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初めての痛み

木井きいさん、すぐに決めてください。逃げるか止まるか」


「……」


 もう目の前にしゃがれた声の男が近づいているので、今から逃げても遅いのはわかっている。


 だけど木井さんとあの人を近づけるのは駄目なことぐらいは俺でもわかる。


 だから一応木井さんに確認を取ったが、怯えるだけで何も言わない。


「どうしたものか」


「無視してんじゃねぇぞ夢奈ゆな


 男は躊躇いなく木井さんの腕を掴む。


 俺はその腕を掴む。


「あ?」


「木井さんが嫌がってます。あなたはだ、っく」


 俺は今、壁に背中を叩きつけた。


 正直何が起こったのかわからなかったけど、どうやら男に殴られたようだ。


 とても痛い。


「てめぇに話しかけてねぇよ」


「きょ、強一きょういちくん!」


 木井さんが俺に近づこうとしているが、男の腕から逃げ出せないでいる。


 やはり現実は物語のように上手くはできていないようだ。


 まあ上手くできないからって、諦めるつもりはないが。


「暴れんな。あんなのほっといて帰るぞ」


「やだ、離して」


「あ? 俺に逆らうのか? 誰のおかげでここまで生きてこられたと思ってんだ?」


「少なくともあなたのおかげじゃない。お母さんのおかっ……」


「黙れ」


 木井さんが泣きながらの言葉が男の拳で消された。


「おん、なのこのお腹に痣でもできたらどうするんですか」


 俺は壁を支えにして立ち上がりながら男を睨む。


 正直やばい。


 俺の体は同い年の人よりも弱すぎる。


 もしかしたらさっきので骨が折れてる可能性だってある。


 だけどそれがここで立ち上がらない理由にはならない。


「は? だから見えない場所にしてやったんだろうが。無関係の奴が親子の会話に入ってくんな」


「親子? 面白い冗談ですね。それじゃあまるで木井さんの父親があなたみたいじゃないですか」


「お前は馬鹿なのか? そうだって言ってんだよ」


「トンビが鷹を産むってのはほんとなんですね」


「調子に乗んなよ」


 男が木井さんを離して俺に近づいて来る。


 それでいい。


 俺はどうなってもいいから、木井さんを無事にここから逃がしたい。


 その後は……なるようにしかならないだろうし。


「やめ、て」


 だけどそんな上手くもいかない。


 木井さんが男の足にしがみついた。


「なんで逃げてくれないんですか」


「こっちのセリフだから。強一くんは関係ないんだよ。だか、らっ」


「黙れって言ったろ」


 男が木井さんの背中を踏みつける。


「その足をどけろ」


「あ? はっ、とがしたいなら自分でなんとかしてみろ。お前はどうせ、夢奈の顔に惚れただけのガキだろ? 夢奈なんかほっといてさっさと逃げればいいものを──」


「どけろ」


 自分でも驚くぐらいに低い声が出た。


 そのおかげか、男が驚いたように少し身を引いたので、木井さんから足がどいた。


「きょう、いちくん?」


「ガキの迫力じゃねぇだろ。死地にでも行ってたってのかよ」


 木井さんと男が驚いたような顔で俺を見てくる。


 死地ではないが、似たようなものなら生まれてからずっと見てきた。


 そこから救ってくれる予定の木井さんの為なら、俺はどんなことだってする。


 この命に替えても。


「死にかけが一番恐ろしいとは言ったものだな。あん?」


 男が地面に落ちていた袋を手に取る。


 それは俺が木井さんに選んだ水着の入った袋だ。


「俺から金をせびったわけはこれか。はっ、なんだ、夢奈の方もそれにご執心ってか。だったらいいこと教えてやるよ」


「や、やめて! それだけ……」


「黙れって言ったよな? 三回目だぞ」


 男が木井さんの頭を踏みつける。


 体が動かないせいで何もできない自分が恨めしい。


 動いたところで何もできないのはわかっている。


