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1-9 仮宿にて

 堆く積まれた寝藁。しっとりと鼻につく獣のニオイ。そして室内のあちこちから「ぶひひん」だの「ばふっ」だのといった、鳴き声とも呼吸音ともつかぬ嘶きが聞こえて来る。

「すまない、少年。こんな事になってしまって」

 えらくしおらしい様子でタマキが頭を下げた。

「明日、御前試合がある影響で観光客が多いらしく、どこの宿も満杯で……」

「良いって。気にすんなよ」

 そう言ってヒラヒラと振った少年の手を、彼の背後から突き出された大きな顔が長い舌でペロリと舐めた。

「わ、さっきから汚ぇなあ。ペロペロすんじゃねぇよ」

 柵からはみ出していた顔をぐいっと押し戻すと、茶褐色をした細長いその顔は、少し不満げな様子を見せつつ柵の向こうへ引っ込んでいった。

「だが少年、本当に良いのか? ここ……モロに馬小屋だぞ!?」

 念を押すようにタマキが言った。もう何度目かもわからない、再三の確認だ。

 時刻は夕方。もうすぐ日も落ちる時間帯となる。

 予選会を終えた二人は、少年の宿を求めて第二区画へとやってきていた。

 第一区画が上流階級の世界、第三区画が最底辺の掃き溜めであるなら、第二区画は中流階級、庶民の町だ。生活に根差した様々な店があり、多くの人々が気取らない姿で生活を送っている。

 旅人の宿も第二区画に数多くある店の一つだ。一階が酒場兼食堂、二階が宿泊施設となっており、近所の者たちの社交場ともなっている。そして二人の居る馬小屋は、その旅人宿の裏手にあった。

「本当に……本気でわかっているのか少年? 馬小屋とは、馬の小屋だ。馬の寝る場所だ。人の寝る所を指す言葉ではないぞ?」

「どんだけ俺の事をバカ扱いだよ。わかってるって」

 苦笑いを見せて、少年は壁際の長椅子へ腰を下ろした。馬の世話をする者が休憩に用いる使い古された椅子だ。

「雨風が凌げれば平気さ。隙間風が無い分、俺の家よりずっと快適ってもんだ。それに宿のオヤジが毛布も貸してくれるって言うし。何より他にアテも無いだろ?」

「それはそうかもしれないが……しかしなぁ……」

 タマキはまだ納得し切れていないようだったが、泊まるのに適当な場所も他に無い。

 名を持たない少年はこの聖王国の国民として公的に認められておらず、地位も信用も低い。台帳に書ける名前が無い時点で大半の宿は候補から外れてしまう上に、相部屋の類も断られてしまう。それに加えてタマキも言っていた観光客の件があり、この馬小屋に巡り合うまでにも結構な時間が掛かってしまった。

「明日、御前試合なんだからさ、タマキも早めに休んどけよな。待ちに待った見せ場なんだろ?」

「ん……あぁ、そうだな」

 少年の言葉にタマキは小さく頷く。

 二人は無事に予選会を勝ち抜き、明日行われる本戦への切符を手にしていた。

 楽勝であった初戦に比べ、二回戦、三回戦ではそれなりに苦戦を強いられた。しかしどの相手に対してもタマキは地力で勝り、実力通りの順当な勝利を飾ったのだ。

「流石だよな、危なげ無い勝ち方ってかさ。どうしても戦技披露会に出たいってのも納得だよ」

「いや、だが私など、まだまだ……」

 居心地が悪そうにタマキがモジモジと身を捩る。褒められるのに慣れていないのかとも思ったが、そうでは無さそうだ。

「そういやあ……昼間に合った二人組。金髪の性悪女と背の高い男! あれなんだ? かなり感じ悪かったけどさぁ」

「性悪って……まぁいい。マルグレィテとクラウスの事だな? 私にとっては……一応、聖王騎士養成所の先輩という事になるのか」

 ほんの少し躊躇いを見せた後、タマキが遠慮がちに教えてくれた。

「金髪の彼女、マルグレィテは王家に連なる上級貴族を親に持つ、所謂お嬢様だ。マルグレィテという名も、聖王国初代王妃であらせられるマルグレィテ・ランカスターに纏わる物で……と言えば、どれくらいお嬢様なのかがわかるだろう?」

 タマキの説明に、とりあえず……といった様子で少年は頷いて返す。

「立派なのは名前だけではない。彼女は養成所の成績試験でも上位の常連で、名ばかりのお飾り貴族では無いな。クレイスは……つい最近まで私と契約していた優秀な金属鎧だ。それ以上でも以下でもない」

