1-2 お持ち帰りされた少女
まぶたの隙間から見える優しいオレンジ色。その温かな光に促されて少女が目を開いた時。最初にそれと認識できたのは、揺らめく蝋燭の炎と、見知らぬ少年の顔だった。
「あ、気が付いたか?」
その少年は、少女が目を覚ました事にすぐ気が付き、声を掛けてきた。茶色い髪をした、みすぼらしい恰好の少年だ。
彼の態度には少し遠慮がちな物が感じられ、少女は漠然と自分が彼にとって客人であるのだと認識する。
辺りを見渡せば、朽ちて今にも崩れ出しそうな木の壁と、古びた椅子や机。そこかしこに見えるのは生活感溢れる食器や洗濯物。そして自分が横たわる随分と古い木製ベッド。となると、ここは……。
「ここ、俺の家。第三区画の外れだよ。あんた、森の道端で倒れてたんだ……覚えてる?」
少女が尋ねるより先に、少年が答えてくれた。
第三区画といえば、この聖王国においてあまり裕福でない人たちが住んでいる地域だ。治安も悪いと聞いている。少年の恰好も見るからに貧乏人のそれであり、彼自身、多少小柄で痩せて見える。栄養状態が良くないのだろう。
もしかして自分は浚われたのか? 少女の頭にそんな考えが一瞬浮かんだが、自らの記憶がそれを否定する。
そうだ、私は自らの足で第三区画へ踏み込み、そして……。
「あー……あと、あとさ。ちょっと良いか? あんたの恰好についてなんだけど……さ」
ボンヤリとした記憶の糸を手繰り寄せる作業が、少年の声によって中断された。
恰好? そう言われてみれば……。
少女が自分の服装を確認すると、何故かいつもの服とは全く違う、ゴワゴワとした薄汚いシャツを身に着けていた。下着も何も身に着けず、ただその一枚きり。
「……!」
少女は慌ててシーツを掻き寄せ胸元を隠した。急激に羞恥心が湧き上がり、日に当てられているかのように顔が火照る。と同時に……曖昧だった少女の記憶が、いま自分の置かれている状況とリンクした。
確か……そうだ。自分は第三区画の人気のない場所へ呼び出され、そこで待ち伏せていた卑怯者たちに……!
「わっ!? な、何?」
思わず少女は、目の前にいた少年を強く睨みつけた。彼は突然向けられた怒りの視線に気圧されたらしく、驚いた様子で半歩下がる。
よくも裏切ってくれたものだ。
少女の頭に、自分を騙した連中の顔が思い浮かぶ。
だが良く思い出してみれば、この少年はあの場に居ただろうか? 見るからにみすぼらしい恰好の、あまりパッとしない少年は?
「ちょ、ちょっと待った! 俺は何もしてないぜ!? そりゃまぁ色々見ちゃったりはしたけど、それは仕方ないだろ? あんた最初から何も着ないで倒れてたんだ!」
目の前の彼が酷く慌てた様子で、言い訳じみた事をまくし立てた。
最初から裸で? ああ、なるほど……そういう事だったか。
合点が行くのに比例して、昂っていた気分が嘘のように落ち着いて行く。
おそらく彼は倒れていた自分を拾い、自宅に匿ってくれたのだろう。酷く慌てた様子から察するに、その際には多少なりとも下心があったのかもしれないが……。
「ありがとう」
「えっ?」
少女は深々と頭を下げ、礼を述べた。
経緯はどうあれ治安が悪いと噂される場所へ身体一つで投げ出され、こうして無事にいられたのは間違いなく彼のお蔭だ。運が悪ければ、ロクでもない連中の慰み者となっていたかもしれない。最悪、命の危険もあったろう。
仲間に……いや、知り合いに裏切られるという最悪な目に会ってしまったが、この少年が見つけてくれた事だけが不幸中の幸い。感謝せずにはいられない。
「ちょっ……そんなに頭下げないでくれよ、えっと……」
照れているのだろうか? 少年は頬を赤らめながら、目をあちこちへと泳がせてソワソワしている。ちょっと可愛げのある仕草だ。
少女がこれまで暮らしてきた世界において、この少年のような反応を返す者はいなかった。それ故、彼女の目に少年は興味の対象として新鮮に映る。
