ⅩⅧ 襲撃
紅島はようやく、彼が深淵から蘇ってきた復讐鬼であることを理解した。
いつ殺されるかもわからない。
紅島は相手の出方を見るしかなかった。
彼女は話題を変えようとした。
「本物の由紀はどうなったの?」
紅島が小刻みに震えるのを何とか抑えながら、コーヒーを二つ、大理石のテーブルに運んだ。
彼が砂糖とミルクを入れた。
挽きたてのコーヒーのいい薫りが部屋に満ちた。
「由紀とは、アメリカで友達になった。二ヶ月、あいつの仕草や話し方を観察したよ。あいつはバスタブに引っくり返った。二度と起き上がらなかった」
彼はすまして、甘いコーヒーを飲んだ。
紅島は呆然としながら、自分は立ったまま、コーヒーを口にした。
味なんて、わからなかった。
「綾生さん、これから出掛けない? 最後にドライブでもしようよ。トキオとノグチは、ここで好きに殴り合えばいい。俺達はデート。それとも、フロントにセキュリティーコールする!? 警備員が何人か、死ぬことになるけどね」
彼が銃を背中から抜き、銃口で玄関を指し示した。
彼は急に怖い顔になり、
「俺、綾生さんにトキオを渡す気ないんだ。だって、せっかく俺が変えた歴史を修正されかねない。だったら、ノグチに渡す方がいいんだよ」
と、引き金に掛けた指に殺意を込めた。
ノグチはこの時点では生きている。
が、遠からず、どのように終わるか、彼は承知している。
気の強い紅島は、意地でもここに残りたかった。
「バカねぇ。全部喋っちゃって。私の口を封じた方がいいんじゃない? でないと、絶対後悔するよ。ケイ」
ここに残れば、この後、トキオやノグチ、日菜、カノン、モモカが来る。
しかし、彼は、
「言うね? 殺されないとでも、思ってる?」
銃口を、紅島のこめかみに当てた。
紅島は身動きも、呼吸も止めた。
数秒が経過。
彼がすっと銃口を引いた。
「俺はあんたを殺したい。本当に。あんたを殺して、あの検事が泣き叫ぶところを見たいもんだよ、綾生さん。ここで俺に犯されたくなきゃ、出掛けるんだ。好きな方を選びな!」
彼がクロコダイルのバッグを、左手で紅島に向けた。
紅島の護身用の銃が入ったバッグだ。
紅島は長い息を吐き出し、彼の手からバッグを引ったくった。
「今度会ったら、撃ち殺してやる!! クソガキ!!」
紅島が叫び、先に玄関へ向かった。
彼は後からゆっくり歩き、
「会えたらね。もう未来をリセットしてしまうから、俺と綾生さんは出会わなかったことになる。もし、また出会ってしまったら…、リセットが不完全なんだ。俺達のどっちかが死ぬまで、戦うしかないんだ」
彼は紅島のバッグから抜き取った、車のキーを彼女に見せた。
「玄関は開けといて。綾生さん。トキオが入りやすいように」
彼は紅島を、こうして束の間、拘束した。
派手好きな紅島の、真紅の愛車に二人が乗り込んだ。
未来の車は、操縦の手間が要らない。
運転が好きな人間は、マニュアルで乗ればいい。
お年寄りや子供は、カーナビに行先だけ音声入力すれば、自動で連れて行ってくれる。事故の心配もない。
車が目的地に到着するまで、景色を見ててもいいし、寝ててもいい。
彼と紅島はマンションを出た。
きわどいところで、トキオと入れ違った。
彼はターミナルで車を降り、助手席のウィンドーを覗いた。
「綾生さん。永久に会えないといいな。これが最後だと思いたいよ」
彼はリセットが成功することを祈っていた。
「そうね。もう会いたくない…。未来がいい方向に変われば、会わずに済むんだ。…ケイ、私も会わないことを祈ってる」
紅島は彼の顔を見上げ、胸が痛んだ。
「ケイ、日菜ちゃんには手を出さないで。もし、彼女に危害を加えたりしたら…」
紅島が言いかけた時、彼は手を振り、信号を渡っていった。
ⅩⅨ トキオ奪回
1
日菜は焦燥に駆られた。
次の日になっても、まだオーナー達が帰って来ない。
苛立つ翌朝、ようやく伝令役のコハクが戻ってきた。
コハクは焦げ目の付いた、埃だらけのダイブスーツで、ダイニングに飛び込んできた。
