1-17 小娘騎士と革鎧
割れんばかりの歓声が遥か遠くに聞こえる。それに代わって近くに感じるのは、互いの鼓動、互いの呼吸。
言葉を交わすまでもない。視線を合わせる必要さえ感じない。タマキの事が、ナオの事が、今ならば手に取るようにわかる……感じられる!
「行くぞ!」
大地を蹴って、一心同体となったタマキとナオが一直線にマルグレィテへ迫る。その鼻先を狙って繰り出される高速の槍――だが二人にとってはその程度、何の障害にも成り得ない。
切っ先をギリギリまで引き付けてから化身を解除し、ナオがタマキを押し退ける形で攻撃を引き受ける。そうやって攻撃目標から外れたタマキが、すかさずナオを再装着。光子となったナオが槍をすり抜けて二人は一つとなり、剣の間合いへ。
「てえぇい!」
腰を深く落として踏み込んだタマキが、低い位置から斜めに斬り上げた。だが鋼の刃を虹色の壁が怪しく輝いて受け止め、甲高い音と共に弾き返す。反動でバランスを崩しそうになるタマキだが……。
「なんのぉっ!」
瞬間的に化身を解除したナオが彼女の身体をしっかりと抱き止め支え、そのままで間髪入れず更に斬り込む!
「せあッ!!」
「くっ……しつ、こいっ……!」
たまらず守勢に回り、槍で防御するマルグレィテ。その防御を返す刃で弾き上げるタマキ。そしてがら空きとなったマルグレィテの胴へ化身を解除したナオが蹴りを放つ!
タマキの身体を軸としての、強烈な後ろ蹴り……だがこれも虹色の壁、絶対障壁に弾かれてしまう。
「ちっ! またかよ!」
反動でよろめき、地面へ転がるナオだったが、バランスを失った瞬間に鎧へと化身。光と化してタマキの元へ戻り、彼女と共にマルグレィテから距離を取る。
「なんだよ、あの妙な色で光る壁! こっちの攻撃、片っ端から弾かれて埒が開かねぇ!」
「ふぅ……あれは絶対障壁。あらゆる攻撃を阻む、防御系エンチャントの最高峰だ」
油断なく間合いを計りつつ、タマキが冷静な声で答えた。
「比喩では無く、あの光る壁はあらゆる攻撃を……例え攻城兵器の一撃を受けたとしても、それを弾き返す」
「なんとかして出し抜くしか無いって事か」
攻略困難な相手である事は確かだが、完全に無敵というわけではない。ダメージこそ無かったが実際に一撃を加えているのだから、きっと何か方法があるはずだ。
必死に頭を捻るナオ。だが、その心にはじわりと焦りの色が滲んで行く。
限界が近いのだ。
今はまだ身体が動く。だが実際には二人とも怪我人で、多くの血を失っている。特に試合開始直後から全力を振り絞り続けているタマキの負担は大きく、動けてもあと数分といった所だろう。
「なぁタマキ、あの野郎って前はお前が着てたんだろ? なんか弱点とか無いのかよ?」
そう尋ねたナオに「デリカシーの無い奴だ」と不満を返し、タマキは声を落として囁くように答えた。
「弱点というか……完全障壁を突破する方法は……ある」
「マジで!?」
ナオが喜びの声を上げた。だがタマキの表情は晴れない。
「あるにはあるのだが……かなり分の悪い賭けになる。それでもやってみるか?」
言いながら、タマキは剣の鞘を腰から外し、予備の武器もその場へ捨てて身を軽くして行く。「やってみるか?」と聞いてはみたものの、もうわかっているのだ。
「おう、やってみようぜ!」
「言うだろうと思ったよ」
タマキは微笑して剣を構え直す。それに呼応するように、ナオが化身する革鎧も淡く輝いた。
「チャンスは一度だ。それ以上は……身体が保たない」
「十分だろ! 一回で決めてやる!」
剣を中段に構え、タマキが走り出す。マルグレィテの周りを円を描くように、ゆっくりと。それに対しマルグレィテは一歩も動く事無く、目だけでタマキを追う。どこから斬り込まれても対応出来るように。
タマキが徐々に速度を上げる。それに合わせ、マルグレィテが槍の握りを変えた。どちらが先に仕掛けるのか? 客席が息を飲んだ、その刹那!
