第一章:もう一つの空
世界は、たった一つだと思っていた。
少なくとも――今日の放課後までは。
「兄ちゃん、遅い!」
玄関を開けた瞬間、双子の妹の声が飛んできた。
リビングでは、同じ顔が二つ並んで頬を膨らませている。
「守、また部活長引いたの?」
エプロン姿の父が苦笑する。
「いや、ちょっとな」
中学二年生、如月守。
どこにでもいる、普通の男子。
――だったはずだ。
食卓には、当たり前の景色があった。
腹違いの妹たち。再婚した父。
そして、どこにもいない母親。
守の中で「母親」は、ずっと曖昧な存在だった。
小さい頃にいなくなった――それだけ。
写真も、記憶も、ほとんどない。
「今日さ、空変じゃなかった?」
双子の片方が言った。
「変って?」
「なんか、二重に見えたっていうか…」
守は一瞬だけ、動きを止めた。
――同じことを、思っていた。
夕方の帰り道。
空が、ほんの一瞬だけ“ズレた”気がしたのだ。
「気のせいだろ」
そう言って、守は味噌汁をすする。
けれど、その違和感は消えなかった。
夜。
守は一人、ベランダに出ていた。
街の灯りが遠くまで広がっている。
いつも通りの、平和な景色。
なのに――
「……まただ」
空が、歪んだ。
まるで、透明な膜が重なっているように。
世界が、二枚あるみたいに。
次の瞬間。
――ドクン。
左目が、焼けるように痛んだ。
「っ、なに……!?」
視界が白く弾ける。
足元が崩れた。
落ちる。
どこへ?
考える間もなく、意識が引き裂かれた。
――――――――
気がつくと。
守は、地面に倒れていた。
「……ここ……」
起き上がる。
視界に入ったのは、見慣れたはずの街。
――だけど、違う。
建物は壊れ、黒煙が上がっている。
遠くで爆発音が響いた。
「は……?」
空を見上げる。
戦闘機が飛んでいた。
しかも、見たことのない形――いや、違う。
“見たことあるのに、あり得ない動き”をしている。
その瞬間。
上空で、光が弾けた。
――人間が、飛んでいた。
「な……に……」
手をかざし、空中で何かを“描く”。
次の瞬間、炎が生まれた。
あり得ない。
そんな光景を、守はただ見ていた。
「魔法……?」
呟いた、その時。
「おい!そこのガキ!」
怒鳴り声。
振り向くと、迷彩服の男が銃を構えていた。
「どこの所属だ!」
「え……?」
言葉が通じているのに、意味が理解できない。
「日本語……?」
「当たり前だろうが!関西連合か!?それとも関東か!?」
守の頭が真っ白になる。
関西?関東?
“戦ってる”?
「……ここ、日本だよな……?」
その瞬間。
男の顔色が変わった。
「……は?何言って――」
ドンッ!!
爆音。
地面が揺れた。
「チッ、来やがった!」
男が空を睨む。
守もつられて見上げた。
そこには――
“異様な気配をまとった人間”が降りてきていた。
長い黒髪。
冷たい目。
そして。
守は、息を呑んだ。
「……うそだろ……」
その顔に、見覚えがあった。
いや、“似ている”なんてもんじゃない。
――知っている。
どこで見た?
記憶の奥がざわつく。
写真。
昔、父が一度だけ見せた。
すぐにしまわれた、あの写真。
「……母さん……?」
女の目が、守を捉えた。
その瞬間。
空気が変わった。
「……やっと、来てくれたのね」
静かに、そう言った。
守の知らないはずの母親が。
この“壊れた世界”で、確かにそこにいた。




