ⅩⅢ 監禁
ⅩⅥ 監禁
1
昨夜、日菜と由紀は互いに銃を抜き、銃口で向き合った。
翌朝、激しかった雨が止んだ。
カーテンの隙間から穏やかな光が射し、窓の外からスズメの鳴く声が聞こえてくる。
日菜は二段ベッドから、もぞもぞと起き出し、素足でダイニングへ向かった。
リビングでは、由紀のニセモノがテレビのニュースを見ている。
日菜は気まずかったが、思い切って、
「おはよう」
と言ってみた。
由紀のニセモノは日菜の方を振り向き、ソファーの背凭れに腕を掛け、
「おはよう、日菜」
と返事した。
その顔に、いつもの由紀みたいな明るい笑みはなかったが、以前と変わらない調子で会話が続いた。
「何のニュース見てるの?」
「新型インフルエンザ。…Y市の個人宅がUFOに襲撃されたなんて話は、ニュースになってねぇ…」
「ケッズさん達、どうなった?」
日菜はとても空腹で、よく知るダイニングの棚を漁り、食パンをトースターに入れた。
「さぁ、知らねー。俺には関係ない」
由紀のニセモノは日菜に背を向け、テレビに向き直った。
日菜はケッズとイリエが心配で、ニセモノの冷たい返事に苛立った。
「あっ、そうだ。モモカに連絡しなきゃ。ちゃんと店に戻ったよ、って…」
日菜がモモカのことを思い出し、手を叩いた。
彼女が電話の受話器を取ったら、
「ダメ。…君ね、一応、俺に拉致されて、監禁されてんだよ。ニブいみたいだけど…。もう当分、ここから出さねぇから」
彼がリビングから言った。
日菜はショックを受けた。
「それって、オーナーやリンには何て言うつもりなの?」
「リンもコウも知ってる」
由紀のニセモノは面倒臭そうに話した。
日菜は驚き、あれこれ考え、知っている情報と状況を照らし合わせた。
「え、オーナーも知ってるの!? モモカに連絡させないってことは、紅島さん達とあなた達は……敵…ってことなんだ?」
日菜は驚きながら、トーストにマーガリンとジャムを塗り、牛乳をグラスに注いで、由紀のニセモノの隣りまで運んだ。
彼が不愉快そうに見るのに、日菜は遠慮せず、隣りに座った。
「君…、どんな時でも食欲落ちないね…。…教えてあげるよ。その通り、敵同士なんだ。まぁ、紅島とはちょくちょく顔を合わせるよ。モモカとは、これで二度目か。紅島と最初に出会ったのは、俺の時間では五年ぐらい前かな…」
彼は妙にさばさばとして、素の自分に戻ったようだ。
由紀のふりをやめた彼は、表情や話し方が異なる為、顔が瓜二つでも別人に見えてきた。
日菜は完全に騙されていたことを知る。
この数ヶ月、幼馴染の由紀だと思い、頼りにしてきた相手は、幼馴染とは全くの別人。
完全に見ず知らずの男だった。
彼は紅島のことをEカップと呼んでいた。が、実は彼にとって、紅島はよく知る相手だったというわけだ。
日菜は混乱しそうな頭の中を整理した。
彼は未来の日本人であるけれど、紅島やモモカとは異なるグループに属している。
「見なよ、新型インフルエンザのニュース。昨日一日で、バタバタ死んだ。K大の講師と学生が四人。Y市全体で十一人も死んだ。なるほどな。戦国時代にペスト菌ばら撒くんじゃなくて、こういうインフルエンザにすりゃよかったなぁー。変異型の、伝染力が強いやつー」
由紀のニセモノは、ソファーでだらしなく寝そべった。
日菜は話の展開に慌てた。
「そんなことしたの? なんで? そんなの、テロじゃない!? 歴史を変える為?」
正義感の強い日菜が声を荒げ、彼を睨む。
急激に本性を現してきた、由紀のニセモノ。
「これも人災だと思うぜ? 俺がやったんじゃねぇけど」
彼が立ち上がったが、今度は日菜がテレビに齧り付いて見入った。
僅かな時間の間に、新型インフルエンザは確かに彼の言うように、大変な事態になっていた。
関東一円に広がる勢いである。
「おとなしくしてなよ、仔猫ちゃん。俺を出し抜けると思うなよ。こっちはプロ……。ちょっと、寝てくる」
由紀のニセモノがリビングを出て、C室のドアを開く。
日菜が廊下の方向へ叫んだ。
「ねぇー、あなたのこと、もう少しの間、由紀って呼んでもいいー!?」
