表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/23

ⅩⅦ 紅島の自宅で

 3



 昼頃、由紀の悪友クッキーが来た。

 イチゴ色の前髪を鬱陶しいぐらい目元に垂らし、サングラスを襟に引っかけ、クッキーは今日もちょっと、いかれた格好をしている。

 肩には大きな鞄を担ぎ、キャリーも引っ張っている。

 移動中のスタイリストみたいだ。

「クッキー、すごい荷物。何入ってるの?」

 日菜が、A室へ荷物を運ぶのを手伝う。

 A室にはピヨが暮らすが、まだベッドが一つ、余っていた。

「これ全部、俺の着替えと変装道具だよ」

 クッキーが得意げに話した。

 しかし、日菜は悲鳴を上げた。

「えーっ!! 何泊するつもり!? そんなに長くオーナーいないなんて、寂しいよう!」

 日菜が嘆くと、モテない男クッキーも嘆いた。

「俺じゃ、ご不満!? 遂に作戦部隊が動くからね。ここまでお膳立てした俺と由紀は、休みなの。ここからがクライマックスなんだけどねー」

 クッキーは日菜が全部知っていると思い、べらべら喋ってしまった。

 日菜は愕然とした。

「やっぱり、オーナーがリーダーなの!? 作戦部隊…って、何するの? それって、ヤバい?」

 日菜は夜中、オーナーと別れた時のただならぬ様子を思った。


 クッキーは荷物をA室に入れ、デスクにPCを出した。

「俺達、いつでもヤバいんだよ。未来からの難民は、見つかり次第、射殺される。資産家は過去に亡命できるのに。ズルいよなぁ?」

 クッキーはデスクの椅子に座り、溜息をついた。

「オーナー、何をしようとしてるわけ?」

 日菜はなかなか、部屋の入口から去らない。

 出された質問に、クッキーは丁寧に答えた。

「俺達の時代の政治家が、過去に亡命してんのさ。何の責任も取らないで、ヤバくなったら一番に逃げ出した。そいつらのせいで、俺達はとんでもない目に遭わされたんだ。大勢死んだよ。俺達の家族も友達も…、戦争に連れてかれた奴はみんな…。その鬼みたいな、悪魔みたいな政治家どもが、俺達の最後のターゲット。死んだ家族の報復だよ」

 クッキーの話を聞く限り、日菜は何が正しいのか、わからなくなった。

 彼等のやろうとしていることは間違っているが、彼等自身も被害者だった。

 何を批判したらいいか、何が真実で何が正義で、そんなことさえ暗くて濁り、見えなかった。

「他にいい方法はない? 転送機を使っても、どうにか出来ない?」

 日菜は息が苦しくなる。

 報復なんて言葉自体、ショックだ。

 オーナー達がそんなことを考えていたなんて。

「うーん、日菜ちゃんとトキオを殺したら…、未来は転送機が発明されなかったことになって…、戦争も起きないかも。俺達の時代も変わる。あ…、ゴメン、ゴメン。俺達、ちゃんと話し合って、その方法はなるべく避けようって決めたんだ。だって、日菜ちゃんとトキオは悪くない。俺達は一番悪い奴等を、一番苦しめる方法を選択した。へへへ…」

 クッキーが話した内容は、日菜を苦しめた。

 以前、ノグチも、日菜とトキオを殺したいぐらい憎んでいると言った。

 ノグチにとって、日菜達のせいで彼の父親と婚約者が死んだのも同じなのだ。

 そのことはきっと、ノグチ以外の大勢にとっても同じで、転送機がもたらした戦争が、とても多くの人々を苦しめたのだと痛感させられる。


 そこへ、由紀とコハクが通りかかった。

 コハクは黒一色の、ポケットやジッパーがたくさん付いた戦闘服のようなものを着て、黒のミリタリーブーツを着用していた。

「コハクくん、何!? そのカッコ!?」

 日菜は目を丸くして叫んだ。

 それは夜襲用のダイブスーツだった。

「日菜さん、わかったんですよ! 例のワクチンの買占め事件! 新型インフルエンザの感染患者を、未来からこの時代に連れ込んだ女がいるんだ! Y市の病院の院長で、大原って女だよ」

