1-14 開戦
「装着……!」
マルグレィテの声に、彼女の背後に控えていた男三人が同時に光へと姿を変えた。一人はタマキも良く知るクレイス、あとの二人に見覚えは無い。
クレイスはマルグレィテの身体に取り付き、もう一人は右手へ。残った一人は腰へと移動したようだ。
対するタマキに装着すべき『道具として生まれし者』は居ない。故に彼女は剣を打ち合わせた試合開始直後、短く踏み込んでマルグレィテの顔面目掛け突きを放つ。
「はぁッ!!」
裂帛の気合でもって突き出される刃。だがその切っ先はマルグレィテの肌へと届く直前、虹色の障壁によって阻まれた。
「我が契約者に傷を与えること適わず」
「ちっ! クレイスお前か!」
剣を弾かれ、タマキがバランスを崩す……と、そこへ逆襲の刃が襲い掛かった。
「ぐっ……!」
目にも止まぬ突き。引き戻した剣で辛うじて受け流すと、剣の腹が削れて火花が散る。それでもなお威力を殺しきれず、タマキはよろめき派手に尻餅をついた。
「あらあら、最初からその様では先が思いやられますわね」
強烈な突きは儀礼用の細剣から持ち替えたマルグレィテの主武装、『道具として生まれし者』が姿を変えた刺突用の槍による物だ。流麗な曲線を描くその槍は馬上でも使用可能なロングスピアと呼ばれる種類の槍で、鋭い穂先をこちらへ向けて淡い輝きを放っていた。
そして彼女が身に纏う鎧クレイスは、白銀に輝くプレートメイルとなって主人を守る。板面の各所に猛る獣を思わせる装飾が施され、肩口には真っ赤な柔毛が風になびいている。初戦で戦った重戦士の鎧に比べると全体的に細身のシルエットで各部が肉抜き加工されており、関節部の可動範囲に加えて機動力そのものも削ぐ事の無い作りとなっている。
そして更に……。
「この攻撃は痛いですわよ!」
マルグレィテが左手で腰の後ろからシュルリと引っ張り出したのは長い鞭だ。これもまた『道具として生まれし者』が化身した武器なのだろう。
危険を感じ、タマキは咄嗟に身を捻る。直後、取り出す動作を攻撃動作に織り込まれた鞭はタマキの元居た位置を襲い、甲高い音と共に武舞台の床を爆ぜさせた。
「ほぉら、まだまだっ!」
「っ!!」
倒れたままのタマキを再度ロングスピアが襲う。矢のような速度で連続して繰り出される突き。初撃こそ運よく防げたものの、それ以降は切っ先が来るタイミングさえわからず、ひたすらに翻弄される。
「あっ!」
程無く、剣が弾かれた。同時に雨のように降り注いでいた突きが止む。
「……拾いなさいな」
遊ばれている……。
首の後ろに嫌な汗が流れた。
圧倒的な戦力差。こちらに『道具として生まれし者』は居らず、向こうには三つ。とても対抗できる戦力では無い。
早く降参すべきだ。
けれど、それは出来ない。
降参する事は、臆病な自分に代わって傷付き、必死に戦ってくれた少年の真っ直ぐな想いに対する冒涜だ。
マルグレィテは「丸腰同然で御前試合に赴く事は聖王への冒涜」だと言った。確かにこの試合、勝ち目など無いだろう。そう取られても仕方ない。
だが聖王の権威を傷付ける畏れよりも、今のタマキは少年の勇気に報いたかった。自分の為に身体を張ってくれた彼の気持ちに応えたい、そして詫びたい。だから降参などしない……何があろうとも絶対にだ。
タマキにマルグレィテの放つ突きは、全く見えていない。急所を狙われたら一発で試合終了だろう。けど、諦めてたまるものか。相手が遊んでいる間に目を慣らし、攻略の糸口を……!
