ⅩⅥ 報復
モモカは胸を震わせた。
込み上がる思いでいっぱいになり、言葉が途切れがちになった。
「久し振り…。半年ぶりだね…!? なんでだか知らないけど、…今は由紀くんなんだよね…!?」
モモカが無邪気に喜ぶので、由紀もとうとう吹き出した。
「おまえの方が半年しか経ってなくても、俺の方はあれから二年経ってるんだよ」
転送機というものが、二人の時間の経過に差をつけていた。
モモカは言葉に含まれない微妙な空気を汲み取り、深く頷いた。
「うん…。そうだね。短いようで、長かったね…。でも、ケイが…生きててくれて、嬉しい…」
しみじみと呟くモモカ。
由紀のニセモノは久し振りに本名で呼ばれ、
「バカじゃないの? モモカは俺に殺されかけたのに」
わざと冷たく言った。
「バカだもん。あんな大怪我して、生きてるわけないって思ってた。心の中にトゲが刺さったみたいで、ずっと苦しかった…」
モモカは正直に葛藤を話した。
「ねぇ、そこに日菜ちゃん、いる?」
「さぁね。それより、モモカ。ちょっと引き取ってもらいたいものがあるんだ。むさ苦しい荷物」
モモカにはその荷物が何か、すぐにピンと来た。
モモカが息を飲んだ。
「それって、ケッズさんとイリエさんのこと!? 二人とも、無事なの!? 何も条件なしで、私に渡してくれるの!?」
モモカには信じられなかった。
「ああ、邪魔なんだよ。だから、タダでくれてやるよ」
由紀は隣の寝顔を見比べながら、モモカと話した。
彼は自分でも、自分が不思議だった。
他にどうとでも出来たけれど、 確かに、彼等二人をモモカに預けるのが一番安全だと思えた。
「…ありがとう……」
モモカが言葉に詰まりながら、心から感謝して礼を言った。
「敵に礼を言うな、バーカ! 俺はこいつらをおまえに押し付けたいだけ!」
由紀がすかさず言う。
「インフルエンザのワクチンを接種した。念の為、ケッズのベストのポケットに、治療薬も入れといた。港公園前のバス停に置いてくよ」
「え、そんなに近くにいるのー!? だったら…」
モモカが驚いて叫んだが、通話が切れてしまった。
モモカは慌てて、窓を開いた。
バルコニーから身を乗り出し、イチョウ並木の公園通りの方角を見詰める。
建物と建物の間に、葉をよく茂らせたイチョウの大木が見える。
次第に明るくなっていく空と、まだぱらぱらと降っている雨。
あの道の向こう側が港公園で、その向こうは海だ。
この辺りは潮の匂いがする。
公園通りを始発のバスが走っていく。
バス停まで、この部屋からほんの五分の距離だった。
ⅩⅧ 報復
1
日菜は店に戻ってからも、興奮して寝つけなかった。
夜中、ダイニングに水を飲みに行くと、今から店に出る格好のオーナーと会った。
「あっ、オーナー。おはようございまーす」
日菜はバイト気分で挨拶した。
相手の素性を薄々知りながら、それを到底信じることのできない日菜だった。
オーナーは拾い癖があり、よく捨猫や捨犬を拾ってくる。
孤児だったタクトとチェロの兄弟も拾った。
怖い猛犬スギノが忠実な下僕のように付き従う姿は、オーナーの人柄の本質を日菜に教えてくれる。
この人は絶対に悪い人じゃないと思う。
ココアやルイ達、店で働く誰を見ても、オーナーに心服しているのがわかる。
それ故に、殺人犯の由紀を受け入れる理由が、彼に見当たらない。
謎は全て解けることになる。
オーナーは日菜の顔を見て、優しい笑顔を見せた。
「おはよう、日菜ちゃん。ちょうど、よかったよ。店のことなんだけどね。インフルエンザが猛威を振るってるんで、今週はもう、臨時休業することにしました。仕方ないよね…。少し留守にするけど、タクトやチェロと一緒に、動物達の世話を頼めないかな?」
日菜はオーナーが大好きなので、喜んで引き受けた。
「わかりました。任せて下さい」
すると、無口なオーナーが珍しく話し込み、
