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Ⅸ トキオが見たもの

 3



 日菜の目前に、ありふれた住宅街が広がっていた。


 バス通りから一つ曲がり、上り坂に面した敷地に、木造の二階建てアパートがあった。

 日菜に向かって風がそよぎ、街灯からの明かりが、彼女と自動販売機のジュースを照らしていた。

 道を横切る野良猫、ゴミ回収場所の掲示板、赤い消火栓ボックス、どこにでもある風景。

 日菜は深呼吸し、夏の夜の湿気を孕んだ空気を吸い込んだ。

 彼女の頭上で、赤い月がこちらを見下ろしていた。

「やったよ、由紀! 異次元じゃない。本物のトキオのアパートの前だぁー!」

 日菜が叫び、万歳して飛び跳ねた。

 上空を見上げても、転送機の機影や、青い光に包まれたゲートは見当たらなかった。


 日菜は坂道に向かって歩き、トキオの部屋の玄関ポーチに立った。

 前回、ドアホンを押したら、トキオの兄が出てきた。

 今度は、どうなるのか?

 ドアの脇のキッチンの小窓から、蛍光灯の光が零れている。


 由紀がマイクを通じ、日菜に指示した。

「いったん、exitを閉じた。転送機は上空に待機。ほら、行っていいぞ。日菜」

 日菜はイヤホンから、由紀の声を聞いた。

 彼女は首を傾げた。

「一体、どういう原理なんだろうね?」

「おまえが言うな」

 由紀が笑う。

 この不思議な原理を発見するのは、未来の日菜だ。


 日菜は由紀に急かされ、トキオの部屋のドアホンを押した。

「トキオー。日菜だよ。来ちゃった」

 日菜の声が上ずった。

「日菜か? 待って…。今、開ける」

 懐かしい、トキオの低い声がした。

 日菜は濡れた仔犬みたいに、ぶるぶるっと震えた。

 ドアが開き、清潔な白いTシャツを着てインディゴのデニムを履いたトキオが現れた。

 日菜はとうとう我慢できなくなって、トキオに抱きついた。

 紛れもない、トキオの匂い。

 がっちりした筋肉質な腕と、人の好さそうな優しい眼差しのトキオ。

「トキオー!! うわああ…」

 日菜が叫び、強くしがみついたまま、大声を上げて泣き出した。

 トキオは呆然としながら、彼女を受け止めた。

「ひ…日菜!? どうしたの!? 髪切ったんだ?」

 トキオはさっきまで一緒だった日菜がアパートまで訪れ、とてもびっくりした。

「ま、入れよ。どうしてそんなに泣いてるの?」

 困惑気味のトキオは日菜の背を押し、狭い部屋へ連れて入った。


 トキオの部屋は以前と同じ、青いボーダーのカーテンに、青いチェックの布団カバーが付いた布団が敷きっ放しで、大型テレビが一番場所を取っていた。

 テーブルの上にはノートPC、飲みかけの緑茶のペットボトルがあり、棚にはバイク雑誌と物理の本がぎっしり並んでいた。

 日菜はトキオの部屋を眺め、少し安心した。

 やっと、本物のトキオに会えた。

 日菜はすぐには泣き止むことができず、しばらくしゃくりあげた。

 彼女がちっとも喋れないので、由紀が端末のスピーカーを通し、トキオに直接話しかけた。

「トキオー。俺だよ、俺。由紀。俺も一緒に来てるんだけど、今回は声だけ。チッ、やっぱ、二人乗りの転送機を作りたかったな…。トキオ、今度会ったら、とりあえず殴らせろ。二、三発。こっちはおまえのせいで、ひでぇー目に遭ってんだよ!」

 由紀の声を聞き、トキオは顔を綻ばせた。

「由紀か。相変わらず、口だけは強気だな。おまえ、今、アメリカ留学だろ? これ、国際電話か? スカイプ?」

 日菜がティッシュを借り、鼻をかんで、続きを説明した。

「トキオ。私は2012年の7月6日の日菜じゃないんだ。この時間の私は、自分んちに居たよ。今、ここにいる私は、1年後の8月25日から来たの。私は7月7日の夜にトキオとはぐれてから、もう一年以上、トキオと会ってなかったんだ。だから、転送機を作って、過去のトキオに会いに来たんだよ!」

