1-4 第一区画
細かな装飾と大胆な直線で構成されるバロック調の街並み。完全な正方形が整然と並ぶ石畳。美しきそれら風景に溶け込むようにして、着飾った紳士淑女がしゃなりしゃなりと道を行く。
「ここが第一区画……! 噂には聞いてたけど……」
名もなき革鎧の少年が、感嘆の溜息と驚嘆の声を洩らした。
ここは彼の言葉通り、聖王国の第一区画と呼ばれる地域だ。国王の居城を中心に広がる城下町が多くを占めるエリアとなっており、富裕層の邸宅や、各種の特殊な施設の類もここに集中している。
「こっちだ、少年。迷子にならないように付いて来てくれ」
少し前を歩いていたタマキが振り返り、少年に歩を促した。キョロキョロと物見遊山に浸っている暇は無いらしい。
「いやぁ、ゴメン。俺さ、第三区画から出た事って殆どなくて。凄いんだな、この辺りって! 人は多いし、何もかも綺麗だ」
はしゃぐ少年に、タマキは曖昧な笑顔を返す。彼が第一区画に来た事が無いのは当たり前だ。名前が無ければ、国民として認められていなければ第一区画に立ち入る事は出来ない。
「はぐれないよう本当に注意してくれ。キミは私の連れとしてここに居るんだ。迷子になって官憲にでも見つかったら、即刻強制退去なのだからな」
不安そうに言って、タマキが歩き始める。少年は「わかってるよ」と返し、小柄な彼女の目立つ黒髪を目印に、その後を追った。
どうしてこんな事になっているのか?
話は三日ほど前……タマキが少年のボロ屋へお持ち帰りされた夜に遡る。
「なあ少年」
食事を終え、白湯を啜っていたタマキが不意に口を開いた。
「ちょっと頼みがあるのだが」
「えっとそれは、もう一発殴らせろとか、そういう類の話?」
若干の怯えを見せつつ、少年は恐る恐る答える。その頬は平手の形に腫れ上がり、とても痛そうだが……美少女の裸を見た代償としては安い物かもしれない。
「確かにマルっと見ちゃったけどさ、別に俺が頼んだわけじゃ……」
「バカ、違う! そうじゃない」
タマキは顔を真っ赤にして怒鳴った後、「別の話だ」と、何事かを言い辛そうに口の中でモゴモゴさせた。
「もしかしてメシが足りなかった? 悪いんだけどさ、おかわり無いんだ」
茶色の髪をかきかき、少年が困ったように言った。
何かあれば良いんだけど……と呟く彼に対してタマキは首を横に振り、再び俯いて深く考え込んでしまう。
「そうじゃなく……その……」
「なぁタマキ、そんなに遠慮すんなって。俺に頼みたい事があんだろ? 出来る範囲で良けりゃ手伝うからさ、言うだけ言ってみなよ」
自身に出来る事は少ない。だが少年は少しでも長い間、この少女に関わっていたかった。
本来ならば目が合う事さえ稀有な相手なのだ。どんな事でも構わない、少女の頼み事が自分に出来る事であってくれと、藁にも縋る思いで切実に祈る。
「……そう、だな。言うだけでも……」
頬をさすりながらの少年の言葉にタマキはポツリと呟き、顔を上げた。そして「無理なら言ってくれ」と前置きをした後、改めて口を開く。
「明後日と明々後日、私に付き合ってくれないか」
一旦言葉を区切り、頭を下げるタマキ。
「キミの力を貸して欲しい」
深々と頭を下げたまま、粛々と告げる。
この申し出を、少年が断る謂われは無い。だが彼は少しだけ……時間にして五、六秒だけ返答のタイミングを引き延ばした。
理由は簡単だ。
頭を下げたままで止まっているタマキの大きく開いたシャツの首口から胸元が覗け以下略。
またかよコイツと思われた事だろう。然も有りなん。ムッツリスケベとは彼の為にある言葉かもしれない。
少年はしばし自らの欲望に忠実であった後、全力で平静を装い言葉を返す。
「えっと……俺で良ければ、いいよ。手伝うよ」
「本当か!?」
そんな事とはつゆ知らず、少年の了解を得てタマキは喜びの声と共に頭を上げた。
少年にしてみれば断る理由など無い話ではあるのだが、彼女には彼女の事情があり、考えもある。そしてこれは後にわかる事ではあるのだが、少年への提案は彼女にとって苦渋の決断とも呼べる物だったのだ。
「すまない、恩に着る! では明日もう一度ここへ来るから、その時に準備を……」
と、ここになってタマキはようやく、少年が自分の目を見ているわけでは無い事に気が付いた。彼の視線はもっと下、大き目シャツの緩い胸元へ……。
「えっ? へ? なに、どうしたのタマキ?」