「ご自由にー」
由紀が答えた。
2
日菜はC室に入り、二段ベッドに腰掛けた。
上のベッドから、殺人犯の静かな寝息が聞こえる。
日菜は本物の由紀を思って、涙が出た。
幼馴染のあいつは頼りなくて、チャラチャラしてバカでヘタレでエロ猿だったけれど、根はいい少年で優しい時もあった。
小学校の頃、トキオと三人でよく遊んだ。
彼は半年以上も前に、アメリカで殺された。
もう帰って来ない。
なんだか哀れだった。彼の母親も知らないし、父親も知らないことだ。
日菜はベッドの中で震えて泣いた。
彼女は由紀のニセモノと二人きりで、夕食の時間まで過ごした。
夕食の時間になった。
中学生のタクトが日菜を呼びに来た。
由紀のニセモノがまだ起きないので、日菜はタクトと二人でダイニングへ行った。
一週間ぶりに会う、ココアやルイ、ピヨ、コハク達。
日菜も賑やかな食卓に加わった。
会話に誘われるままに、いつの間にか日菜も笑顔になり、また家族のように彼等との生活を再開した。
本当に仲がいい彼等と一緒にいると、日菜も楽しくて元気が出た。
でも、時々、小林教授や由紀や、ケッズらの顔が頭に浮かんだ。
由紀のニセモノのことを、便宜上、由紀と呼ぶ。
由紀が起きて、ダイニングに入ってきた。
既に演技の必要がないからか、いつもの彼と行動パターンが変わった。
彼の為の料理が用意されている席に着かず、冷蔵庫からペットボトルのコークを取り出し、リビングへ向かう。
一人でソファーに座り、日菜達に背中を向けたまま、テレビを点けた。
ココアやルイ達は誰もそれに触れないで、何も見なかったように会話を続けた。
やがて、店の営業時間になり、従業員はその場から出ていった。
タクトとチェロの兄弟が宿題をダイニングテーブルに並べ、高校生のコハクがその向かいに座った。
日菜は迷ったけれど、やっぱり由紀が気になり、彼に話しかけた。
「ねぇ、由紀はもしかして、転送機を持ってるの?」
「ほら、来た。もう、俺を頼らないでくれる? 君のお友達じゃないんだ。面倒臭ぇ」
彼は可愛い顔をしかめた。
日菜は不思議で仕方なかった。
「その顔、整形手術!? 由紀に似せた?」
日菜は何と言われようと、彼の隣りに座った。
「これは取り外しのきく、作り物のマスク。俺の本当の顔が知りたい? 君を殺す前に、一度見せてあげるよ…。ピアスの穴は、由紀と同じ位置に開けた。俺と由紀が似てたのは、背格好と骨の太さだけ」
由紀はそれだけ答え、日菜に興味なさそうに、リモコンでテレビのチャンネルを変えた。
彼はインフルエンザのニュースを探しているようだった。
「由紀さん。あのインフルエンザのワクチン、取りに行ってきましょうか? 日菜さんの分も…」
高校生のコハクが由紀の執着ぶりに気付き、喋りかけてきた。
コハクは何かと、由紀に気を遣う。
「ああ、コハク。頼むよ」
由紀は偉そうに、コハクに頼んだ。
日菜は話を横で聞いていて、ふと疑問に思った。
「コハクくん、ワクチンって、未来から持ってくるの!? もしかして、コハクくんも由紀の仲間!?」
「みーんな、仲間。君はモモカの敵の巣窟にいるわけ」
由紀が日菜を驚かす。
日菜はダイニングを見渡し、タクトと一瞬目が合った。
正直なタクトはすぐ、彼女から目を反らした。
「わ、私も未来に行きたい。コハクくん、一緒に連れてって!」
日菜がコハクに言った。
コハクは目を丸くした。
「アハハ、日菜さん。面白い人だね。由紀さんに殺されるよ? ここでおとなしくしてるしかないよ。頭ブチ抜かれたくないでしょ。本物の由紀がどうなったか、聞いたんだよね!?」
コハクが小悪魔みたいに、綺麗な顔で毒舌を披露した。
日菜は本物の由紀の最期を知り、蒼褪めた。
ここの家族はその事実を知った上で、殺人犯を由紀と呼んでいるのだ。
コハクは日菜を嘲笑いながら、北側の居住エリアへ入って行った。
北側に転送機があるようだった。
日菜はチャンスを待つことにした。
夜中、日菜がC室を抜け出し、北側居住エリアに忍び込んだ。
北側で寝起きするのは、オーナーとリン、ルイ、ココア。