 コハクがわざわざ、知らせに来た。

 コハクは作戦部隊の出発間際に、息を切らし、日菜のところへ走ってきたのだ。

「大原院長ー!?」

 日菜が大声を上げた。

 彼女がトキオとはぐれた事故で運ばれた救急病院、そこで穂高医師を愛人にしていた女医の顔を、日菜は今はっきりと思い出した。

「日菜さん、その女を知ってるんだ? そいつ、例の製薬会社とも繋がってたよ!」

 コハクは色白の顔を上気させ、興奮して報告した。

「コハク、よくやったな。あの病院の穂高って医者、賞金目当てにトキオを確保しようとしてたし、未来と繋がってそうだ。本命だな」

 由紀は新型インフルエンザのウイルスがばら撒かれた真相が解り、情報を集めたコハクをほめた。

 コハクは由紀にほめられ、とても喜んで部隊へ戻っていった。


 日菜の握った拳が、怒りに震えた。

「許せない。大原…」

 日菜が歯軋りした。

 小林教授と、多くの無関係な人々の命が失われた人災。

 いや、これは生物テロとも言える。


 しかし、由紀はそんな日菜の(たかぶ)りを冷静に眺め、

「俺が言ってた秩序の崩壊って、こんな感じなんだよ。みんなが金の為に、好きなことをやり始める。そんな事件がこれから山のように起きて、世界がグッチャグチャになっていく」

