③
両親の形見の「宝石」の力によって、妹と彼女の『お兄ちゃん』=『彼氏』君である青年の奪い合いが、その対象自体を二つに増やしてしまうという形で解決を見てから、数日が経ちました。二人の推測のとおり、願いが叶った時点で、世界自体が『彼氏=お兄ちゃん』が同時に二箇所に存在するという異常な光景を完全に受け入れたようで、違和感を感じていたのは妹と彼女だけ。二人の『彼』本人を含め世界は正常に回り、平凡な日常が続いていました。そして今日も……
「おはよー!」
朝早くから、彼女は『彼氏』君の家に着きます。学校に朝早く着いたほうが色々と面倒ではないからと言うのもありますが、何より彼女のほうも一人で過ごすよりは愛する存在と一緒にいたほうが楽しいからです。いくらお金が普通の家庭よりあるからと言っても、両親がいつも海外各地を巡っていては寂しさは紛らわせません。そして、それを妬んで虐めを受けても、なかなか相談も出来ずにずっと塞ぎ込んでしまっていたのです。だからこそ、彼女にとっても『彼氏』君は特別な存在……それこそ妹に負けないくらいの強い思いがありました。
つい先日までは、その思いが激突し続けていた両者なのですが、今は違います。
「おはようございまーす」
今までずっと彼女に見せてこなかった笑顔を見せながら、中学校の制服姿の「妹」がやって来ました。既にこちらの家でも登校の準備を終えていつでも出発できる様子です。そして、妹の後ろから、待ち望んでいた声が二つ聞こえてきました。
「「おはよう!」」
双方とも一切見分けのつかない全く同じ顔ですが、一方は高校の制服である夏のワイシャツ姿、もう一方は部屋で待機するための私服姿。今まで夢にも見なかった、そしてまさに夢のような光景に、改めて「彼女」はごくりと唾を飲み込みました。そして、こんな光景をいつでも楽しめる「妹」が羨ましい、とも思いました。ただ以前のように憎しみの感情と言うわけではありません。二人の『彼氏』、二人の『お兄ちゃん』という形で、最悪の事態を乗り越えることが出来たのですから。そしてもう一つ、解決方法を「彼女」は既に見つけていたのです。
準備を終えた制服姿の『彼氏』と手を繋ぎ、「彼女」はこの家の主たちに一礼をして、玄関を後にしました。
「いってきまーす」「いってきます!」
「いってらっしゃーい」「いってらっしゃい!」
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学校が終わって、その日の夜。
「へぇ、今の中学校ってこんな事教えてもらってるんだ……」
「ちょっと難しいですけどね……」
憧れの『彼氏』の家は二階建て。一階はリビングや台所などの共用スペースが占め、二階は『兄』と「妹」の部屋があります。その中で「彼女」が現在くつろいでいるのは、数日前まで血で血を洗いかねないほどの絶望的な関係だったはずの「妹」の部屋。いったん争いが解決した後、次第にお互いが非常に似た境遇や経験をしてきたことを知り、あっという間に仲が回復していったようです。それにもう一つ、こうやって『彼氏』君の部屋で寝泊りすれば、妹と同じ時間だけ二人の『彼氏』と一緒に過ごせるという事にもなります。
そんな彼女たちの共通の「趣向」である青年二人は、現在この部屋の隣にある自室にいるようです。先程ちらりと覗いたとき、以前訪れたときよりなんとなく広くなっているように彼女は感じていました。外からの外見には変化が無いようですが、中身のほうはそれなりに状況の変化に対応しているようです。かなり不思議な現象なのですが、同一人物が二人に増えるという驚きには適わないようです。
そして、互いにくつろぐ中で、ふと「彼女」の方から、こんな言葉が飛び出しました。
「……なんか、ごめんね。ずっと」
いつも迷惑ばかりかけて、自分の気持ちばかりを押し通して、相手……「妹」のことを一切考えてこなかった「彼女」。今振り返ると、本当に情けないようなむなしい気持ちでいっぱいのようでした。ただ、謝る必要は無かったようです。「妹」のほうも、同じように彼女に謝ろうとしていたのですから。
「ふふ、私たちは『お兄ちゃん』を思う者同士ですから」
「……そうよね、ふふ」
相手の気持ちを尊重するのは、なんて楽しいことなんだろう。次第に明るい気分になってきた、その時でした。突然、隣の『彼氏』=『お兄ちゃん』の部屋から凄まじい音が聞こえてきたのは。何事かと慌てて廊下を駆け、ドアを開いた妹と彼女の前にいたのは、今まさに取っ組み合いの大喧嘩を繰り広げていた状態で静止している、二人の『お兄ちゃん』=二人の『彼氏』でした……。
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「うーん……」「はぁ……」
