雨の日
雨の日は嫌いだ。千尋が出て行った日の事を思い出すから。行かないで、と泣いた私に、
「だから女は嫌いなんだ」
と千尋は言った。
「何かと言えば、すぐに泣くからな」
私は千尋に嫌われるのが怖くて、泣くのをやめた。
「それに子供は嫌いだ」
当時、私は小学六年生だった。
「普段は生意気で、自分一人で生きてるような顔して、都合の良い時だけ甘えてわめいて、泣き付けば済むと思ってる」
私はどうしたら良いか判らなかった。ただ、このままでは千尋に捨てられる、と思った。私と千尋の母が、金と引き換えに私達を捨てたように。
私は、人が何かを決断しようとしている時、何かこれまでと違う行動を取ろうとしている時は、必ずといって良いほど察知する。それは勘としか呼びようのない、理由や裏付けが全くない感覚なのだが、この勘だけは、外れた事がない。
おそらく、幼い頃から、周囲の大人の顔色を窺いながら、生きてきたからだろう。そのために、人の感情の変化には敏感だ。
私は、千尋に捨てられる――それは予想ではなく、直感だった。だから、私は焦った。
「大人になるよ。女はやめる。だから千尋、私を連れて行って」
私はそうすがりついた。千尋が出て行く事を止められないなら、私も一緒について行こうと思った。
「足手まといだ」
千尋はそう言い捨てて、冷たい雨の降る中、一人で出て行った。
当時、私が12歳で、千尋も17歳の子供だった。そんな少年が、保護者も保証人もなく、家を飛び出して、何処へ行く宛てがあったのだろうか。
後で知った話だが、私の実父の本家筋の親戚である高久家が、私だけならば、引き取っても良いと言ったらしい。
千尋は、私とは血が繋がっていなかった。私はそれを知っていたけれど。だからといって、それが、千尋と家族として暮らせない理由になるなんて、考えもしなかった。
あの日、私を捨てて行く筈の千尋の背中は、とても悲しそうだった。だから、私は、あれから7年経った今でも、千尋の行方を探している。
私は千尋に捨てられたのではないと、信じているから。