「あ……そ、そうだ。名前! 良かったら名前聞かせろよ」
少年は何か都合の良い言い訳でも思いついたように、名を尋ねて来た。名を名乗るなら、まず自分から……などと返しそうになった少女だったが、恩人に対してそれでは失礼にあたる。
「……タマキ」
「へえ? 変わった名前だなぁ」
タマキ。それが私の名前だ。本当はもっともっと長くて複雑な苗字やら何やらが名前の前後に付くのだが、彼にそれを伝えた所で覚えられはしないだろう。だから初対面の人間にはいつも、自身の事を示す『通り名』だけを伝える事にしている。すると大抵、少年と同じ反応が返ってくるのだ。「変わった名前だね」と。
けれど彼は、そこからが少し違っていた。
「でもなんか、カッコイイ響きだ」
「……!」
恰好良いとはまた変わった事を言う。
続けて発せられた少年の感想に、少女はまた新鮮な驚きを覚えた。
そんな事を言う者はこれまで、ただの一人も居なかった。呼び難いとか、イメージと違うとか、タヌキみたいとか……精々がそんな物だ。聖王国では珍しい名前であるからなのか、褒められた事など無い。
だからそれがほんの些細な一言であったとしても、恰好良い響きだと言われたのは嬉しい。本当はもう少し別の形容詞……美しいとか綺麗だとかの方が良かったのだが、贅沢は言うまい。
だがそうなると、俄然気になって来るのが少年の名前だ。
彼はなんと言う名前なのだろう? そう思い、少女は目線でもって少年に名乗るよう促した。「私は名乗った、そちらの名は?」と。
「ああ、俺? 俺の名前は……って言いたい所なんだけど」
そこまで言って、少年は少し困ったような表情で言葉を止めた。何故だろう? 少女は――タマキは、小首を傾げて少年の次の言葉を待つ。
「俺、名前が無いんだよね」
「……!」
そうか、そういう事か。
少女は内心でもって、様々な事柄が腑に落ちた気がした。
貧しい家に生まれた者や、ある特殊な条件を満たす者の中には、名を持たない者が居ると聞いた事がある。彼が正にそのどちらか……といっても見た感じ、あきらかに前者だろうが。
そう考えると、私の名前を恰好良いと言ってくれたのもきっと、名を持たぬが故の憧れからなのだろう。少し……ほんの少しだけ、がっかりした。
タマキがこっそりそんな事を考えているだなんて全く気が付いていない様子で、名も無い少年は屈託のない笑顔を浮かべて言う。
「俺の事は適当に呼んでくれればいいよ。そっちは……タマキで良い?」
「え……」
いきなり呼び捨て!?
なんて事も少し思ったタマキだったが、恩人に対して「いいや、タマキ殿と呼べ」とは言い辛い。けれど自分は一応準貴族であり、第三区画の住民であろう彼とは身分に開きがある。それに向こうの方が明らかに自分より年下なわけだからせめて、さん付けくらいは……などと考えている沈黙を肯定と受け取ったのだろう。
「そういえばタマキ、喉か湧いてないか? 何か飲む?」
馴れ馴れしく呼び捨てられてしまった。
いけない、これはダメだ。何事も最初が肝心、いくら恩人でも礼儀という物がある。ここはきちっと訂正しておかなければ!
タマキが意志を固めて「さん付けでお願いしたい」と口を開こうとした時。
ぐ、ぐぅ。
腹の虫が先に返事をしてしまった。
「はは、喉より腹かぁ。安物のパンくらいしかないけど、食う?」
こ、このタイミングで……!
タマキの心に自分の腹の虫に対する殺意が湧き上がる。これでは敬称を付けろだなんて、とても言えないではないか!
まぁ起こってしまった事は仕方ない。それに紛う事無く腹だって空いている。
タマキは軽く赤面しつつ、ちらりと少年の顔を見た。そして微かに頷いてパンを受け取ると、目を逸らして小さな声で言ったのだ。
「い、いただきます……」




