第三話 闘(とう) ― 闘諍の理
宇都宮城の空気は、冬の冷気よりも重かった。
重臣たちの視線は鋭く、
互いを探るように揺れ、
言葉の端々には棘が潜んでいる。
壬生綱房は、その端の席に静かに座していた。
若き国衆に発言権はない。
だが綱房は気にする様子もなく、
ただ目を閉じて呼吸を整えていた。
(乱れている……
この城も、
この家も、
この国も。)
綱房は、
宇都宮家中の腐敗を肌で感じていた。
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その日の夕刻、
宇都宮忠綱が急死した。
病死とされたが、
城中の誰もが信じていなかった。
「毒だ」
「裏切りだ」
「誰がやった」
噂は瞬く間に広がり、
城は混乱に包まれた。
綱房は、
その混乱の中心にいながら、
ただ静かに炎を見つめていた。
忠綱の死を悼むために焚かれた護摩の炎。
その揺らぎは、
綱房の心に奇妙な静けさをもたらした。
(死は、煩悩を断つ。
煩悩を断てば、心は澄む。)
綱房は、
忠綱の死を悲しむでもなく、
喜ぶでもなく、
ただ“意味”を探していた。
その姿を見た家臣のひとりが、
思わず呟いた。
「殿……
まるで、死を“行”として見ておられるようだ……」
左馬助はその言葉を制したが、
胸の奥にざらついた感覚が残った。
(殿……
何を見ておられるのだ。)
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忠綱の死から三日後。
宇都宮家中では、
後継を巡る争いが激化していた。
綱房は鹿沼へ戻る途中、
家臣たちを集めて言った。
「皆、聞け。」
その声は静かだが、
胸の奥に響く力があった。
「闘いとは、
ただ刃を交えることではない。
煩悩を断つための行だ。」
家臣たちは息を呑んだ。
綱房は続ける。
「怒り、恐れ、欲。
それらに呑まれれば、
人は闇へ落ちる。
だが、闘いの中でそれを断てば、
心は澄む。」
左馬助は、
綱房の言葉に寒気を覚えた。
(殿……
戦を“修行”として語っておられる……
これは、危うい。)
綱房は印を結んだ。
「……闘。」
その一字が切られた瞬間、
風がふっと止んだ。
木々のざわめきが消え、
まるで周囲の空気だけが張り詰めたような静寂が訪れた。
家臣たちは、
綱房の姿に言葉を失った。
(殿は……
何かを越えようとしている。)
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鹿沼へ戻った夜。
綱房は屋敷裏の祠に向かった。
月明かりが祠を照らし、
風が杉の葉を揺らす。
綱房は祠の前に座し、
静かに目を閉じた。
「……闘。」
その声は、
祠の闇に吸い込まれていった。
綱房の影が、
月明かりの中で揺れた。
その影は、
人の形をしているようで、
どこか“鬼の輪郭”を帯びていた。
綱房は静かに呟いた。
「闘いは、煩悩を断つための行。
ならば私は、
闘いを恐れぬ。」
その言葉は、
優しさと狂気の境界を越えた者の声だった。
そしてこの“闘”の一字が、
綱房の心に“鬼”の種を植え、
後の粛清と下克上の道を開くことを、
この時はまだ誰も知らなかった。