「あぐッ!!」
タマキの右手に激痛が走った。剣を拾おうと伸ばした手の甲を、マルグレィテの槍が貫いたのだ。
「モタモタしているからですわ」
「ぎ……ぁっ!!」
槍が引き抜かれた際、穂先に付いていた無数の返しによって右掌の肉がごっそりと抉り取られた。
鮮血が滴り握力が大きく落ちる。激しい痛みに指先は震え、冷や汗が噴き出す。だがそれでもなんとかタマキは剣を取り、立ち上がった。
「ふふっ、そうでなくては困ります」
マルグレィテが薄く微笑み、手元で槍をくるりと回す……と槍が一瞬にして短く縮み、先端も針のように細く変化した。
「そうか、先ほどからのやけに速い突きは……攻撃に形状変化のエンチャントを合わせて……」
「ご名答」
言って、マルグレィテが短い槍を突き出す。瞬間、短かった槍が長く伸びてタマキの頬を掠めた。
「……っ!」
頬に一筋の赤い線が刻まれる。
刺突の際、槍そのものも伸長していたのだ。本来の突きに加え、槍の伸びる速度……二つの相乗効果が生み出す超高速の攻撃にタマキは全く反応する事が出来ない。
「タネがわかっても対応出来なければ意味がありませんわね」
槍を引き戻す……と次の瞬間には、右足の先端に痛みを感じた。気が付いた時にはブーツを貫き、足の小指に細く尖らされた槍が突き刺さっている。
「うくっ……!?」
「まずは攻撃力、次に機動力……」
続けて右足の薬指、中指、人差し指、そして親指が連続で、瞬く間に貫かれた。悲鳴を上げる暇すら無い。痛みによろめけば、今度は踏ん張った左足の指だ。
「あぁぁぁッ!」
容赦なく順に刺し貫かれてしまう。
両足の指を全て潰されたタマキが思わず構えを崩し、手にしていた剣を杖替わりに床へ着いた。
「ガードが甘いのではなくて?」
「っ!?」
すると今度は左胸に鋭い痛み。
「あと少しで心臓でしたわね」
針のように細くなった槍が、心臓の真上……薄い胸の膨らみに浅く刺さっていた。
タマキの血が槍を伝う。穂先は胸の下部を傷付けるだけに止まっていたが、マルグレィテが本気だったならもう試合は……タマキの命は終わっていただろう。
「う……くっ……くそっ!」
自ら後退し、タマキが胸から槍を抜いた……しかし。
「あぐっ……!」
「逃しませんわ」
今度は右胸の膨らみに槍が浅く突き立てられた。刺さった槍の先端は三又フォークのように変形して胸に食い込み、そして……。
「滅茶苦茶になりなさい」
槍が、捩じられる。
「きゃうっ!!」
柔らかな肉を捩じ切られる痛みに、タマキの口から悲鳴が漏れた。
ぐりぐりと槍先が動く度、目の前が真っ白になるような痛みが胸から全身へと広がり、駆け巡る。あまりの痛みに気が遠くなり頭の中が痺れたが……少年の受けた痛みに比べれば!
「こ……この程度っ!!」
気迫で痛みをねじ伏せ、槍を掴んで半ば強引に胸から槍を引き抜いた。
「あらあら、まだ頑張りますのね。ではその薄っぺらな胸板……」
マルグレィテは軽いステップで数歩下がると、口の端を歪めて槍を手元に戻し、またもタマキの左胸目掛けて高速の刺突を繰り出す。
「削り取ってやりましょう!」
この瞬間、今こそがチャンス!
「そう何度もッ!!」
マルグレィテの言動から左胸が狙われるであろう事を予測したタマキは半身を捻って槍を躱すと、同時に剣による刺突でのカウンターを見舞う。
完璧なタイミング、十分な速度、申し分ない威力。タマキの剣は槍の横っ面を滑るように抜け、マルグレィテの胸を貫いた……かに見えた。
「くっ……!」
だがまたも、クレイスが生み出す虹色の障壁が刃を阻む。
「防御系エンチャントの最高峰、絶対障壁……なんてすばらしい能力なんでしょう!」
歓喜のマルグレィテを前に、タマキの剣が突いた時と同じ勢いで盛大に弾き返される。
「タマキさん隙だらけですわあっ!!」
大きくバランスを崩したタマキ目掛け、マルグレィテが鞭を振るった。
「うぐふっ……!?」
ぬら光る鞭が蛇のようにしなり、タマキの華奢な横腹を強烈に叩く。
周囲に響いたのは小気味良い諸手を打つような音。だが軽い音に反して鞭の一撃は重く、強い。棍棒で殴ったかのように鞭は少女の柔らかな腹に深くめり込み、小さな身体を小石のように弾き飛ばす。タマキの身体は空中で回転しながら数メートルの距離を舞い、地面を拭き取るように滑って壁へと激突した。
到底鞭とは思えない重量感のある攻撃。軽い鞭に威力が上昇するエンチャントが掛かっているのか、それとも元々が重い鞭を軽くするエンチャントなのか。どちらにせよマルグレィテの持つ鞭は、軽く速くハンマーのように重い、ヘビーウィップとでも呼ぶべき代物だった。
「ぐっ……げほ、げほっ……!」
腹部を強く打たれ、胃の中の物が逆流する。口元を拭った手には真っ赤な血……知らぬ間に奥歯が折れていたようだ。
「あらまぁ、なんとも脆い歯ですこと!」
「ふ、ん……丁度、親不知を……抜きたいと、思っていた」
血の唾と共に折れた歯を吐き捨て、タマキはマルグレィテを睨み返す。
身体中の傷が痛み、吐き気が絶え間なく襲って来る。目は霞んで手足が重く、気分は最悪だ。全くもって手も足も出ない。勝てる気がしない。
「だ……が、まだ……まだだっ!」
まだ戦える。
力の続く限り、手足の動く限り戦って、全力を振り絞って。最後の一瞬まで足掻いてやる!