 日菜が涙を流しながら語った。


 トキオはこの不思議な話を、すぐに理解できた。

「なるほど。じゃ、明日の逃亡は失敗に終わるってことかな? 日菜、どうやって転送機(トランスファー)を作った!?」

 日菜は顔をくしゃくしゃにして泣き顔を作り、

「トキオだけ、未来に連れてかれる。私は無事だよ。トキオは未来で、転送機の設計図をコピーして、Z市の由紀んちの別荘の裏山の、タイムカプセルに隠したの。私と由紀がそれを掘り出して、コバとケッズさん達で転送機を作った。世界初の」

 と、一生懸命に説明した。

 最後の部分では、誇らしげに微笑んだ。

「へぇ、小林教授とケッズ? まあ、大体わかった。明日、もし未来に連れてかれたら、設計図をコピーして、過去に隠しに戻ればいいんだね? うん、ちゃんとやるよ」

 トキオが頷いた。

 日菜は涙をティッシュで拭き、本題に入った。

「トキオ。何があったのか、聞きに来たよ。トキオは未来の自分と、何を話したのか…。…ねぇ、トキオ。もしかして、未来人のノグチって男の人と出会わなかった?」

 日菜が一息に核心へ迫った。

 トキオは恐ろしいものを見たように、顔を引き攣らせた。

「日菜、ノグチを知ってんの!? …それって、ここに来るまでに…、ものすごく苦労したってこと!?」

 トキオが焦って、冷や汗をかいた。

 日菜はこの一年を振り返った。

「トキオがいなくなった後、トキオの記録が全部消された。トキオは最初から存在しなかったことになって、みんなの記憶からトキオの部分が削除された。…私は記憶喪失のふりをして、記憶の削除を免れた…。でも、今じゃ、殺人事件の容疑者にされて、警察から追われてる。…ねぇ、トキオ。全部話して!」

 日菜がぶちまけた思い。


 トキオは急に泣き出した。

「俺が日菜を、そんな悲しい目に遭わせるのか…」

 彼はゆっくりと、事件の真相を語り始めた。




 4



 事の顛末を思い出しながら、トキオは低い声でぼそぼそと話した。

「元々、未来人の友達がいた。一年ぐらい前から、時々会うようになった。変な奴だと思って、余り相手にしなかった。…未来から来たとか、未来を知ってる…とか言うんだ」

 トキオは遠い目をして宙を見据え、自分の世界へ入っていった。

「そいつは俺のことを、未来の歴史的偉人って言ったり、世紀の虐殺者って呼んだり…。まともじゃない。俺はこいつ、バカだと。少々おかしいとか思いながら…、たまにバイク仲間と一緒に飲みに行ってた……」

 トキオは時間をかけて思い出しながら、ぽつり、ぽつりと語り、また休んだ。

「そいつが本当に未来人だとわかったのは、今年になってから。UFOを見せるって言うんだ。頭が痛くなるような話さ。つきあってられないと思った。…そしたら、壁に穴が開いて、青い光が噴き出した。青い光が虫みたいに蠢いてる。金属が青いゲル状のものでコーティングされてて、そいつが光ってる。…どういう仕組みなのか、気になって、壁の穴に思わず頭を突っ込んでた」

 トキオが言う場面を、日菜も想像しながら聞いていた。

「後ろから押されて、内部に入った。俺は質問したんだよ、なんで壁の中にこんな部屋があるのかと。そしたら、そいつが言うんだ。壁の中だって!? 何言ってるんだ。この窓から、外を見てみろよ。…俺は半信半疑で、窓の外を見た。…ああ…、その部屋はY市の上空千メートルの高さで、宙に浮かんで静止してた…。腰が抜けたよ。さすがに、あの時は……」

 トキオは溜息をつき、流れる汗を拭った。


 こんな話、誰が信じてくれるだろうか?