 と、現実を彼女に突き付けた。

「最後に誰かが勝ち残るまで、混乱が続くんだよ」

「イヤだ!!」

 日菜が耳を両手で塞いだ。



 日菜と由紀は午後から、リビングでテレビのニュースを見ていた。

 新型インフルエンザで、人がバタバタ死んでいく。

 通りから人が消えた。世間話や、笑い声も消えた。


 臨時ニュースで、アメリカのホワイトハウスの報道官が、

「日本は大量殺戮を目的とする新型戦略兵器を極秘に開発。再びファシズムへ傾倒しようとしている」

 と、発言したと速報が流れた。

 それが転送機のことだと、由紀が日菜に教えた。

 日本政府は躍起になって、血眼で日菜を捜していた。

 テレビのニュースで連日、日菜の写真が報道され、街のあちこちに写真が貼られた。



 二日経ち、夜が更ける頃、日菜はチェロの(すす)り泣く声で目を覚ました。

 オーナーの部屋の前で、パジャマ姿のチェロが、

「お姉ちゃん、オーナーがまだ帰って来ないよー。オーナー、死んじゃうの? もう帰って来ないの?」

 と、泣きじゃくった。

 日菜はまだ幼いチェロを、ぎゅっと抱きしめた。

 彼女も泣きそうだった。


 翌朝、元気のないタクトとチェロを学校へ送り出し、日菜は次第に辛くて堪らなくなってきた。

「オーナー達の帰り、遅過ぎじゃないー!? 襲撃って、こんなに時間かかる!?」

 日菜は抑えきれなくなった気持ちを、由紀とクッキーにぶつけた。

 由紀はあっさりと答えた。

「何かあったかもね。そのうち、連絡入るだろうけど。…まあ、普通に考えて、SAT(サット)に追われてるんだろうなー」

 SAT、警察の対テロ特殊部隊だ。

 日菜は最悪の事態を考え、びくびくした。

「オーナー、私には知り合いの結婚式に行くって言ったんだよっ!」

 日菜は頬を膨らまし、()ねた。


「だから、紅島の結婚式じゃないか。その日に襲撃を決行したんだよ。歴調の奴等、その日に揃って休み取って、教会に集合してんだぜ。間抜け面して」

 由紀とクッキーが爆笑した。

 日菜は爆笑の意味がわからない。

「な、紅島って、すごい美人だけど、相当凶暴なんだってな。新郎、知らないのかな。気の毒に」

 クッキーが由紀に尋ねた。

「俺は紅島と結婚するぐらいだったら、(ワニ)と結婚するね!」

 由紀は紅島が、鰐より獰猛(どうもう)だと言いたいらしい。

 男二人で、また爆笑する。

「由紀、聞いて。リンがね、トキオを未来の東京で見たって。紅島さんと並んで歩いてたって。…紅島さん、ノグチからトキオを取り戻してくれたんじゃないかと思う」

 日菜は真面目に話しているのに、由紀とクッキーは笑いが止まらない。

 由紀はリビングのソファーから転げ落ちそうになりながら、

「いや、そんなはずないよ。まだじゃないかな…」

 と、手を大袈裟に振った。

 即座に否定され、日菜はムッとした。

「なんでわかるの?」

「わかるさ」

 クッキーが間に入った。

「紅島のことは、由紀が何でもよーく知ってるんだ。スパイで紅島に半年も、べったり張り付いてた時期があったからね」

 クッキーが由紀に代わり、説明した。

「それじゃ、どうして紅島さんは、由紀の正体に気付かなかったの!? モモカよりニブいってこと!?」

「そんだけ、顔が以前と違ったからだ。俺様が作ったマスクの威力ってことだな…」

 クッキーは由紀をほめるようで、自分を称えている。


 聞いていた由紀から笑顔が消え、吐息が漏れた。

「最近、紅島と会った…。だから、もうバレてる…」

 由紀が(うつむ)いて白状し、クッキーは目を()き、唾を飛ばして叫んだ。

「はぁ!? 何、それ!? コウさんに報告したか? ダメだろぉー!」

 クッキーに肩を掴まれ、由紀は苦々しく呟いた。

「ああ。でも、いずれバレるし。先に紅島を殺そうかと思ったんだけど、襲撃の前にトラブルはマズいだろ? その時、トキオは紅島と一緒じゃなかった。本当」

 由紀が日菜とクッキーの両方に言い訳した。

 日菜は悔しく思った。

「私に内緒で、一人で紅島さんに会いに行ったんだ? ズルい…」

「まぁ、なんて言うか、…別に会いに行ったわけじゃ……」

 日菜に睨まれ、由紀が狼狽(うろた)えた。




 4



 日菜から電話をもらい、トキオが自宅を訪ねたことを知った紅島は、先回りしてトキオを待ち伏せしようと考えた。

 紅島はダイブし、日菜達が自宅に来た日の昼間まで、時間を遡った。


 自宅にはまだ、トキオは到着していなかった。

 未来から来た紅島は自宅に入り、猫を膝に載せて、トキオを待っていた。

 妹は出勤している。

 その日の自分は公休で、婚約者の家に出掛けているはずだ。


 ドアホンが鳴った瞬間、紅島はトキオが来たと思った。

 モニターに映し出されたのは、男の黒いジャケットの肩の部分と、黒い帽子の(つば)の部分で、顔はカメラから死角を向いていた。

 紅島は気にも留めなかった。

 何故なら、彼女のフィアンセの声で、

「綾生ー、俺ー。ちょっと、忘れ物。ドア開けてー」

 と、男が言った。

 紅島はそれを信じた。

「何よ? どうしたの?」

 彼女はすぐに玄関ドアを内側から開けた。


 ドアを開けた紅島は、そのまま硬直し、声を失った。

「ダメだなぁー。そんなに簡単にドアを開けちゃうなんて。綾生さん、言っとくけど、幽霊じゃないよ」

 立っていたのは、フィアンセではなかった。

 シンプルだけど、組み合わせ方が絶妙に上手い、オシャレの上級な着こなし方で、黒いスーツ姿の二十歳ぐらいの男が入ってきた。

 シャツとジャケットの間に見えるベストが、地味だけれど、いい色だった。

 帽子がちょっと斜めで、片耳にシルバーのピアスが連なっていた。

 彼は可愛らしく悪戯っ子のように笑い、勝手に上り込んできた。

「お邪魔しまーす。アレキサンダー、元気だった? おまえ、久し振りだな」

 彼が猫の頭を撫で、呆然と立ち尽くす紅島の前を通り、リビングに入った。

 広々としたリビングの床が大理石で、中央に純白のふわふわのラグが敷かれ、純白の革張ソファーが向かい合っていた。

 窓側に背の高い、熱帯性の観葉植物の鉢植えが並び、白い蘭の花が咲いていた。

 部屋は白を基調として、濃い緑が目に鮮やかだった。

「トキオ、まだ来てないんだね。ま、話してるうちに来るよね? ちょうどよかった。久し振りだから、俺はゆっくり話したいんだけど、ねぇ、綾生さん。コーヒーでも淹れてよ」