「由紀さん!! クッキーさん!!」
コハクは割れたゴーグルを投げ捨て、激しく息を切らした。
綺麗な顔に擦り傷を作っていた。
「作戦部隊は任務を完了。全目標をクリアしました。…したんですが、その後、駆けつけたSATに攻撃されて…各隊、交戦中です! リンさんとリュージさんが紅島を襲撃。こっちも、SATがダイブして来て、交戦中。コウさんはニノさん達を連れて、リュージさんの隊と合流。ロザンさんの隊は現場を離脱して、間もなく帰還します!!」
と、コハクが由紀に報告した。
緊迫した空気が流れた。
その場には、由紀とクッキーの他、日菜やタクト、チェロもいた。
日菜は蒼白になり、オーナー達の身を案じて心臓が速くなった。
「コハク、ご苦労さん。全員無事か?」
「リンさんが撃たれました! 他にも負傷者が…。詳しいことはまだ、よくわかりません」
コハクは辛そうに、由紀に答えた。
由紀の表情が、みるみる険しくなった。
作戦部隊がテロを行ったら、SATが実行犯を捕える為に必ず、過去となった現場に駆けつけて来るだろう。
だから、SATと銃撃戦になることは、最初から予測できていた。
コウはそういう現場からの脱出や、SATの追走をかわす転送のやり方を、前もって考えていたはずだ。
リンが負傷するなんて、何かあったんだろう。
「由紀。行くの? 私も行く!」
日菜が取り乱す。
「やっぱり、ダメだよ。由紀。…人を殺して報復なんて、そんなの、間違ってる。私は嫌だ…。由紀達の未来を知らないのに、こんなこと言ったらムカつくかも知れないけど…、私はオーナー達に…誰も殺させたくない。…オーナーに会いたい。襲撃の前の時点に、連れてってほしい!」
日菜が言うと、コハクとクッキーがぎょっとした。
彼等は日菜に驚かされた。
「もう止められないって、言っただろ!?」
由紀が本気で腹を立てた。
「一つの投げ込まれた石が、どこまでも波紋を広げてったとこだ。おまえがどう|足掻≪あが≫いても、未来は簡単に変化して、作用し合うんだよ。どうにもならねぇー!」
怒鳴りつけられ、日菜は縮こまった。
それでも、彼女は言い返した。
「歴史とか、政治とか、そんな難しいことは知らない。オーナーに会って、話したいの!」
由紀は日菜に苛々した。
「行ってきて、お姉ちゃん。オーナーの様子、見て来てよ。リンさんが大丈夫かどうか、見て来て…、僕らに教えて!」
中学生のタクトが日菜の袖を掴み、揺すって、頼み込んだ。
小学生のチェロは、怖くて震えていた。
オーナーが何者でも、この子供達に関係ない。優しい兄貴、または父親のような存在。
由紀は迷ったが、決断を下した。
「クッキー、コハク、子供達を頼む。日菜、銃を取ってこい!」
由紀が日菜を振り返った。
「うん! わかった!」
日菜はとびきりの笑顔で張り切って答え、すぐさまC室へ走った。
クッキーが由紀の襟を掴み、
「おい!! 交戦中じゃないか! そんなとこ、日菜ちゃんを連れてったらヤバいって! 命令違反になるだろう!?」
と喚いた。
由紀はふっと笑って、クッキーの手を解き、
「行かないと、後悔しそうなんだ。すぐ戻る。悪ぃ」
と囁いた。
2
由紀と日菜が転送室のある、北側居住エリアの会議室へ走った。
そこには既に、ロザンの隊が帰還していた。
隊員は十五人ほど。
ロザンの隊は特に屈強な体格の猛者が揃っていて、その中で一番の若手が高校生のカイトである。
カイトは髭を生やした高校生なので、見た目にはロザンの隊で違和感ない。
全員、黒一色の夜襲用のダイブスーツにミリタリーブーツ、肩からライフルを掛け、武装したままだ。
彼等はアジトの防衛の為、帰還した。
だから、武装を解かないで、この会議室や周辺に待機している。
日菜が知る顔は、カイトの他、常連客だったロザンと東大くんこと、ネイなどである。
この隊の隊長のロザンは、虎を思わせるような威圧感のある、堂々とした巨漢。
腕や肩の筋肉の盛り上がり方は野生の獣のようで、脂肪がなく、金属のように硬く引き締まっている。