「シッ!!」
マルグレィテが動いた。走るタマキの軌道上へ槍による高速突きを重ねる。
当ったか? と思われた一撃。けれどタマキは一瞬だけ化身を解除したナオを蹴って強引に進行方向を変え、マルグレィテとの間合いを詰めた。
「食らえッ!」
剣を振りかぶるタマキ。
だが素早く槍を引き戻して両手持ちへと切り替えたマルグレィテは、間近に迫ったタマキが攻撃に移るよりも早く横薙ぎの斬撃を繰り出す。
しかし当りはしない。クリッピング・ドッジだ。
タマキが上下にブレて見えた瞬間、槍は彼女の身体を素通りし、更にタマキはマルグレィテの足元へ。ナオは頭上に姿を移していた。
「てえぃ!!」
タマキが隙だらけとなったマルグレィテの足元を薙ぎ払う。だが虹色の壁に阻まれ、金属を擦り合わせたような音が響いたのみ。それとほぼ同時にナオが頭目掛けて蹴りを放つも、槍の柄で受け止められてしまった。
マルグレィテの反撃が来る!
本来ならそういうタイミングだ。
けれどタマキとナオの攻撃は終わらない。
蹴りを防がれた瞬間、ナオは鎧へと化身。一瞬にしてマルグレィテの足元にいるタマキへ合流する。そして間髪置かずに化身を解除して、マルグレィテへタックルを仕掛けた。
その間のタマキは再度マルグレィテへ剣を叩きつけるも、刃を弾く虹色の壁……ナオも同様だ。絶対障壁に顔面を打ちつけて鼻血を噴き出している。
今度こそマルグレィテの反撃……!
「まだだっ!」
そう、まだだ!
鼻血を散らせつつもナオは革鎧へ化身。輝きながらタマキの元へと舞い戻り、剣を弾かれ倒れそうになった彼女を支える。支えられたタマキも大地を蹴って矢のような速度でマルグレィテの側面へと回り込み、斬撃!……と同時に化身を解除したナオが足を払う!
だがやはり完全障壁が攻撃を阻み、弾き返される二人。しかし一瞬にして体勢を立て直して、一呼吸の間も無く攻撃を再開する。
連続する化身、解除、再装着。その度に真っ白な光が周囲を舞い、虹色の火花が散る。
タマキとナオの、目が回る程の連続攻撃。これこそがタマキの言った「完全障壁を破る方法」だった。
完全障壁をすり抜けるには、意識の外から攻撃する必要がある。つまりは不意打ちだ。しかしお互いが十分に警戒している状態で、相手の不意を突く事は難しい。
ならば捌き切れない程の攻撃を仕掛け、防衛本能のオーバーフロウを狙うのみ!
「やああぁぁぁぁッ!!」
「でえぇぇぇぇいッ!!」
叩きつける雨の如き絶え間ない攻撃。舞い散る光が周囲を眩いばかりに照らす中、いくつかの攻撃がマルグレィテへと届き始めた。
「こ、このっ……うっ……! ど、どこからっ!?」
無数の攻撃に晒されて一杯一杯となり、マルグレィテは防御もままならない。しかしクレイスは冷静だった。
「落ち着いて下さい、お嬢様。この程度……」
タマキの攻撃にだけ集中して防ぎ、ナオの攻撃は余裕がある時にだけ弾く。それで十分だ。
脅威となるのはスピードの乗った剣による斬撃。少々素手で殴られようが蹴られようが、仮に引き倒されたとしても絶対障壁で剣さえ防いでいれば致命傷にはならない。
「こうして防いでいれば、相手は手負い。そのうち自壊します」
「わっ……わかっております!」
クレイスの言葉通り、届いている攻撃は全てナオの物だった。タマキの剣は全て、ひとつ残らず弾き返されている。
「くっ……そぉ!」
「はあっ! はあっ……!」
タマキの息が上がってきた。これまでに受けた傷の痛みがぶり返し、傷口からは血が流れ始める。
体力の限界が近い……もう、これ以上は……!