「まだやるおつもりですか、タマキさん?」
「ああ……そうでなければ、彼に会わす顔が無いのでな!」
タマキが震える両手で剣を構える。
「無駄な事を」
マルグレィテも槍を構え直した。ギラギラと輝く切っ先は、タマキの顔へと向けられている。
「では諦めが付くように……頬の肉を削ぎ鼻を落として、本当の意味で会わせる顔が無いようにして差し上げます」
マルグレィテのどす黒い意志が、槍の先端にノコギリ状の刃を生じさせた。おろし金のように並ぶ鋭利な刃は、犠牲者の人肉を的確に挽いて削り取る。
「醜い顔を抱えて一生後悔するがいいわ!」
叫び、マルグレィテが鋭く踏み込む……と同時にタマキも動いた。
「そのような脅しに……」
見えずとも、来る場所とタイミングさえわかれば避けられる!
「屈するものか!!」
タマキは上半身の動きだけでもって槍を紙一重で避け、三度目となる刺突を放つ。
並の相手であれば一撃で勝負をつけられるであろう完璧なカウンターアタック。だが今回もまた、有効打とはなり得なかった。
タマキの剣が閃く……その刹那。マルグレィテは一瞬にして槍を引き戻し、再度放ったのだ!
普通ならば不可能な動き。けれど『道具として生まれし者』三人分のフィジカルエンチャントがそれを可能とし、実現させていた。
カウンターを無為とするマルガレィテの攻撃を前に、普通の装備しか持たないタマキがこれを防ぐ手立ては無い。
「引き裂かれなさぃ!!」
剣を突き出した姿勢のまま、タマキは自らに迫る槍の先端をその目に捉えていた。先ほどまでは全く見えなかったそれを、今はハッキリと認識する事が出来る。
ゆっくり、ゆっくりとこちらへ伸びて来る槍。避けよう、と思ったが自らの動きは槍の速度よりも更に遅く、全くと言って良い程に動かない。
そうする内、血糊に濡れる槍の先端が顔のすぐそばにまで迫って来た。絶対に避けられない間合いだ。
――そうか、これが走馬灯という物か。
長く引き伸ばされた時間の中で、タマキは思った。死の直前に垣間見る事が出来ると聞く走馬灯。一瞬が長く感じられ、これまでの出来事が次々と目の前に浮かぶのだという。
最初に見えたのは親の顔……遠く離れた故郷でタマキを待っているはずの二人だ。そして友人、恩師、故郷の風景。懐かしい物が次々に浮かんでは消える。更には数々の思い出……厳しい剣の修行や聖王騎士養成所での訓練。故郷と聖王国とで言葉の違いに戸惑い、中々周囲に馴染めなかった事。良い成績を修めて目立つ程、周りとの溝が深まってしまった事。
もっと上手くやれたら……心を開けていたら、違っていたかもしれない。
タマキの胸に宿る後悔。
そうだ、気取らずもっと素直になるべきだった。例えばそれは、病室で寝ているであろう少年へしたためた手紙のように。何も飾らず胸の内を明かしていれば、こんな事には……。
だが、もう遅い。
槍は既に頬へ触れ、鋭利な刃が皮膚を裂いて……。
「諦めるな!!」
その時、声が聞こえた。
走馬灯が消えて突然身体が軽くなり、ゆっくりだった時間が徐々に加速し始める。今なら動ける……槍を、避けられる!
「くっ!!」
正に紙一重でタマキは槍を避けた。風を感じると同時に頬が何か所も切れ、耳にも同様の傷を負ったが……大丈夫、致命傷では無い!
元通りの速度で時間が進み始めた。
タマキは追撃を警戒し背後へ飛び退り……そして気付く。体が羽のように軽い。手足の痛みが嘘のように消え、さっきまで重く沈んでいた世界が明るく軽やかに感じられる。まるで背中に翼でも生えたかのようだ。
だがタマキの身に宿ったのは翼では無い。
それは、ボロボロの革鎧。至る所に傷を受けて薄汚れた、見覚えのある茶色の鎧。
「大丈夫か、タマキ? 遅れて悪ぃ!」
「し……少年!」
いつの間にかタマキの身体を、名も無い革鎧が包んでいた。