第二十一節 ヒーロー (SIDE: 百々加)
百々加はだいぶ判ってきたつもりだが、やはり理解できないと思う。シュウはニッコリ微笑みながら、百々加を見つめている。
シュウと出会ったのは、3年ちょっと前だ。怪我と空腹で動けなくなって、地下街の通路の隅でうずくまっているところに、声をかけられた。
『大丈夫?』
周囲の人間は遠巻きにして、近寄りもしなかった。破れたジーンズと泥と血にまみれたTシャツ、穴の空いたスニーカーで満身創痍、痩けた頬に、虚ろな目つき。まともな人間ならば、関わりたくない。
当時16歳だった百々加の目には、シュウは随分年上に見えた。見知らぬ大人。大人は全て敵だと思っていた。
どんなに親切で、寛大そうに見える大人も、百々加が家出していて、野宿を繰り返していると知れば、大抵通報したり、然るべき機関に連絡したりした。
(誰も私を守ってはくれない。誰も私の味方になってはくれない)
そういう意味では、シュウはまともな大人ではなかった。
『危ないよ』
逃げようとして、転倒しかけた百々加を支え、シュウは言った。
『本当に物好きだね、シュウは』
鈴の鳴るような美声が、その背後から聞こえた。
『いっそ、のたれ死にさせてあげれば良いじゃない』
『……そう言うけどね、ナツ』
シュウは困ったように苦笑しながら言った。
『この子、こう見えて女の子なんだよ』
『相変わらず、節操のないフェミニストだね、シュウは』
『節操はあるよ。美人に弱いだけ』
どこか誇らしげに言ったシュウは、百々加の頭を優しく撫でた。
『美人?』
ナツと呼ばれた人物が、不思議そうに、百々加の顔を覗き込んできた。
美しい人だった。綺麗とか美人というよりも、美しいと表現する方が似合うような、そういう人だった。少女のような、少年のような、線の細い、桃源郷から現れたような、男も女も関係なく見惚れるような、華奢で儚げな人物だった。
『シュウの好みって、イマイチ判らないや』
どうやら百々加は、ナツという人のお目がねにはかなわなかったようだ。ガッカリした口調で言われて、何だか泣きたいような気持ちになった。
まるで、お前に価値はないと宣言されたようで。
『汚れを落とせば、悪くないよ。おっとりしているようで、せっかちで神経質なのは、本当に子供の頃から変わらないよね、ナツ』
優しく穏やかな声だった。
『僕はもう行くよ』
ナツは言った。
『もう行くのか?』
百々加を抱きしめたシュウが言った。
『君と違って、暇じゃないからね』
ナツは言った。おっとりした優しげな口調なのに、冷淡に聞こえた。
『君には理解できないだろうけど』
シュウの腕の力が強くなった。
『昔とは違うんだよ。何もかもが』
『……悪かった』
シュウはそう答えて百々加を抱き上げ、ナツに背を向けた。
『さよなら』
そう言ったシュウの言葉に対する返事は、聞こえなかった。シュウが歩いて揺れるリズムは、眠りを誘うにはちょうど良かった。
目覚めた時には、シュウが1人で暮らすマンションだった。手当てはきちんとされており、服は着替えさせられていた。
シュウは何も聞かなかった。百々加が目覚めた事に気付くと、
『腹は減ってるか?』
とだけ尋ねた。百々加が黙って出ていく時も、見て見ぬふりをしてくれた。
後日、再会したのは、飲食店の残飯をあさっている時だった。何故かしまった、と百々加は思った。
シュウはニッコリ微笑みながら、
『美味いか?』
とだけ聞いた。首を左右に振ると、ファミレスに連れて行ってくれた。そういう事が数回あった。
ある日、百々加は知らない男達に襲われた。抵抗したが数が多すぎた。その時、シュウが助けてくれたのだ。
「ヒーローなんてものじゃないでしょ、モモカチャン」
シュウは笑って言った。
「夢見すぎ」
「実際にそうじゃないですか」
「だから夢見すぎだってば。下心あったんじゃ、とか疑わない?」
「下心があったなら、いくらでも機会はあった筈ですよ」
百々加はキッパリ言い切った。
「なんでそう思えるのか判らないね」
シュウは苦笑した。
「シュウは優しいんですよ」
「だーから、ソレがまず大きな勘違いだって」
「別に見捨てても構わなかった筈でしょう」
「それはそうだけど、短絡過ぎじゃない?」
「私はシュウに出会う前に、信用できない大人に、何度か遭遇した事がありますから」
「で、急所蹴り食らわしてやったんだろ?」
「コツを覚えたのは3度目からです。なかなか難しいんです」
「あー、まぁね~」
シュウは困ったように笑った。
「だけど俺は別に、博愛でも正義のヒーローでもないから」
「別にどうだって構わないでしょう」
百々加が言うと、シュウは苦笑した。
「完全無欠のヒーローだなんて思われるくらいなら、節操なしのセクハラ野郎と思われる方がマシだって」
「偽悪的ですね」
「だから違うの、モモカチャン。俺も汚れた大人で、下半身に棲んでる神様に支配されてて、子孫繁栄に励みたくて仕方のない野蛮な生き物なの。世間の常識や法律に従って、清く正しく生きたくないの」
シュウは真顔で言った。
「……そういう事を真顔で言うと、本気だと受け取られて軽蔑されますよ」
百々加は呆れた顔で言った。
「だから軽蔑されてもイイんだってば、モモカチャン」
「だから、そんな事言われたって、軽蔑なんかしません」
百々加が言うと、シュウは溜息をついた。
「いっそ、ムリヤリ押し倒した方が早い気がするよね」
「そういう冗談を人前で言うのはやめてください。通報されたらどうする気ですか」
「困ったね」
心底困った顔をするシュウに、百々加は苦笑した。
「本当に困った人ですね」
「ソレは俺のセリフ。去勢された虎やライオンの気持ちが判る気がするよ。いっそモモカチャン以外の人を口説いて、ハーレム作ってみようかな」
「本当にくだらない冗談が好きなんだから」
「本音だけど?」
シュウの言葉に百々加はクスクスと笑った。シュウは溜息をついた。
「もういいよ、モモカチャン。俺、十分凹んだ」
「何故ですか?」
「モモカチャン、鈍感過ぎ。わざと俺をイジメてるんじゃないの?」
「いじめたりしませんよ」
「……だからもういいって。暫く黙ってて」
シュウは言って、深々と長い溜息をついた。
「ところで頼みたい事があるんですが」
「何? コレ以上俺を凹ませたいの? モモカチャンってばドS? イヤンもう、アブナイ道に目覚めちゃいそうだからヤメテッ」
「いえ、仕事のことで」
「ソレも萎える話だなぁ。けどまぁ、いーや。聞いてあげる。何?」
「サーバを覗いて、プログラム探して、データ見る事って可能ですか?」
「……モモカチャン」
シュウは真顔で言った。
「ソレって料金貰ってもイイかな? できれば現物支給で」
「現物支給?」
百々加はキョトンとした。
「例えばキスとか」
その言葉に絶句した。
「そのくらいのメリットないと犯したくないリスクだから」
「…………」
「口止め料も兼ねて」
「……シュウ」
百々加の声が僅かにかすれた。
「モモカチャンが悪いんだよ?」
シュウはニヤリと笑った。




