第六章:裏切りの連鎖
HAYAMAコーポレーションは、再び捜査の渦の中心となった。
しかし、そのオフィスは以前にも増して静まり返り、社員たちは鉄の仮面を被ったように感情を見せない。
「雅宗」のカウンターでは、諒平が驚異的な集中力で情報を洗い出していた。
「見えてきましたよ、大将。HAYAMAの社員たち…特に『応用論理研究会』出身者の金の流れが、五年前を境に一斉に不透明になってる。そして、その金のほとんどが、海外のタックスヘイブンを経由して、ある一つの口座に集約されている」
その口座の名義は、架空のペーパーカンパニー。金の流れを追うことは、そこで途絶えていた。
一方、智仁は足で情報を稼いでいた。
彼は持ち前の人当たりの良さと、時に見せる鋭さで、社員たちの周辺人物から少しずつ話を聞き出していた。
「川村景子…あのサバサバしたキレイ系の女性。彼女、サークルの頃は『氷の女王』って呼ばれてたらしいです。誰も寄せ付けないけど、一度決めたことは絶対に曲げない。そして、キングに唯一、意見できた存在だった、と」
「北嶋翔…あのスマホばかり見てる若者。彼は、天才的なプログラマーだったらしい。サークルの頃、大学のシステムに侵入して、全員の成績を改ざんしたなんて武勇伝もあるそうです」
「そして、新人の森谷愛。彼女は、サークルには所属していなかった。あの人が『あの子だけは、絶対に巻き込んではいけない』って愛甲さんが言っていたと・・」
パズルのピースが、一つずつテーブルの上に並べられていく。
しかし、その全体像はまだ霧の中だった。
捜査が行き詰まりを見せる中、事態を動かしたのは、一本の密告電話だった。
道警本部の記者クラブに、匿名を条件に電話がかかってきたのだ。
「五年前の三億円事件…真の黒幕は、警察庁の副総監だ」
その名は、道警はおろか、日本の警察組織全体を揺るがすほどのインパクトを持っていた。
副総監は、『応用論理研究会』の創設メンバーの一人でもあったのだ。
このリークは、キングが築き上げた鉄壁の組織に、最初の、そして致命的な亀裂を生んだ。
リークの数時間後、春馬の携帯が鳴った。非通知の番号。
警戒しながら電話に出ると、聞こえてきたのは震える男の声だった。
「…轟刑事か。俺は、HAYAMAの小池だ」
あの常に冷静だった小池が、恐怖に怯えきっていた。
「俺は…消される。キングは、俺が裏切ったと思ってる、俺じゃない…俺がリークしたわけではない!このままじゃ殺される!身柄を保護してくれたら、法廷で、知っている全てを話す!」
春馬は独断で動いた。小池の言葉を信じ、彼を札幌市内のビジネスホテルの一室に匿う。
警察内部にまだ内通者がいる以上、道警本部に連れて行くのは危険すぎた。
「雅宗」から隼人が手配した、目立たないホテル。しかし、キングの目は欺けなかった。
その夜、ホテルの廊下に複数の男たちの気配が現れた。プロの殺し屋。
春馬は小池を部屋の奥に隠し、一人でドアの前に立つ。
ドアが蹴破られるのと、春馬が応戦するのとほぼ同時だった。狭い室内で繰り広げられる死闘。
家具を盾にし、地の利を活かして戦う春馬。だが、敵は数に勝る。
春馬が腕に傷を負い、体勢を崩したその時、背後から小池が消火器を男の一人に叩きつけた。
「死にたくないんでね!」
恐怖を振り払うように吐き出した。その一瞬の隙を突き、春馬は反撃に転じる。
なんとか敵を退けたが、ここはもう安全ではなかった。
春馬は、最後の頼みの綱として本郷管理官に連絡を取った。事情を話すと、彼女は即座に決断した。
「…わかった。私の責任で、安全な場所を用意する。ただし、これはあなたの独断行動の追認じゃない。あくまで、重要な証人を保護するための超法規的措置よ」
本郷が手配した場所は、定山渓の奥にある、彼女の私的な山荘だった。
外部とは完全に遮断され、一本道でしか辿り着けない、天然の要塞。
春馬は、追っ手を警戒しながら、夜の山道を走り、小池をそこへ送り届けた。
「法廷で証言するまで、ここから一歩も出ないで。必ず、迎えにきます」
春馬の言葉に、小池は廃人のように頷いた。
道警本部に行かず近くの路地裏で、
「轟、よくやってくれた」
山荘から戻った春馬を、本郷が出迎えた。
「これで、キングを追い詰めるカードが手に入った。でも、その前に、私たちの足元に潜むネズミを駆除しないとね」
本郷の目は、氷のように冷たく、そしてどこか楽しんでいるようにも見えた。
彼女は、この状況を利用して、内通者を炙り出すための罠を仕掛けるつもりだった。
本郷が仕掛けた罠は、シンプルかつ大胆だった。
彼女は捜査会議の席で、
「重要な証人である小池清泉の身柄を、明日、札幌地検へ護送する」と発表したのだ。
そして、護送ルートの詳細が書かれた極秘資料を、捜査本部の限られた人間にだけ、意図的に閲覧させた。もちろん、そのルートはすべて偽情報だ。
そして、運命の日の朝。偽の護送車列が札幌中心部を走る。
本郷と春馬は、別の場所で、内通者がどう動くかを固唾をのんで見守っていた。
キングの手の者が、偽の護送車列を襲撃するはず。
その情報をキングに流した者が、内通者だ。
連絡は、意外な形で入った。
「管理官!偽の護送ルート上で、不審な車両の動きはありません!しかし…!」
通信担当の捜査員が、焦った声で続ける。
「たった今、乾刑事が一人で車に乗り込み、全く別の方向へ向かいました!行き先は…定山渓です!」
「……!」
春馬は、全身の血が凍りつくのを感じた。
乾伸二。
春馬を尊敬していると語り、常に彼を支え続けてくれた、信頼する後輩。
その彼が、キングに繋がる内通者だった。
乾は、偽情報に惑わされず、本郷が本当に小池を隠しそうな場所に、自らの推測で向かったのだ。
それは、春馬への深い理解と尊敬があったからこそ可能な、最悪の裏切りだった。
「急いで!」
本郷の鋭い声が飛ぶ。春馬は、信じたくない現実に打ちのめされながらも、アクセルを強く踏み込んだ。
目指すは、定山渓の山荘。
本当の敵は、いつもすぐ傍で微笑んでいた。その事実に気づいた時、全てが手遅れになろうとしていた。
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