第二十二節 渚 (SIDE:隆司)
(何かもう全てに呪われてる気がする)
それは極論である。だが、隆司にはそうとしか思えなかった。
「高村、お前無口だなぁ」
(誰のせいだと思ってるんだ)
正直、八つ当たりだと判っていて、百々加を恨みたくなった。
(金持ちも嫌いだけど、顔の良い男はもっと嫌いだ。ろくなヤツいないし)
偏見である。
(あー、もう誰か助けて。こいつの口塞いでくれ)
そう思いながら、3年1組の教室の前の廊下へたどりついた時、隣で饒舌に語っていた樹龍がふと固まった。
「げ、渚」
その視線の先には、腕組みした小柄な美少女の姿があった。
「樹龍!」
鈴の鳴るような高く通る声が、辺りに響き渡った。
「どうして1限目の授業をサボったの!」
「いや、昨夜遅くて眠かったから……」
「小学生でも言わないような理由、平然と口にしないでよ!」
(うわぁ……)
嫌な予感がした。隆司はそっと樹龍から離れようとした。その時だった。樹龍が慌てて隆司の腕を掴んだ。
「ま、待て! こっち見ろ! ほら、今日からうちのクラスに来る転入生!」
樹龍がそう言った途端、剣呑な目つきの美少女の視線が、隆司に容赦なく注がれる。氷のように冷たい視線だった。
目が合った途端、声が出なくなった。ギリギリと重い圧力に押し包まれ、呼吸する事すら苦しくなる。全身の血がゆっくり下がって行き、手足の先が冷たくなる。
口の中がひどく乾く。眩暈と耳鳴りに襲われ冷や汗がふきだした。死ねと命じられた気分になって、心臓を素手で掴まれるような苦痛を覚え、うめきよろめいた。
「た、高村?」
樹龍が驚いたような声を上げた瞬間、重圧は消し飛んだ。だが、苦痛の名残で呼吸が苦しく、動悸や眩暈も激しかった。隆司はヨロヨロと廊下の壁際により掛かった。
「おい、マジで大丈夫か? 真っ青だぞ」
「……っ!!」
隆司は声を出せず、あえいだ。
「ヤバイ! 保険室だ!!」
「……随分優しいのね」
来島渚は言った。
「は? 何、言ってんだよ、渚。お前、おかしいんじゃねぇの」
「私に対するよりも優しいわよね」
「おかしな事言うなよ!」
樹龍は本気で怒鳴った。
「そんなの渚らしくねぇぞ。ふざけるな!!」
その言葉に、渚はハッとした表情になる。
「あ、ご、ごめんなさい。何だか気分が悪くて」
「はぁ? 気分が悪い? 気分悪いのはお前じゃねぇだろ、高村じゃん」
「……そうね。ごめんね、樹龍。私、最近おかしいの」
動揺しているのか、人形のように虚ろな瞳で渚が言った。隆司はあえぎながらそれを見て、何故かゾッと身震いした。
「高村、大丈夫か?」
隆司は渚から視線を外せない。すると渚が申し訳なさそうな笑みを浮かべて、隆司に手を差しのべる。
「大丈夫? 高村君」
優しい聖母のような微笑み。
(え?)
隆司はドキリとした。瞬時に毒気や気分の悪さが消し飛び、身体が軽くなった。
「あ……っ」
体温が少しずつ戻ってくる。全身の汗が引いていく。
(あれ……?)
何もしていないのに、体調が回復していくのが判った。
(何だよ、これ)
身体がフワフワと浮き上がるような気分になる。全身がポカポカと暖まってくる。
(おかしい)
隆司は呆然と少女を見つめた。同い年にはとても見えない幼い顔立ちの少女は、柔らかく微笑んでいる。
「え……な……っ?」
「ってオイ、いつまで見つめ合ってんだよ。体調どうなんだ?」
樹龍が、隆司を引き剥がすかのように腕を掴み、引っ張る。隆司はグラリとバランスを崩しかけるが、慌てて体勢を整え直す。
「だ、大丈夫」
「はぁ? なんで」
樹龍は素っ頓狂な声を上げた。
「ほらね、心配いらなかったのよ」
渚が言った。
「は?」
隆司は目を見開いた。渚はニッコリ笑った。
「樹龍は考え過ぎよ」
「え、ちょ……っ」
隆司が言いかけると、樹龍がニヤリと笑って、隆司の脇腹を小突いた。そして小声で囁く。
「オイ、騙されんなよ。最初の怒鳴り声聞いたろ。アレが本性なんだ。気をつけないとひどい目に遭うぜ」
「ち、違……っ!」
「ちょっと、全部聞こえてるのよ、樹龍。それ以上言うと、ひっぱたくわよ!」
「!」
樹龍はヤバイという顔になる。
「あ、悪ぃ、高村! ちょっと用事思い出した!! またな!」
そう言って、樹龍は走り去った。後には隆司と渚だけが取り残される。
「君は……」
渚は柔らかく微笑んだ。
「来島渚、生徒会会長で、あなたと同じクラスです。後でも良いですけど、学園のシステムを説明がてら、生徒会室で手続きを行って、IDカードを発行します。
このIDカードは私の権限がないと発行できません。カード紛失時はすぐに言ってくれれば、即時再発行が可能です。
ちなみにIDカードがないと、食堂で食券を購入する事も、購買で教科書その他を購入する事すらできません。また、紛失・盗難カードの悪用が最近問題になっているので、くれぐれもカードとIDとパスワードの管理には気をつけてくださいね」
穏やかな笑みを浮かべて、渚が言った。
「…………」
隆司は無言で相手を見つめた。
「君は……いったい何者だ?」
「私は生徒会会長です。そしてあなたのクラスメイト」
「そうじゃなくて」
「あら、違ったかしら」
渚はキョトンとした。わざとらしさはなかった。邪気も感じられなかった。
「あ、そうだ。言い忘れてたわ。来島理事長の姪で、樹龍の幼なじみです。とりあえずこんなところかしら」
渚はニッコリ笑った。不自然さはなかった。違和感もない。先程の事は全て嘘だったといわんばかりに平穏だ。
だが、第六感が油断はするなと耳元で警鐘を鳴らす。
「何なんだ?」
「どういう意味なの?」
渚は理解し難いという顔で首を傾げた。その姿に嘘はないように見える。目の前にいるのは、害のない魅力的な女の子だ。
(何なんだ)
足元の床が崩れ落ちそうな感覚。
「やはり、保険室へ行った方が良いんじゃないかしら?」
耳鳴りに襲われる。だが、先程よりも軽かった。
「いや、大丈夫だ」
隆司はゆっくり立ち上がり、足を踏み出す。
「俺の席を教えてくれないか」
隆司は真っ直ぐな目で、渚を見つめて言った。渚は視線を受け取め、答える。
「窓際の一番後ろの席よ」
ニッコリ渚は微笑む。
「樹龍の隣で、私の後ろの席なの」
「有り難う」
隆司は答えた。