ロザンの話し声は、虎の咆哮を思わせる。
重低音でよく響き、大きな声で廊下まで筒抜けになる。
「クソ共を始末してきた」
ロザンは由紀を見るなり、咆哮を聞かせた。
「ご苦労さまです…」
由紀が言う。
彼等が何人かいるだけで、椅子が十脚ある会議室が狭苦しく感じられる。
張り切って出発したカイトが、げっそり頬がこけ、疲労を滲ませて椅子に座っていた。
日菜はまたカイトが、腹を空かせてるんだと思った。
カイトは返り血を浴びたらしく、黒いダイブスーツに染みは目立たないが、顔や髭には血を拭いた跡がまだ残っていた。
カイト自身は怪我なかったけれども、死体をたくさん見た衝撃で、精神的に参ったような顔をしていた。
「カイト、今日の夕食はハンバーグだ」
誰かがカイトをからかう。
「やめとけ」
ロザンが窘めた。
彼等の前を横切った日菜に、ロザンが言った。
「お嬢ちゃんも行くのか? 戦場に?」
日菜はおどおどして、返事に窮した。
「コウと合流しようかと」
由紀が一言で答えた。
「コウさんと? コウさんなら、今さっき、会った。例の…現場にいる。時間は午後八時ジャストだ」
ロザンがコウの居場所と時点を教えてくれた。
由紀は、
「感謝します」
と、丁寧に頭を下げた。
由紀はクローゼットの隠し扉の道を通り、武器庫に立ち寄った。
そこで何やら、リュックと鞄に詰め込み、ブーツを履き替えた。
彼は軽装で、防弾ジャケット等には目もくれない。オシャレな普段着のまま、ダイブに向かうつもりだ。
仲間と同じ黒い戦闘服を着るという、そういう心境にないようだ。
「どうでもいいけど、日菜。そのミニスカートで行くの?」
由紀は日菜の格好を眺めた。
銀色の転送室を行く日菜は、ココアにもらった、ドットプリントの短いワンピースを着ている。
フリル二段のぴらぴらしたスカートで、アクションには不向きとしか思えない。
日菜は下から見上げる由紀の視線も気にせずに、そのぴらぴらしたスカートでタラップを駆け昇り、転送機に搭乗した。
「もう宮島重工の作業服は着ないからね!」
日菜が舌を出した。
由紀は笑った。
「アハハ。…あれ、最高に可愛かったな。いい思い出ができたよ」
笑い方も由紀ではなく、彼は素の自分に返っていた。
彼にそう言われると、日菜は少し、寂しくなった。
「この件が終わったら、どうするの? みんなで未来に帰っちゃうの? とりあえず、あの店に戻るんでしょう?」
由紀はコクピットに着席し、座標の設定を始めた。
「いや、どうだろ。未来がこれで、大きく変わることになると思うから。変化した未来は予想もつかないけど。もし、俺達の時代がいい方向に向かえば、過去に難民になって逃げて来ないだろうし…。まぁ、何も変わらなかったら、コウと一緒に、また何度でもプランを練り直す。例え、テロと言われても…」
由紀の意志は固そうだった。
「百億人の為に、一億人ぐらい殺しちゃうの?」
日菜が質問する。
由紀は戸惑い、
「これは未来から過去への復讐。この時代の奴等も、思い知ればいいんだ。俺を撃ちたきゃ、撃っていいよ。その銃で」
と、日菜の太腿のガンホルダーを指差した。
「そうだね。早く出発しろ、バン!」
日菜が手で銃を構えるポーズをし、由紀を撃った。
由紀は胸を押さえながら、撃たれたふりで笑った。
その途端、日菜が何か閃いた。
「あっ……、今、何か……、わかったかも知れない」
日菜は座標を覗き込み、唸った。
「全部じゃないけど…なんとなく…もしかしたら…」
日菜は言葉に纏まらない、散発的なイメージが湧くのを、整理しようとして黙った。
「統一理論、来たか? ノートを持ってきてやろうか?」
由紀が茶化す。
「いい。後で考える。転送しちゃって」
日菜は一分一秒も惜しくなり、由紀を急かした。
「思いついてくれただけで、充分。日菜、これでまた未来が変わったんだ」
由紀が三秒前から秒読みを開始した。
「3、2、1、…着時したよ」
彼がシートベルトのロックを外した。