 トキオもその時は、夢かと疑った。


「この科学が地球人のものだなんて、ピンと来ない。しかも、その男は…、この乗り物を発明したのは、おまえだと…俺に言うんだよ。有り得ないよ。俺には全く、その原理もシステムもわからない。何故、部屋が宙に浮いてられるのか?」

 トキオは今も納得してない。

 彼はテーブルの上のペットボトルのキャップを開け、緑茶を乾いた喉に流し込んだ。

「ある日、UFOが故障したんで、修理を手伝ってほしいとそいつが言う。おまえが発明するものなんだから、修理できるはずだって。…とても無理だと思った。…でも、椅子の下を開けてみると、意外にシンプルな構造で…、他の椅子を見ながら、それに合わせて修理できてしまった」

 トキオは汗をいっぱいかき始めた。

 部屋のエアコンの調子が悪そうだ。

 日菜も、汗が背中を流れた。

「友達が未来に遊びに来いと、誘ってきた。俺も興味が湧いてきて、最初は断ってたのに、遂に一回、未来へ行った。21世紀のいつなのか、正確には知らない。…そこはまるで、夢みたいな世界なんだよ。ガンも治るし、エネルギーの心配はないし。科学が進んで、科学者も大事にされてて、環境をクリーンにする技術が目覚ましく進歩して、温暖化もない。俺は未来のバイクや、車を見た。未来のニュースを見た。…戦争をやってた」

 トキオが唸った。

 彼は何かを拒絶するように、眉間に皺を刻んだ。


「戦争! 戦争だ! 日本も参戦してた。…友達は、戦争なんか関係ないと言う。…国が戦争してても、自分達は豊かで、安全なんだって。…誰が戦争に行ってるんだ? 自衛隊か? 違う。…汚染地のクズだ、と友達が言った。突然変異の、人間の亜種みたいなもんで、野蛮で知能が低くて戦闘好きだから、あんなのが死んでも問題ないって」

 トキオはぶるぶる震えた。

 彼の脳裏では、その時見たニュース映像が鮮明に蘇っているようだった。

「俺は汚染地へ行ってみたいと話した。友達はすごく嫌がった。日本のあちこちに、汚染地があるんだ。九州と沖縄は中国だ。北海道はロシアに奪われてしまってる。何が原因で、こんなことになってしまったのか? 俺も調べた。…原因は、俺だった。…俺が転送機を発明して、世界が一度、崩壊した」

 トキオは恐怖の淵に落ちた。

 恐怖が彼の双眸から光を奪い、絶望の暗い影を広げていった。

 日菜は沈黙し、何も言葉を挟めなかった。

「現代に帰ってからも、苦悩し続けた。きっと、未来の人達は、俺を殺したいぐらいに恨むだろう。俺のせいで戦争に敗けて殺された人達と、俺のせいで戦争に勝って、歴史を作り変えた人達がいる。俺はいつ、暗殺されてもおかしくない。気が変になりそうだった。…そんな時、ノグチと出会った」

 トキオの膝が震えていた。

 日菜は話を聞くことが、気の毒になってきた。

「ノグチは俺のことを、すごく恨んでた。戦争で、ノグチの父親と婚約者が死んだらしい。彼は俺を責め、俺をどこまでも尾行(つけ)回した。何度も追ってきて、ゾッとするようなことを言うんだ。…彼が悪いわけじゃない。でも、俺にどうしろって? 俺はまだ、転送機を発明してない。まだ誰も、俺のせいで死なせてない」

 トキオは泣き顔になった。

「…何もかも、嫌になった。物理も、設計も。…俺はね、弱い人間だから、少しの間、酒に溺れたんだよ。…何日も飲み歩いて…、とても綺麗な外国人女性と知り合って、一緒に飲んだりして…酔っ払って。…目が覚めたら、その…ロシア人女性と…その…、裸で寝てた」

 トキオは日菜を見ることができず、(うつむ)いてしまった。

「ハニートラップじゃねーか。よくある手に引っ掛かったなぁー」

 由紀が呆れた。


「それ以来、外国人から脅されるようになって。身の危険を意識し始めた。俺はノグチに頼んで、未来の自分と会った。自分がどうするべきか、わからなくて。未来の自分を頼ったんだ。そしたら……」

 トキオが唇を、強く噛みしめた。

 彼の頬を、涙が伝って流れた。

「未来の俺が、俺の未来を語った。俺は未来、自分のした行為…転送機の発明…に責任を感じ、孤独に引き籠っていく。四十歳過ぎても独身で、他の科学者に相手にされず、誰も支えてくれる人もなく、友達もなく、独りぼっちになるんだ…。なぁ、そんな未来を知って、生きてける人間がいるか? 一生、地獄だ。後悔を胸に…。何も希望なんかない。そんな発明したくない。俺は自分の運命から逃げたかった」