リンは仕事で海外を飛び回っているし、オーナーとルイ達が店に出ている時間帯を選べば、問題ないはずだ。
彼女は最初に、廊下の突き当たりの、オーナーの部屋に入ろうとした。
そしたら、シベリアンハスキーのスギノがおり、猛烈に吠えた。
日菜は慌てて、部屋から逃げた。
この部屋は無理だ。スギノはオーナー以外に懐かない。
次に日菜は、リンの部屋に入った。
甘い香水の香る部屋には、転送機も、銀色の連結空間もなさそうだった。
日菜はその隣の部屋のドアを開けた。
会議用テーブルと椅子が十脚あった。
そこに、由紀がいた。
「バカ日菜。…ったく、行動が単純過ぎじゃねーか?」
由紀がアタッシュケースを開け、ワクチンの瓶を手に取った。
「日菜、早く腕を出して」
慌てて狼狽える日菜の腕を、由紀が無理やり掴み、アルコール綿で拭いた。
彼はてきぱきと、日菜に注射した。
日菜はびっくりして、由紀を見た。
「こんなの、普通なんだよ。未来の前線には、軍医なんていねぇの。汚染地の浮浪児と、アンドロイドで構成された部隊だから。笑えるだろ?」
由紀が意味不明なことを呟いた。
それから、彼はこう言った。
「…で、どこに行きたいんだよ?」
由紀は日菜の侵入の目的が、転送機にあることぐらい、お見通しだった。
彼は一見、クローゼットにしか見えないところを開き、空っぽのクローゼットの奥の、巧妙な隠し扉を開いた。
日菜があっと叫んだ。
カノンと通った銀色の連結空間に似た、メタルで覆われた通路が眩しく光っていた。
日菜は唾を飲みこみ、由紀に頼んでみた。
「お願い。コバに会って、話をしたいんだ。転送機の試作01をノグチに売らないでって、言うだけ言ってみたい。由紀、アメリカに連れてってくれない?」
日菜の頼みは勿論、すぐさま却下された。
「ふふん、無駄だと思うな。コバに話しても、事態は変わらない。俺は言ったよ、日菜。転送機は人間の欲望を膨らます毒物だって。コバは欲望という悪魔に魂を売ってしまったんだよ。日菜の優しさとか、善意とかなんて、欲望には刃が立たないよ」
話しながら、由紀は先に立ち、日菜を転送室へ案内した。
モモカやカノンの転送室には、エアシャワーや殺菌室があったが、ここにはそんな設備はない。
あるのは、まず、広い武器庫だった。
相当な量の大型銃火器が壁一面に収納されている。
それは、彼の所属する組織の特色を物語っている。
弾薬のストック、転送機のメンテナンスの為の設備、ダイブ用のスーツが入ったロッカー、かなり充実した内容だ。
ゲートの内側には、白銀色の転送室。
格納庫に十数機に及ぶ大小の転送機が並ぶ、圧巻の光景に、日菜は感嘆の声を上げた。
「うひゃー!! これが全部、由紀達の転送機…!?」
転送室の広さは野球場ぐらい。
壁面に並ぶスクリーンは、同時に何機もの転送を管制していることを示していた。
彼等の設備は実用的で、無駄が徹底して省かれている。
由紀は一通り日菜に見せてから、彼女を会議室へ戻した。
「今夜はダメだ。ワクチンを接種したばかりだから。しばらく出歩くな。あのインフルエンザ、蔓延する。秋冬には、パンデミックって事態になるだろうな。ワクチンが効いてきたら、どっか遊びに連れてってやる。それまで、物理のお勉強。急いで統一理論を完成させてくれ。今夜はおネンネしなよ、仔猫ちゃん」
由紀は真面目な表情で話したが、最後の部分だけ、ふざけて歌うように言った。
日菜は転送機群を見て、我慢できなくなった。
「早くダイブしたいよ、由紀。あのインフルエンザって、そんなにヤバいの!?」
日菜はパンデミックと聞き、半信半疑で尋ねた。
「知らねー。この時代の奴らがどれだけ死のうと、俺には関係ねぇ」
由紀は殺人鬼らしく、他人の死を笑い飛ばし、日菜を北側居住エリアから追い出した。
2
モモカは日菜を捜して、必死に飛び回ったが、どうしても彼女を見つけられなかった。
ようやく完成したばかりの転送機の試作はノグチに奪われたし、失意のうちに、モモカはいったん、自身の現代へ帰還した。
過去のY市やK大に比べれば、彼女の時代のその場所は、広く整然として清潔な街である。