 彼は純白のソファーに座り、クッションを並べ替えて自分好みのポジションを作り、脚を組んだ。


 紅島は幽霊を見るような目つきだった。

「い…生きてたんだ。ケイ…?」

 紅島は未だ信じられないように呟く。


 あれは、半年前。

 彼は銃で首を撃たれ、血を噴きながら、銀色の深淵に落ちていった。

 

「ちょっと! あんた、何しに来たの? なんで私が、あんたにコーヒーなんか」

 紅島はキッチンに行きかけ、戻った。

 彼女の視線が泳いだ。

「綾生さん、何を探してるの? 銃? クロコダイルのバッグに入ってる? ここにあるよ」

 ケイがソファーにあったバッグを持ち上げ、紅島に見せた。

 紅島は窮地に落ちた。

「あんたの目的は何なの? 今度はトキオを狙ってるの!?」

 紅島は仕方なく、コーヒーメーカーの二杯分のボタンを押した。


 スパイラルの長い髪を掻き上げ、彼女はふと思いついた。

「そうか。あんただったのね。誰か、私の他にもう一人、時間の針を進めようとする人間がいると思ってた」

 彼はやんわり否定し、

「俺はそんなんじゃないよ。大戦の勝者が捏造した歴史を本来のカタチに戻そうとしてる、綾生さんの涙ぐましい努力には、敬意を払ってるつもりだよ…。そうなんだろ? 失敗しなきゃいいね…。紙一重で、未来が振り出しだよ」

 と嫌味を言った。

 紅島は彼の毒舌に、不快感を示した。

「私は大戦をなかったことにしたい。あんたと北見コウの目的は、逆。今すぐ大戦を起こしたい。聞かなくたって、わかってる。その振り出しの未来が、お望みなんでしょ?」

 紅島は彼等のことを詳しく知っていた。

「ケイ。あんた達が絡んでるとなると、私も脚本を修正させてもらう。あんた達の思うままにはさせないから! トキオも日菜も、絶対に渡さない……、…あっ!?」

 紅島は話の途中で、彼がトキオを追って、この場に来た意味に気付いた。

「宮島由紀! そうなんだ!? あんた、ずっと日菜ちゃんの傍にいたのね? 由紀に関しては、おかしいと思ってた。この計画の為に用意したような、由紀の自宅の工房とか、転送機の材料の手配が完璧過ぎて…、そういうことだったのか。あんただったら、確かに由紀とそっくり入れ替われる。純粋な日菜ちゃんを騙すにも、打ってつけの役だ!!」

 紅島は動揺を隠せなかった。

 よろめいて壁に寄りかかり、恐ろしそうに彼を見た。


 彼は可笑しくてたまらないようだった。

「なかなか気付いてくれなくて、寂しかったよ。毎日一緒に仕事して、一緒にランチを食べてたのにね。俺の時間では、二年ぶり。懐かしいよ。どう? 身長も少し伸びた。綾生さんと同じぐらい」

 彼は左手をソファーの背凭れに掛け、右手で自分のネクタイをいじった。

「結婚するそうじゃない。おめでとう。売れ残って、悩んでたもんね。相手はあいつだろ? あのワイルドな検事。俺もお祝いしなくちゃ」 

 彼は飾りのようにゆるく結んでいたネクタイを解き、シャツの襟を開いて、首の傷を紅島に見せた。

「あの検事に、このお礼もしなきゃいけないし…!」

 一瞬、彼に殺意が(よぎ)った。

 彼の首筋には、赤味を帯びた傷跡が残っていた。



 

 


 

 



 




 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