「ど……どこを見ているッ!!」
ごすっ! と鈍い音がしてタマキの正拳が少年の顔面にめり込み、ニヤケ顔のムッツリスケベが仰け反るようにして倒れる。そして鼻血がボロ屋の天井と床を濡らして――。
時間は現在に戻る。
今日のタマキは無論全裸でなければ薄着でも無い。金糸の記章があしらわれた白を基調とした丈の長い上着と、同じく白のスラックス。それらスラリとした印象の衣服でもって、周囲の街並みや人の群れと違和感なく溶け込んでいる。艶やかな黒髪は、先日の違和感ある髪型から一転。多少切り過ぎたショートカットといった風に整えられており、男装の麗人なんて言葉が似あいそうだ。
「ほら少年、こっちだ……って、あれっ!?」
人混みをしばらく歩いてタマキが振り返った時、後ろに居た筈の少年が消えていた。
まさか本当に迷子に!? ざわつく胸を押さえ、周りに視線を走らせると……。
「目的地ってここ? なんかでっかい建物だな」
すぐ横で聞き慣れた声がした。
「なんだ……少年、そこに居たのか。あまり驚かせないでくれ」
ほっと息を吐くタマキ。いたずらっぽく笑う少年へ、苦笑いを返す。
タマキは意外な気持ちで、この少年を見直していた。思っていたよりもずっと自然に、周囲の雰囲気と馴染んでいるのだ。
少年がいま着ている服は、第三区画で着ていたボロボロの布服上下では無い。平民の小金持ちか下級貴族の若者が着るような、鹿革で飾られた小奇麗なチュニックだ。奔放に伸びてモタついていた茶色の髪も短く刈ってこざっぱりとし、清潔な印象がある。
昨日、少年の家でここへ来る準備を進めていた時は、からかい半分に「馬子にも衣裳だ」と笑ったものだが……なかなかどうして、良く似合っている。黙って普通に立っていれば、彼が第三区画の住民だと気付く者はいないだろう。
「さて少年、ここからが本番だ。気を引き締めて……」
「打ち合わせ通りに、だろ? わかってるって」
頷き合い、石壁に囲まれた大きな施設の門を潜る。文盲である革鎧の少年に読むことは叶わなかったが、もし彼に字が読めたなら潜った門の横に『聖王騎士養成所』と書かれていた事に気が付いた事だろう。
聖王騎士――。
国内外問わず名を馳せる最高にして最強の騎士であり、その称号。多くの若者が憧れ、夢見て目指す戦士の高み。幾度となく国を守り、王を守り、そして民を守った守護神。その聖王騎士を育成し、数多く輩出しているのがこの聖王騎士養成所だ。
養成所の騎士候補生たちは純白の制服と、輝く金糸の記章を胸に日々鍛錬に勤しむ。タマキもそんな候補生の一人だ。
外壁に設けられた外門を潜ると、目の前には長く高い階段が本校舎まで続いている。手摺も無く段差も高く、バリアフリーなど全く考えられていないこの大階段は、聖王騎士養成所の象徴的設備となっている。
「なぁタマキ、聞いていいか?」
「どうした少年、階段を昇り疲れたか」
「いや……俺さ……なんか注目されてね?」
外の街並みとは雰囲気の違う大階段を昇る中、少年がそう尋ねた。何やら周りから見られている気がするのだ。
養成所への門を潜り、多くの人とすれ違った。みな若く、タマキと同じような制服を身に着けている。その彼らがこぞって、もの珍しそうに自分へ注目しているようだ。見られる事に慣れていない少年は意味も無くソワソワしてしまう。
「ま、目立つ理由は多く考えられるが……主たる物は、制服を着ていない事からだろう」
逆にタマキは目立つ事に慣れているのか、落ち着いた物だ。平然とした表情でスイスイ階段を昇って行く。
「男子の制服を用意出来れば良かったのだが、生憎キミのサイズに持ち合わせが無くてな。目立たせてしまって悪いが、まぁあまり気にしない事だ」
そう言われ、少年は黙って頷く……が、ちょっと待て! なんか変じゃなかったか!?
タマキの発言に違和感を覚え、彼女のセリフをよく思い返してみた。
生憎、キミのサイズに持ち合わせが無くて――。
という事は他のサイズなら男子の制服を持っているという事か? どうして? 男装趣味でもあるのか? 確かにタマキなら似合いそうな気もするが、そういうモンなのか?
「ん? むむむ……?」
「何をそんなに唸っている? こっちだ、来てくれ」
タマキの男装趣味疑惑に答えが出ないまま、手を引かれて辿り付いた先。そこには『技術教導室』と書かれた部屋が二人を待っていたのだった。