、ナツは溜息をついた。
「……あーもう、判った。どうせシュウは、僕が何と言おうと、ふざけた事しか言わないんだから。僕がそういう事言われるの、死ぬほど嫌いだって判ってて言うんだし、本当質悪いよね。かなり本気で気持ち悪いよ」
ナツがしかめ面で言うと、シュウはニッコリ笑う。
「じゃあ、どうする? ナツ」
「今日のところは退散するよ」
ナツは苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「っていうかさ、シュウは何が楽しくて、そういう事するわけ?」
「見て判らない?」
シュウの言葉に、ナツは首を左右に振った。
「全然判らない」
「ソレって愛が足りないからじゃないの?」
シュウの言葉に、ナツはますます顔をしかめた。
「シュウのセリフって、いちいち気に障るよね。たまには、まともな言葉喋ってくれない?」
「そう思うなら、ナツはどうして俺にかまうわけ? コレはもう、俺のこと愛してるからとしか思えなくない?」
「……そんな事言ったりするの、シュウだけだよ」
ナツはゲッソリした顔で言った。
「だけど、簡単に済ませようったって、そうはいかないから」
「あ、やっぱりダメ?」
シュウが言うと、ナツは頷く。
「うん、だめ。今日のは、本気で至上最低に気持ち悪かったから、許さない」
「そういう事言うんだ? ナツ」
「うん。じゃないと、ますます調子に乗って、エスカレートするでしょ、シュウは。そういうの、本当に困るからだめ」
「そっか。そりゃ悪かった。ゴメン」
シュウはヘラリと笑って言った。
「じゃあ、僕は行くよ。後はよろしく」
そう言って、ナツは車に乗り込んだ。その途端、隠れていた男達が姿を現した。百々加は気持ちを戦闘態勢に切り替える。
「ゴメン、モモカチャン」
シュウは百々加に向かって頭を下げた。
「……え?」
不意に引き戻され、百々加はシュウを見た。
「本当にゴメン」
シュウはそう言いながら、身構える。それを見て百々加は気持ちを切り替え、シュウに背を向けるようにして、背後からの敵に備える。
「ギャラリーごとお帰り願おうと思ってたけど、説得失敗しちゃったみたいだわ」
シュウは苦笑しながら言った。
「……説得ですか」
「うん。説得してたの、今」
「……判りませんでした」
百々加が言うと、
「いや、あれが日常会話なんだけど、まぁ、細かい事は気にしないで」
シュウは軽い調子で言った。
「……たぶん本気で嫌がってたと思いますけど」
百々加は冷静な口調で言う。
「そうだろうね」
シュウは笑って頷く。百々加は溜息をついた。
「余計に怒らせただけなのでは?」
「いや、たぶん大丈夫」
「たぶん?」
「最初に比べると、数は減ったから」
しかし、二人の目の前に現れたのは、前に十二人、後ろから十七人。
「……そうですか」
百々加は低く呟いた。




