1-3 お持ち帰りした少年
やっぱりだ、やっぱり可愛い!
少年は内心のウキウキが顔に出ないよう平静を装うのに必死だった。
道端で見つけた少女を拾い、自宅へとお持ち帰りした後、日もすっかり暮れてから数時間後。ようやく目を覚ました彼女は、そこはかとなく漂う上品な雰囲気や物腰を含め、少年の理想とする女性像そのものだった。
お持ち帰りして正解だ。少年は素晴らしい判断を下した過去の自分へと、最大級の賛辞を送る。
だがここで、こう思われる諸兄もいらっしゃる事だろう。少女をお持ち帰りだなんて反道徳的だ……と。「お持ち帰り」だなんて、いかにも下世話な感じだし、どことなく卑猥だ。少年の為した事実だけを考慮するなら「少女を保護した」と表現するべきなのかもしれない。
けれど待って欲しい。少年が最初、倒れている少女を発見した時、彼は単純に「少女とお近付きになりたい」と感じたのだ。そこに義務感や正義感は無く――毛の先程はあっただろうが――この可愛い女の子と話をしたかった。仲良くなりたかった。その想いが他を凌駕する程に強かった。
面倒に巻き込まれるかもしれないと思ったし、日々の生活が脅かされるかもと考えた。けれどそれらのリスクを負ってでも彼は少女と仲良くなりたいと思ったし、彼女を自分の物にしたいと感じた。そして家へと連れ帰ったのだ。
これが保護? ちゃんちゃら可笑しいではないか。少年は自らの欲望のまま、気を失っている少女をお持ち帰りしたのだ。体裁は悪いし聞こえも良く無いが、ここはお持ち返りと表現するのが正しいだろう。
――さて、そのような表現の機微はともかくとして、少年のボロ屋での出来事に話を戻したい。
目覚めた直後、どうやら彼女は状況が飲み込めていないようで、しばらくはキョロキョロと辺りを見回し、何やら警戒した様子だった。
無理も無いだろうと少年は思う。
あの場所、森の小道で一体何があったのか? 周囲の状況や、妙な事になっている彼女の髪型から、少年は概ねの事情をなんとなく察している。だからいま少女が考えている事といえば……誰かが追ってくるのではないか? 少年は敵ではないのか? ここはどこだ? とまぁそんな所だろうか。
少年は必死に頭を捻る。
自分が少女にとっての敵ではないと口頭で説明する事は難しい。だからまずは状況を説明し、落ち着いてもらうのが先決だろう。
「ここ、俺の家。第三区画の外れだよ。あんた、森の道端で倒れてたんだ……覚えてる?」
少年はなるべく穏やかな口調を心掛け、少女にここがどこなのかを告げた。
すると少女は一瞬とても険しい目付きでこちらを睨んできた。けれど、すぐ表情を和らげ、緊張を解いたようだ。自分の記憶と現状を照らし合わせて状況を把握したのだろう。話が早くて助かると、少年は胸を撫で下ろす。
そして彼女は唐突に頭を下げ、礼を告げて来た。
「ありがとう」
ベッドの上ではあったが深々と、折り目正しいお辞儀だ。
これに少年は面食らう。まさかお礼を言われるとは予想していなかったからだ。
先にも述べたが、少年は自らの下心を原動力として行動した。卑下される事こそあれ、感謝される云われなど無い。
「ちょっ……そんなに頭下げないでくれよ、えっと……」
慌てる少年。彼が慌てた理由は慣れない礼を言われた事と、実はもう一つあった。
少女が頭を下げた時、彼女に着せていたシャツの胸元が大きく開き、少年の立ち位置からだと服の中が……要するに胸の膨らみが見えていたのだ。
もちろん少女の発見時、彼女の裸はしっかりと目に焼き付けている。普段は見る事の出来ないあんな所やこんな所も、今ちらちらと見えている慎ましやかな胸だって、脳内の永久記憶保存領域を探れば鮮明な映像が残っている。
けれどシチュエーションが変われば話は別。大き目シャツの首元から見え隠れする微かな膨らみから少年は目を離す事が出来ない。
「……ぐっ!!」
噴き出しそうになる鼻血を堪え、少年は必死に目を逸らそうとする。だが男の本能が理性を振り切って……目が勝手に見てしまうのだ。
これがもし、胸元がちらっと見えている程度ならば少年も我慢できた事だろう。けれど少女の胸は何分小ぶりであり、シャツの首元という僅かな隙間からその全容が……頂点までもが見て取れた。だから……と擁護するわけでは無いが、少年の眼球に備わった自動エロス追尾機能が、最大限の性能を発揮するシチュエーションだったと言わざるを得ない。
このままでは視線の向かう先が少女にバレるのも時間の問題だ。焦る少年の視界の隅に、微かな笑みを浮かべる少女の姿が映る。まるで挑発するかのように、「気付いてるわよ」と言わんがばかりに、彼女は薄く、妖艶に微笑む。
なにか話題を変えなくては! このままでは鼻血が……そして理性がマズい事になる!