数分後、「妹」の部屋の中では緊急会議が行われ始めました。確かに二人の『兄』=『彼氏』が同時に二人存在する、という環境自体は完全に整えられていました。ですが、肝心の『彼』の方は予想よりも複雑な自体になっていたようです。「妹」も「彼女」も、先程までの喧嘩を、以前の自分たちと当てはめていました。一つのものを巡って醜い争いを繰り広げる……互いに思いやる気持ちを無くし、どちらが明日「彼女」と高校に行くか、という事で手まで出てしまう事態になるという……。今後も恐らく似たような状況は発生するでしょうが、そんなことは二人とも望んではいませんでした。自分の『お兄ちゃん』……自分の『彼氏』君とあろう人が、あんな酷いことをしては絶対にいけない、そう考えていたのです。
一体どうすれば良いのか、と双方が思ったとき、その解決手段を双方とも同時に思い浮かべました。
「……あれね!」
「……あれですね!」
基本的にこの「妹」の部屋は誰も入ってこないプライベートルーム。優しい『お兄ちゃん』の方が気を遣って無闇に入ってこないということもあるようですが、そのために「妹」の机の引き出しの中には秘密のものが数多く入っていました。当然「彼女」にも見せられないものもいくつかあるようですが、今回必要なもの……どんな願いでも叶えてくれる緑色の「宝石」はそれとは別の引き出しの中に入っていたようです。
「あれ、なんかちょっと縮んでない?」
「そ、そういえば……」
彼女が指摘したとおり、ほんの僅かですが大きさが小さくなっている事に妹も気づきました。もしかしたら、あの時叶えた二つの願いの分だけ、この宝石の大きさが犠牲になっているのかもしれません。要するに、願いは無限ではなく「有限」の中でしか叶えられないと言うことです。とは言え、勘を尖らせないと分からないくらいの小ささ、まだまだ願い事をたくさん叶えられそうな感じです。
「じゃあ、早速お願いしましょうか。えーと、『お兄ちゃん』が喧嘩をせずに……」
「ちょっと待って!」
一体どうして止めるのか、と少し不満そうな「妹」ですが、「彼女」の言葉を聴いて納得しました。何度もお願いをして宝石を消耗するよりも、複数の願いを一つにまとめて一気に叶えてもらえば良いのではないか、と。実は「彼女」の方も、一つ叶えてもらいたい願い事があったようです。それは「妹」と同様に『彼氏』に関する事柄、しかも双方に得があるという非常に美味しいもの。当然ながら、「宝石」に影響されないように耳元でこっそり呟かれたその内容を聞いて、「妹」は顔を真っ赤にしながらも満面の笑顔を見せていました。いまやこの二人は食う食われるの敵対関係ではなく、完全に同じ志を持った共生関係なのです。
そして、双方ともタイミングを合わせ、同時に願い事を言うことにしました。どうせ同じ願い事なので、そこまで消耗することは無いと見込んだものです。その願い事とは……
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そして数日後。
「おっはよー!」
今朝も早い時間から、彼女は『彼氏』君の家に着きました。普段どおりの日常……といった感じですが、「彼女」はいつもよりも明るい気分です。しばらく泊りがけが続いたので、昨日は久しぶりに我が家に帰って一人ぼっちの寂しさを堪能した後、という事なのですが、それ以上にこの家にはとても楽しみな事があるのです。
「あ、おはようございます!」
「妹ちゃん、おはよう!」
中学校の制服姿の「妹」の方も、どこか楽しそうな表情です。既にこちらの家でも登校の準備を終えていつでも出発できる様子です。そして、妹の後ろから、待ち望んでいた声が四つ聞こえてきました。
「おはよう♪」「おはよう♪」「おはよう♪」「おはよう♪」
全員とも相変わらず見分けのつかない全く同じ美貌や体つきなのですが、右から一番目と三番目の『彼氏』は高校の制服である夏のワイシャツ姿、それ以外の二人の『お兄ちゃん』は部屋で待機するための私服姿……そう、あの夜「妹」と「彼女」は、それぞれの心の中に僅かながら感じていた、思いの人に対する欲求不満をも「宝石」の力で叶えたのです。まさに双方にとって両手……いや、四方に花というまさに楽園のような状態。それに……
「「じゃ、家をよろしく♪」」
「「任せといて♪」」
……こういう状態を見ながら、顔を沸騰させるというのを、サブカルの世間一般では「腐っている」とでも言うのかもしれません。でも、憧れの存在が何人もいて、全員とも喧嘩など無縁の「仲良し」であるというのは、「彼女」と「妹」にとっては非常に喜ばしいことでした。当然ながら、どの『彼』が家に残り、誰が高校に向かうのかも、非常に平和的に決めているようです。
準備を終えた制服姿の『彼氏』二人と手を繋ぎ、「彼女」はこの家の主たちに一礼をして、玄関を後にしました。
「いってきまーす」「「いってきます♪」」
「いってらっしゃーい」「「いってらっしゃい♪」」