表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仏道の鬼将 ― 壬生綱房戦記 ―  作者: 双鶴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/10

第一話 臨(りん) ― 発心

日光山の朝は、俗世とは別の時間が流れていた。

山霧は薄く漂い、杉木立の間を白い息のように揺れている。

鳥の声も、風の音も、どこか遠い。

その静寂の中を、若き壬生綱房は僧に導かれて歩いていた。


まだ二十歳にも満たぬ綱房の眼差しは、

山の空気に触れるたびに揺れ、

何かを探すように深く澄んでいく。


「綱房殿、こちらへ。」


案内役の僧が、

古い堂宇の前で立ち止まった。

堂の中では、僧たちが護摩壇を囲み、

火がゆらゆらと揺れている。


綱房は息を呑んだ。


炎はただ燃えているのではない。

炎そのものが“祈り”であり、

“刃”であり、

“道”であるように見えた。


僧が低く唱え始める。


「のうまく さまんだ ばざらだん……」


声が重なり、

堂内の空気が震えた。


綱房は胸の奥が熱くなるのを感じた。

炎が、祈りが、

まるで自分の内側に流れ込んでくるようだった。


(これが……密教の力か。)


僧が綱房に向き直った。


「綱房殿。

 乱世にあっても、仏法は滅びませぬ。

 むしろ乱世こそ、仏法が必要とされる。」


その言葉は、

綱房の胸に深く刺さった。


---


鹿沼へ戻ると、

父・壬生綱重の病が悪化していた。


綱房は枕元に座り、

父の手を握った。


「父上……」


綱重は弱々しく笑った。


「綱房……

 壬生は小さな家だ。

 だが、民を守る心だけは失うな。」


その夜、綱重は静かに息を引き取った。


綱房は涙を流さなかった。

ただ、父の手を握りしめ、

心の奥で何かが固まっていくのを感じた。


(守らねばならぬ。

 この家も、

 この地も、

 この民も。)


---


父の死から間もなく、

綱房は宇都宮城へ呼ばれた。


城中は腐敗していた。

重臣たちは互いを疑い、

讒言が飛び交い、

忠綱の周囲には権力争いの影が渦巻いていた。


綱房はその光景を見て、

胸の奥に冷たいものが走った。


(これが……武家の現実か。)


だが同時に、

日光山で見た炎が脳裏に浮かんだ。


(乱世こそ、仏法を守るべき場。)


綱房は静かに息を吸い、

心の中で九字の最初の一字を思い浮かべた。


臨――。


“臨む”とは、

ただ前に進むことではない。

己の弱さに向き合い、

己の道に踏み出すこと。


綱房は宇都宮城の廊下を歩きながら、

心の中で呟いた。


「私は、仏法を守るために臨む。

 この乱世に。」


その瞳は、

日光山の炎のように静かに燃えていた。


---


鹿沼へ戻った夜、

綱房は屋敷裏の小さな祠の前に座した。


月明かりが祠を照らし、

風が杉の葉を揺らす。


綱房は両手を合わせ、

静かに目を閉じた。


「臨。」


その一言は、

祠の闇に吸い込まれ、

綱房の心に深く刻まれた。


その瞬間、

綱房の中で“何か”が動き始めた。


それは、

後に鬼とも仏とも呼ばれる男の、

最初の一歩だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