人工的な緑の公園や噴水があり、カフェがあり、風が流れ込み、人々が憩う。
しかし、この街は巨大な建造物の中にある。
モモカは紅島のオフィスに向かう途中、所属部署の近くで、よく知っている人物を見掛けた。
その相手は、短髪をワックスでツンツン立たせた若い男。
誰が見ても爽やかで、容姿端麗と認めるだろう。
「吉井さーん! 久し振りー、元気ー!? 最年少プロデューサー昇進、おめでとうございまーす!」
モモカが走り寄り、吉井は振り返った。
「モモカかよ。元気にしてた? あの鬼ババァも元気か?」
彼は口の悪さと無関係の爽やかな笑みを浮かべ、モモカを迎えた。
「鬼ババァって、綾生のこと? …殺されるよ、吉井さん」
モモカが焦って、周囲を見回す。
幸い、紅島綾生は見当たらなかった。
モモカと吉井は目的地まで、動く通路を流されていく。
「心配ないって。それより、紅島のやつ、ひどいよなぁ。モモカはエンジニアなのに、毎日現場で泊まりだって!?」
吉井は紅島を罵った。
モモカは吉井が言うほど、不満じゃなかった。
「K大は年の近い人が多くて、毎日楽しいよ。スキップで現代の大学出た時より、過去の方がずっと楽しい」
モモカは本気で言っている。
「それならいいけど。モモカ、順調? 荒川トキオの設計のサポート役なんだろ? トキオ、まだ見つからないらしいね? 歴史、かなり狂ってきてるんじゃねぇの?」
吉井が心配し、小声で囁いた。
二人は紅島のオフィスに辿り着き、ウォークライドを降りた。
「綾生の脚本通りだよ、たぶん」
「そうか? あの女、結婚するんだろ。遂に、あの彼氏と……。鰐より獰猛な紅島が、ウェディングドレスとはねー」
吉井は自分で言ったことに爆笑した。
「吉井さん、綾生の結婚式、来るんでしょ?」
「おお、行くよ。みんな、来るだろ。モモカはどうなの? 彼氏とか出来た? カノンとか、どう?」
吉井がモモカの肩を叩いた。
モモカは苦笑し、
「カノンは、いい友達だよ。彼氏なんか…。だって、すぐ…、半年前のことを思い出しちゃうんだもん」
と、|俯≪うつむ≫いた。
吉井も暗い表情になった。
「ああ、あれね。あの特殊工作員。ひどい奴だった。可愛い顔で人を騙す、モンスター。…モモカ! まだ、忘れらんねぇの!? あんな奴のこと、早く忘れちまえよ。もう死んでるはずだし。…そりゃ、あいつの正体に気付いて人質にされた時は、怖かっただろうけど…」
吉井は思い出しているうちに、その頃の憤りも蘇ってくるように感じ、不快だった。
「私、彼に一週間も監禁されて、二人きりだった」
モモカは半年前の事件を鮮明に思い出した。
前にいた支部に入ってきたルーキー、彼は小さな支部をぐちゃぐちゃに掻き回した。
モモカは彼と親密になるにつれ、彼の微妙な心の琴線に触れ……。
「一週間だっけ? トラウマにもなるわなー」
吉井も納得した。
「ねぇ、吉井さん。彼、死んだよねぇ!? 確かに。すごい出血だった。あの傷で生きてるわけないよねぇー!?」
モモカは吉井にと言うより、自分自身に話しかけるようだった。
「もし生きてたら、俺が殺す。その時は、モモカ、必ず俺を呼んでくれよ。すぐ駆けつけるから」
「吉井さん! 部署が違うってー! 今は古代支部でしょー?」
モモカが笑顔になり、吉井はやっと、少し安心した。
吉井はモモカの両肩に手を掛け、彼女を揺さ振り、
「いいか、モモカ。あいつは狂ったテロリストなんだ。絶対、同情なんかするなよ。もし、モモカがあいつの心を深く感じ取って、優しくしたとしても…、あいつは平気でおまえを殺せるんだ!」
と言い聞かせた。
モモカは何度も頷き、返事した。
「大丈夫、わかってますって。…じゃ、吉井さん。綾生の結婚式でー」
「おう、またなー」
吉井はモモカと別れ、紅島のオフィスに入った。
モモカはオフィスのドアの前に立ち尽くし、長く溜息をついた。
「その工作員が日菜ちゃんを連れ回してる気がする……って、言えないな。吉井さんも綾生も、逆上しそう。どうしよう……」
モモカはドアを見詰め、入るかどうか迷った。