「私達がいない間、男が由紀一人じゃ用心が悪いから、由紀の友人のクッキーも泊まりに来ることになったよ。クッキー、知ってるね? あと、日菜ちゃんには、タクトとチェロの勉強も見てやってほしいんだけど」
と続けて頼んできた。
日菜はそこでようやく、話の隠された部分に気付いた。
「じゃ、コハクくんとカイトくんの高校生コンビも、オーナーと一緒に出掛けるんですか? ルイさんも?」
彼女は怪訝な顔をした。
「知り合いの結婚式に出るんだよ。…スギノは私と一緒。あいつの散歩は、日菜ちゃん達には危ないから」
オーナーは最後まで笑顔で話し、スーツのポケットから紙を一枚、取り出した。
「これ、私達の生年月日と出身地、由紀の本名。…由紀には、内緒だよ。いつか、日菜ちゃんに私達の生まれた時代を見てほしい」
日菜は紙を受け取り、開いた。
白い無地の紙にきれいな字で、オーナーの名前である北見煌、その下に未来の日付、札幌と書いてあった。
オーナーの妹の北見凛の誕生日、バーテンダーの流依、心愛の誕生日と出身地、琥珀…。
順に店の住人達の名前があった。
一番下の行、由紀と書いた後に、八坂京とあり、読み仮名も振られていた。
日菜は由紀の正確な名前と生年月日と出身地を知った。
由紀は日菜が思っていたより、遠い未来の人だった。
彼女は夢中で最後まで読み、じっと文字を見詰めていた。
彼女の眸に、じわっと涙が湧いてきた。
「彼、ケイ…って言うんですね。…イヤだ、オーナー。これじゃ、何だか、最後のお別れみたい。どういうことですか!?」
日菜は心配になり、潤んだ眸でオーナーを見上げた。
オーナーは否定せず、繊細な眼差しで日菜を見詰め、できるだけ誠実に答えようとした。
「いや…、君が知りたいかなーと思って。…由紀とリンのことだけど、心配ないからね。私とリンと由紀、この三人は本当の兄弟なんだ。由紀は母親が違うから、苗字も違うけど。リンは由紀の本当の顔に、若い頃の私の面影を重ねて、それで甘えてるだけだよ」
オーナーが打ち明けた話の途中で、日菜が真っ赤になった。
「オーナー。私、別に、由紀のことなんか何とも思ってないんで…。ヘタレでバカの幼馴染だとばっかり、思い込んでて。ちょっとどころか、かなり別人って、最近わかってきたけど…」
日菜がしどろもどろ言い訳するのを、オーナーは楽しそうに眺めた。
「安心したでしょ? 由紀とリンがつきあってたなんて、嘘なんだよ」
「違いますって。安心って、何ですか?」
日菜はむきになって言った。
由紀の本当の顔がオーナーに少し似ていると知り、俄然、興味が湧いた。
オーナーは床から、銀猫のガルファンを抱き上げた。
「リンは今、店長のリュージといい感じだと思うよ。見てて、なんとなくわかるよ。…日菜ちゃん、ガルファンをよろしく。こいつ、君と同じで、大食いで元気いっぱい過ぎるから」
日菜は仔猫を受け取り、オーナーと出会った日を思い出した。
あれは、オーナーがこの銀猫を拾った日だった。
しばらくして、憧れのオーナーが野良猫に餌をやっていた小汚い男と、同一人物なんだと知った。
その時も、日菜はオーナーの手から、こんな感じでこの仔猫を受け取った。
その夜から何カ月か、この店で家族のように過ごした。
オーナーは素敵なお兄さんで、子供達の保護者だった。
バイトに雇ってもらったが、一人だけ、メイド服を支給された。
早く転送の原理が理解できるように、随分応援してもらった。
日菜が泣き出した。
「オーナー。早く帰ってきて下さいね。絶対ですよ。私、待ってますから」
「何言ってるの、日菜ちゃん。すぐ戻るよ」
オーナーが猫の頭を優しく撫で、次に日菜の頭を撫でた。猫を撫でるみたいに。
オーナーがダイニングから出て行った。
2
閉店後、夜明けの光が差し込む店内に、五十人以上の男女が集結していた。
大半が十代後半から、二十代ぐらい。