 トキオが泣き崩れるのを、日菜は無言で見ていた。

 トキオは落ち着こうと努力し、話の続きに戻った。

「ノグチが、早く転送機を発明しろと、俺に詰め寄ってきた。発明してすぐにそれを渡せば、アメリカが管理するので、世界は崩壊しない、というのがノグチの持論だった。ノグチの父親と婚約者も、死ななかったことになる。そうなれば、日菜には手を出さないと、俺を脅してきた…」

 トキオが日菜を見詰めた。

 日菜はおおよそ、事実を知った。


 トキオは声を張り上げ、テーブルを拳で叩く。

「それは歴史を変えるということだ。アメリカが作る歴史は、俺を虐殺者の苦悩から救うのか? そんな保証はない。アメリカが転送機を戦争に使わないって、そんなキレイゴトは信じない。ノグチは俺を殺してでも、世界の秩序を守ると言った。俺は逃げなきゃならなくなった。他にも次々と、未来人が俺に接触してきた。ある未来人は、俺が将来優秀なエンジニアになるので、今から援助したいとか言ってきた。未来に留学しませんか? って。そんな気分じゃない!!」

 トキオが感情を爆発させ、大声で叫んだ。

 日菜はトキオの握り拳に触れ、彼の手を両手でそっと包んだ。

「トキオ…。それで、私に逃げようって言ったんだね?」

 日菜は眸を潤ませ、小さく(ささや)いた。

 トキオは自嘲し、

「そうだよ…。俺はズルいよ。弱い男だよ、日菜。…独りぼっちになりたくなかった。…それに、俺だけが逃げたら、ノグチや未来人達が、まだ高校生の日菜をいいように言いくるめようとするだろ。心配だった。…日菜、ゴメン。ちゃんと話せなくて」

 と、日菜に謝った。

 日菜は微笑んだ。

「いいよ。誰だって、独りぼっちは嫌だよ。だけど、トキオは独りじゃないよ。私と由紀がいるし。コバやケッズさん、イリエさんも。みんな、トキオの帰りを待ってる。トキオは明日から行方不明になるけど、私達、絶対捜しに行って見つけるから。だから、待ってて…」

 静かだけれども、力強い日菜の言葉を聞き、トキオは励まされた。

 彼は力が湧いてくるように思った。


 日菜は更に、

「それと、もう一つ。ノグチみたいな見方もあるけど、違う目で私達を見て、応援してくれる人達もいる。私が会った未来の日本人は、私とトキオの発明を歓迎してくれてた。兵器としては見てないって。彼等は戦争を悔やんでた。未来はたぶん、絶望ばっかりじゃないよ」

 と話した。

 トキオは嬉しくて、先刻とは違う涙の一粒を流した。

「…強いな、日菜は。ありがとう。救われたよ」

 日菜がトキオの涙を、指で拭う。

 二人は見詰め合い、微笑み合った。


 いい雰囲気のところで、由紀が咳払いをした。

「トキオ、わりィな。俺達、一時間しかねぇんだー。これ、転送機の試作のテストなんだよ。コバ達が心配するから、もう帰るわ。じゃ、またな!」

 由紀が、過去のトキオに別れを告げた。

 日菜は名残惜しくて、もっと延長したいぐらいだった。

「由紀! 俺のいない間、日菜を守ってやってくれ! …あ、おまえ、ものすごいヘタレだったな。頼りないなー」

 トキオが日菜を玄関まで見送り、彼女のマイクに向かって呟いた。

 日菜は涙を堪え、トキオに手を振った。

「トキオ、忘れないで。私達は未来も、ずっと三人一緒だよ!」

 すると、トキオがここに来て初めて、笑顔を見せた。

「来てくれて、ありがとう。未来で、おまえらを信じて待ってる…!」

 日菜は振り向かず、まっすぐ坂道を走り降りた。


 日菜は一つの事実を掴んだ。

 未来で、トキオは日菜の助けを待っているのだ。

 そして、彼女の元へ帰りたいのに、自力で戻れる状況にはない。


 この後、日菜と由紀は、未来でトキオと、宿命的な再会を果たすことになる…。



 




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