 散らかっていた馬具を棚へと片付けながら、タマキは淡々と語った。多分、全て事実なのだろうが、少年が聞きたいのはそういう事ではない。

「いや、なんていうの? そうじゃなくて……」

「すまない少年、その話はまた今度にしよう。急で悪いのだが、このあと用事があってな」

 唐突にそう言って、タマキがそそくさと少年の傍を離れた。

「夕食は宿の店主に申し付けてある。私は遅くなるから、先に食べていてくれ」

「うぇ、そうなの? わかった……」

 簡単な言伝だけを残し、タマキはまるで逃げるように馬小屋を出て行った。取り残された少年は、人混みの中に消える彼女の背中を見送って……長い溜息をつく。

「用事、かぁ……」

 呟いた少年に、なんだなんだと馬が首を伸ばして来た。その鼻先を撫でながら、少年は呟く。

「ハッキリ言ってくれりゃ良いのに」

 寂しげに吐き捨てた少年へ、馬がもっと撫でてくれとせがむように顔を摺り寄せる。

「なんだよ、お前ら。ったく……俺は飼育員じゃねぇぞ」

 面倒臭そうに言いながら、少年は壁に掛かっていたブラシを取り、適当に馬の身体を撫で擦り始めた。そうしつつ、今日の出来事を思い出して行く。

 タマキと出場した予選会……そこで少年は、いくつか気付いた事があった。

 その一つが鎧の種類だ。

 違和感を感じたのは、控室で休憩していた時。「革鎧で出場だなんて」と誰かが言っているのが聞こえてきたのだ。

 革鎧だと何か問題でもあるのだろうか? それを頭に留めて周囲を見渡せば、タマキ以外の全員が金属鎧を身に着けている事に気付いた。

 高価な金属鎧に比べ、革鎧は非常に安価で入手可能な鎧だ。その為ゴロツキや追剥の類が身に着ける代表的防具となっていた。安物、悪党の代名詞……そういった印象の良く無い装備を騎士候補生が身に着ける事自体が恥となるのかもしれない。

「だからタマキ、俺の代わりを……御前試合で着る用の恰好良い鎧を探しに行ったんだろ。バレバレだっつぅの」

 彼女は言っていた。戦技披露会は聖王へのアピールタイムであると同時に、後援者を募る場でもある、と。そこで革鎧を着る行為は、例えるなら舞踏会へ普段着で参加するような物ではないのだろうか?

「つっても舞踏会とか良くわかんないけど……やっぱ、ちょっと浮いちゃうんじゃないのか?」

 タマキは何食わぬ顔で武器の手入れなどしてはいたが、周囲からの囁き声と白い目は、少年が予想したアレコレの裏付けとしては十分な物だった。

 気付いた事は他にもある。

 予選会の二回戦、三回戦。初戦に比べ、少々の苦戦を強いられた。特に相手が強かったわけではない。こちらの動きが明らかに鈍かったのだ。

「おっと、そんなに擦り寄るなっ……いっ、いてて……」

 馬が少年に身を寄せる……と、少年は痛みに顔をしかめた。上着を脱ぎ、肩口に貼られていた薬草湿布を少しめくってみると、鎖骨から肩甲骨へかけて一直線に走る青アザが見える。鎧に化身している時、肩の部分へ強烈な斬撃を受けたのだ。

「あぁ、心配無い。カスリ傷だって」

 少年の身を案じてか、馬が身体を離した。

 受けた斬撃によるダメージはタマキまで届いていない。けれど革鎧である少年は別だ。肩当の部分はへこんで裂け、人の姿へ戻った際に、ダメージは青アザとして残った。

 そんな傷が、そこかしこにある。

「こんなモン、屁でもないけど……タマキの奴、どうしたんだろうな」

 応えなど無いと理解しつつも、少年は馬に尋ねてみる。

 タマキの動きは確実に初戦よりも悪かった。攻撃を避けきれず、鎧で防ぐ機会が多かった。もし少年が金属鎧であったならそれでも良かっただろう。けれど彼は革鎧。攻撃を受け止めるスタイルの戦い方では、少々キツい。

「やっぱり、あの意地悪そうな女が原因かぁ? マルなんちゃらって金髪の女と、薄気味悪い赤毛の野郎!」

 マルグレィテとクレイスの事だ。昼間に会ってからは見かけていないが、もしタマキの不調に何か原因があるのだとしたら、彼らである可能性は高い。

 何故なら、あの二人が去り際に言っていた言葉――。

『髪の毛だけで済んだのだから、安い授業料だったろう』

 この一言だ。

 最初は何のことを言っているのかわからなかった。だがタマキと出会った日の事を思い出した時、全てが繋がった。

 裸で倒れていたタマキを最初に見た時、少年は単なる行き倒れか、それともイジメ……あるいは何らかの制裁を受けた者が倒れているのだと感じた。

 そう思った理由、それが髪だった。

 付近に散乱していたのだ。切られた黒髪が……きっと元は長く美しかったであろう髪が、前も後ろも根元から乱雑に切られ、バラバラになってまき散らされていた。

 金銭を目的とした強盗や、その他の不埒な行為が目的であったなら、わざわざ髪を切ったりしない。あの場から感じ取れたのは、恨みや妬み……そういった負の感情だ。

 今日のマルグレィテが見せた突っかかるような態度。そして怯えるタマキを見た時の嬉しそうな表情。一昨日の一件に彼女が関わっている可能性は高いのではないだろうか?

 それにクレイスも同じだ。タマキは奴を「裏切者」と罵った。元契約者と言っていた事からも、大体の事情に察しはつく。

「だとしたら連中……えげつない真似しやがる」

 もしも一昨日、少年が通り掛かっていなかったら? 治安の悪い第三区画の森で、無防備な彼女がどんな酷い目に合っていたか想像する事は容易い。つまりタマキを放置した奴は、彼女に最悪の事態が訪れる事を予想し、それを望んでいたのだ。

「……畜生」

 馬が、少年から離れた。

 目の奥がチリチリと熱い。どうしようもないイラつきが胸の奥から込み上げてくる。どれほど落ち着こうとしても、冷静でいられない……腹が立って仕方ない。

「見てろよ金髪女。明日、試合の会場で……ボッコボコにしてやる!!」

 少年が強く拳を握りしめ、闘志を燃やす。

 いつの間にか今日受けた傷の痛みなど、どこかへ消えてしまっていた。

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