彼等は凝った店の岩場や、ソファーや床に座り、オーナーのコウを囲んでいた。
コウは彼等の中心で、端正な横顔に朝日を受けて立っていた。
座っている中には、由紀やリンもいるし、ココアやルイ、ピヨ、店長のリュージ、シェフのニノら従業員とバイトが全員いる。
コハクやカイト、タクト、チェロら子供達もいる。
常連客だった東大くんことネイとその同僚達、クリエーターやサラリーマンやマスコミ関係で働いている客も混じっている。
日菜は何も知らされず、一人C室で眠っているだろう。
これから、彼等の仲間全員で何かが始められようとしていた。
コウは静けさの中、仲間に語りかけていった。
「いよいよ、今日という日を迎えた。私達は長い準備期間を経て、とうとう最終目標に辿り着いた…。みんな、ご苦労だった。遠い過去の時代に隠れ潜んで、私達は苦難の時を過ごした…。何人もの兄弟を失った…。私達は、未来に故郷と家族を捨ててきた。もう二度と戻れない未来に…」
コウは感慨深く語り、軽く咳き込んだ。
痩せた体は病に蝕まれている。
「私達は未来をリセットする。世界の秩序の崩壊が過去に遡って繰り返される。世界はこの衝撃にたえられない。今度こそ、完璧に崩壊するだろう。そこから何が再生されるのか…、私達はその未来に微かな希望を抱く他ない。これから大戦が勃発し、空前の混乱の中、世界の全ての大都市が破壊し尽くされる。それはこの時代の貪欲さが引き起こす、彼等自身の宿命であり、若干早まるに過ぎない。しかし、故意に引き起こされる今回のリセットは、未来を奪われた私達の最大の報復である。この時代の人間達に、思い知らせねばならない。彼等に、私達と同じ絶望をくれてやろう…!」
そこでコウは再び咳き込み、血を吐き、手の甲で唇を拭った。
彼の冷たい水底のような灰青色の眸が、狼のように鋭く、凶暴さを内から滲ませた。
日菜と話していた時のような、優しげなオーナーの面影は|微塵≪みじん≫もなかった。
「この混乱に乗じ、私達はかねてから準備してきた、最終計画を実行する。クッキーが全て調整済みのタイミングに合わせ、各班は目標を襲撃する」
コウが話し終わった。
リンが銃を抜き、愛しい男に口づけするように、銃口に唇を付けた。
「勿論、私達は確実に目標を仕留めてみせる。私達が待ちに待った、報復の日が来たんだ。一人残らず、殺してやる。…で、兄さん。紅島はどうする? 私が殺ってもいい!?」
問われたコウは、何故か、ためらった。
異母弟の由紀が話に割り込んだ。
「大体、コウの拾い癖が問題なんだよ。迷子を拾って、数ヶ月、面倒を見た。その子供の将来の為に仲間に加えず、難民キャンプに引き渡した。その頃には情が移ってた。…それで紅島が大人になって、俺達の敵になったのに、コウは紅島が殺せない。いつまでも、里親気分だ。どうするか、そろそろはっきり決めた方がいいよ。紅島は俺達のことを憶えてない、まだ幼かったからね…。あの女は今じゃ、やり手のプロデューサーで、俺達の存在を脅かす。早く殺さないと、邪魔でしょうがない。コウもそう言ってたじゃないか…」
由紀はコウの背中を押すように、決断を迫った。
コウの心はとっくに決まっていた。
彼は美しい娘に育った紅島のことを思い浮かべた。
紅島がコウと過ごしたのは、コウにとっては五年前で、紅島にとっては二十年以上前だった。
運命は残酷で、彼女はコウが苦心したリセットを阻んできた。
コウは決断した。
「そうだ、わかってるよ。紅島は原因不明の、不幸な事故で命を落とすだろう。…リン、生還こそが最優先だと思ってくれ。私はもう、仲間を失いたくない。余裕のある者が片付けてくれ。私達の報復の決行は、あの娘の結婚式当日だ。盛大な花火を打ち上げて、結婚を祝ってやろう!!」
コウが狼のように吠えた。
一斉に凶暴な野獣たちが吠えたてて、その場は異様な高まりを見せた。