「あ……そ、そうだ。名前! 良かったら名前聞かせろよ」
自らの理性に限界を感じた少年は、ギリギリの所で別の話題を振る事に成功する。鼻血を抑え込みつつ咄嗟に考えたわりには、実に自然で中々にナイスな話題転換だ。
彼自身に名は無いが、見たところ彼女は第三区画の住民ではない。第二か……あるいは第一区画の貴族様かもしれない。だから名無しで答えに窮する、なんて事にはならないだろう。それに何より少年は彼女の名前を知りたかった。
「タマキ」
この問いかけに、少女はタマキと名乗った。
それはこの辺りでは聞かないタイプの名前だった。少年は率直に「変わった名前だ」と返す。
少年が住む第三区画を含むこの国『聖王国』は、広大な国土を持つ王権国家だ。広い領土内には他国に無い文化や施設を持ち、この国にしかない、という特殊なアレコレも多い。空中庭園、超古代の遺跡、世界最大の蔵書数を誇る図書館、騎士養成所……そういった物を求め、他国から多くの人がやってくる。多分、タマキもそういった者の一人なのだろう。
一体彼女が何を求めて聖王国へやってきたのか? もう少し仲良くなったら聞いてみようかな……と考える少年に、タマキが視線を返してきた。「キミの名は?」彼女の視線はそう問いかけている。
「俺、名前が無いんだよね」
そう答えた少年に、タマキは別段驚いた様子も見せなかった。第三区画に住んでいる事、そして身なりや家のボロさ加減からある程度予想していたのだろう。
聖王国において正式に名を名乗るには、国の許可が必要だ。平民階級以上の者であれば生まれた瞬間から名を名乗る事を許されるが、それ以下になるとまず許可が出ない。名を持つ事がイコールとして、国民である証明となる為だ。
だが、それとは別にもう一つ。平民階級以上であっても、名を持つに至らない特殊な理由がある。
この世に『道具として生まれし者』には、名が与えられないのだ。
それはつまり、普段使いのコップに対して固有の名前を付けない事に似ている。スプーンやフォーク、あるいは机や椅子といった全体の呼び名はあるが、それぞれに固有名詞をつける事はまずないだろう。それと同じだ。
そして少年が名を持たない理由は、後者であった。
彼は道具として生を受け、この第三区画で細々と生きている。例えるなら、道端に捨てられている茶碗……といった所か。平民以上と予想されるタマキの身分とは天地以上の開きがあった。
「はは、喉より腹かぁ。安物のパンくらいしかないけど、食う?」
「い、いただきます……」
だから少年は、今この時を大事にしたいと思った。
体力が回復すればタマキはすぐに出て行くだろう。そうなれば彼女は二度とここに足を運ぶ事は無くなり、仮にどこかで会ったとしても言葉を交わす事さえ叶わない。
それは、その辺りのコップと会話をする人間が居ないのと同じで至極当たり前の事。恩人に対して薄情だとかそれ以前の、常識的な話なのだ。
「そのパン、ちっと固いからさ。スープを用意するよ。それにあわせて食おう」
「ああ、お任せする」
少年は頷いて台所へ赴くと、火口箱から手早く火を起こし、鍋をかけてスープを作り始める。
台所といっても掘っ立て小屋同然の狭い屋内での事。タマキが腰を下ろすベッドからほど近い、単なる部屋の隅っこだ。洗いも流しも地べたから一段だけ上がった平たい石の上であり、火を起こした場所も同様となっている。
「すぐ出来るから、ちょっと待ってて」
慣れた手つきで少年は調理を進めて行く。塩と野菜の端切れで味を調える簡単なスープ。けれど漂い始める香りは中々の物で、飢えた腹の虫を期待させるには十分なものがある。
「お待たせ。パン、スープに浸して食うといいよ」
「ああ、ありが……!?」
鍋を片手にベッドへと戻って来た少年に礼を言いかけて、タマキが声を詰まらせた。
「なっ……おい少年! 手っ……!!」
少年が鍋を手で掴んでいたからだ。今の今まで火にかかっていた高温の鍋を、ミトンも何も無く素手で!
「手が焼けっ……煙がっ!! は、早くこっちに渡せ! ほらっ!!」
タマキは慌てふためき、着ていたシャツの裾で手を覆って鍋を受け取ろうとした。だが少年は、めくれ上がったシャツの下に見えるタマキの下肢には頬を赤らめたものの、ついと目を逸らして鍋を高く持ち上げる。
「おいバカっ! 何をしている! 早く渡せ!!」
「大丈夫、慌てんなって」
両手を掲げ、鍋に手を伸ばすタマキ。そんな彼女へ少年は、鍋を掴む自分の手のひらを広げて見せた。
「ほら見ろよ」
鍋の熱で焼け、煙を上げる少年の手。けれどそこに見えたのは肌色をした人間の肌では無い。まるでなめし革のような硬い質感の……いや、なめし革そのものの手のひらだった。
「え? あ……!」
「さっき言ったろ、名前が無いって。俺、革製品なんだ」
これにはタマキも少なからず驚いたようだった。居住環境から、てっきり彼に名前が無いのは貧困によるものだとばかり思っていたからだ。
「革製品……?」
「うん、革鎧。ハードレザーアーマーって言った方が普通なのかな? だからまぁ、このくらいの焼け焦げなら平気ってわけ」
ぱんぱんっと服で手を払うと、肌の質感が人間のそれと同じ物に戻る。焼け焦げていた部分は? と注目して見れば、ほんの少し赤くなっている程度だ。
「ほらな?」
少年は自らの手を鍋敷きのように使って鍋をベッド脇の机に置くと、タマキに座るよう促す。
「さ、メシにしようぜ。ただでさえ不味いスープが、冷めたら余計に不味くなる。それに、このままだと目の毒っていうか……」
少年は未だ呆然と立ちすくむタマキの方をちらっと伺い、頬を赤らめて目を逸らした。そして若干鼻の下を伸ばしながら言ったのだ。
「そろそろシャツ、戻したら?」
「……? ……っ!!」
月の美しい夜。第三区画の外れにある掘っ立て小屋に、甲高い少女の悲鳴と小気味良い平手打ちの音が響いた。