「あっ……!」
その時、タマキの膝がカクンと折れた。スタミナ切れだ。
舞っていた光が一瞬にして散り散りとなり、タマキとナオの動きが止まる。
「お嬢様!!」
「もらいましたわあぁぁぁぁッ!!」
防戦一方であったマルグレィテがこの隙を見逃す筈も無い。
全身全霊を込めた必殺の槍を、これまでで最も速い速度で、切っ先が空を裂く音よりも速く鋭く、タマキの顔面目掛けて解き放つ。
瞬きする間に身体を貫くであろう速度。避けるとか防ぐ以前に認識する事さえ難しい。だが二人は……タマキとナオはこの一瞬に……認識する事さえ困難な一瞬に、全てを賭けていた。
『ここだ!!』
ナオがタマキを支える。タマキは腑抜けた膝に活を入れ、大地を蹴る。上に? いや、前にだ! 槍が向かい来る方向へ……敵の方向へ、二人は突撃する! タマキの手には剣、纏うは革鎧。鋭い切っ先の向かうは槍の先端、その一点!
瞬きよりも遥かに短い刹那の時、眩いほどの火花が散った。
槍と剣の先端がぶつかり合い、甲高い音が響いて衝撃が広がる……いや、衝撃が広がるよりも速く、タマキとナオは更に一歩を踏み出した!
『おぉぉッ!』
二人が光に包まれる。強く、深く。これまでで最も眩い光に。
その瞬間、剣が、槍の切っ先に食い込んだ!
「うおぉぉぉッ!!」
更に一歩! タマキの突きは槍を真っ二つに割きながら、真っ直ぐマルグレィテへと迫る!!
認識できない程の一瞬。マルグレィテの高速刺突とタマキのカウンター。そこに各々が『道具として生まれし者』のフィジカルエンチャントが加わり、その一瞬は生まれた。
「こんな……」
マルグレィテは認識できなかった。自らの危機を、迫る剣先を。彼女の五感全てを、タマキの突きは超越していたのだ。
「お嬢……」
クレイスは認識していた。迫る危険を……けれど対応出来なかった。絶対障壁は間に合わなかった。仮に間に合っていたとしても、本当に絶対障壁は、この突きを受け止める事が出来ていたのか?
「てえぇぇぇいッ!!」
「きゃあぁぁぁぁぁっ……」
遅れて広がる衝撃波、そして光の波。それらに掻き消されるように土煙が吹き飛び、光も消えた。
気が付けばマルグレィテは武舞台の壁に叩きつけられ、首元にはブ厚い板金装甲を貫いた剣先が突きつけられている。
「ま……まいりました」
マルグレィテに、他に言える言葉は無かった。
静まり返る会場。
「試合終了! 勝者、タマキ!!」
だが審判の声高らかな宣言をもって、客席が徐々に……ゆっくり、ゆっくりとざわつき、それは次第に歓声へ。そして拍手が生まれ、至る所で勝利を称える指笛が鳴らされ始めた。
「俺たち、やった……のか?」
「そう……なのかな?」
勝ち名乗りを受けても、未だそれが信じられないと言った表情で、タマキとナオはただボンヤリと立ち尽くす。
即席の紙吹雪が舞い、いくつもの帽子が武舞台へと投げ込まれた。
観客全員からの、惜しみない称賛が今、二人に集まっていた。
そんな中。
「……ほぉら、試合を止めなくて良かったでしょうよ?」
タマキとナオを観覧席から見下ろし、聖王は蓄えた髭を撫でながら、誇らしげな顔でそう言った。
「形骸化した試合なんて、何度取りやめようかとも思ったけれど……こういうのがあるから馬鹿に出来ないよね」
御付の者に零しつつ、老齢の聖王は観覧席を後にする。
小娘騎士と革鎧の少年が、それに気付く事は無かった。