 だけど木井さんが目の前で痛めつけられているのに、俺がただ見てるだけの状況が許せない。


「夢奈がどうやってこれを買う金を手に入れたか知ってるか?」


 男が水着の入った袋を持ち上げながら言う。


「そんなことに興味はない。足をどけろ」


「お前みたいな正義のヒーロー気取りの奴は痛めつけるよりも心を折った方が手っ取り早いんだよな」


「どうでもいいから早く足をどけろ」


 せめてスマホがあれば警察に連絡したり、録音録画ができたものを、俺が無用と切り捨てたせいで何もできない。


 俺が無能だったばっかりに木井さんが嫌な思いをしてしまう。


「夢奈はなぁ、俺に身体を売ったんだよ」


「……」


「別に今回が初めてじゃない。夢奈は顔はいいから俺の相手をさせてた。従順でいいおもちゃだよ」


「……死ね」


 あまりこの言葉は好きではない。


 言ったら自分に帰ってくる気がするから。


 だけどそんなの気にならないぐらいにすんなりと口から出てきた。


 あいつは、いない方がいい。


「言葉だけは強いが、行動ができてない。さっき殴った感触でわかるが、お前は軽すぎる。体も言葉もな」


「黙れクズ。消えろ」


「はっ、消えるのはお前の方だろ。親子であら俺と夢奈が一緒に居て何がおかしい。お前は夢奈にご執心なのかもしれないがな、夢奈にとっては数ある男の一人にすぎないんだよ。今は夢奈がお前に気を許しているかもしれないが、それだって全部演技にすぎない。男は単純だから少し体を触らせるだけで貢いでくれるんだからな」


「ほんとに黙れよ。お前が木井さんを知ったような口を叩くな」


 できるなら今すぐにでもあいつの顔を殴ってやりたい。


 だけど殴ったところで俺の力ではダメージにならないだろうし、逆上したあいつが何をするかわからない。


 住宅街なのに都合悪く、誰もここを通る気配もないし、正直詰んでいる。


 最終手段はあるけど、それは本当に最後の最後でなければ使えない。


 そして使ったら木井さんが悲しむ。


 まあそんなことを言ってる場合ではないからやるしかないんだけど。


「ていうか、あなたが一番木井さんの魅力に負けてるじゃないか。木井さんが可愛いから手を出したって? ただのロリコンじゃん」


 俺はできるだけ馬鹿にしたような笑い、蔑むような目を向ける。


「他の女の人に相手にされないからって娘に手を出して、その娘が同級生の男子と歩いていたから拗ねて暴力を振るう。どっちがガキなっ……」


「言いたいことはそれだけか?」


 男に本気でお腹を殴られた。


 壁と拳のサンドイッチで、鈍い音が聞こえたから多分やばい。


 だけど、成功だ。


「図に乗んのもいい加減に……」


「かはっ」


 男が振り上げた足を空中で止める。


 俺が血を吐いたからだ。


 どんな人間だって自分が殴った後に血を吐かれたら追撃はしてこない。


 これが喧嘩が当たり前の人達なら話は別だけど、この人は違う。


 むしろ喧嘩とは逆の立場の人間な気がした。


「ちっ、貧弱すぎんだろ」


「チキン、が」


「クソが! 殺してやろ……」


 男が何かに気づいて道の先を見る。


 どうやらやっと運が回ってきたようだ。


「こんなんシャレにならねぇだろ」


 男が人が来た方に背中を向けて逃げ出そうとする。


「結局、逃げ、るんだ。弱虫」


「どうせほっといても死ぬ奴が何言っても興味はねぇ。お前が死んだら夢奈が壊れるまで使い潰してやるよ」


「そん、な未来は、来ない。木井、さんは、幸せになるべき、なんだ」


「死に損ないは黙ってろ」


 男はそう言って走り出した。


 その後すぐに頑張って這いながら近寄っていた木井さんが来て、たまたま歩いて来てくれた二人組のカップルらしき人達が警察と救急車を呼んでくれたようだ。


 その頃には俺の意識はなかったから知らないけど。

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