剣聖
――その男は、空気を変えた。
漆黒の獣が低く唸る。
その音は、まるで己を奮い立たせるようなものだった。
「……面白い。」
男は静かに呟いた。
すらりとした長身。防具の上からでもわかる、鋼のように引き締まった身体。
無駄のない動作で、剣を構えている。
細身の刃だが、纏う気迫は鋼鉄を超える鋭さを持つ。
「いくぞ。」
その一言と同時に、漆黒の獣が閃光のように跳躍した。
それを、男はいとも簡単に見切った。
獣の怒りの咆哮が轟く。
「ふぅ……」
男は少し息を吐きながら、一歩踏み込む。
ドンッ!!
男の体が、霞のように揺らぎ、
次の瞬間、漆黒の獣の喉元へ剣先を突き出した。
漆黒の獣は、巨体を空中で捻った。
ガギィィン!!!
獣の牙に阻まれ、刃が弾かれた。
「ほお。なかなかやるじゃないか。じゃあこれは――」
男は微笑みながら、間髪入れずに二閃目を放つ。
漆黒の獣も負けじと、反撃に爪を振るう。
禍々しい殺意が、空気を引き裂く。
――剣と爪が交差する。
ギャリィィィン!!!!
赤い火花が飛び散る。
漆黒の獣は、巨体に合わず俊敏だ。
咆哮を響かせながら、疾風のように連撃を浴びせる。
爪、牙、跳躍、噛みつき――そのすべてが、一撃必殺の威力を持つ。
当たれば、ひとたまりもないだろう。
当たれば。
「おお。速い、速い。」
男は笑みを浮かべながら、それらをすべて見切る。
紙一重の距離でかわし、最小の動きで反撃する。
まるで、ダンスを踊っているようだ。
漆黒の獣が牙を剥く。
男はいとも簡単にかわし、背後を取った。
「悪いな、斬るぞ。」
言葉と共に、閃光が走る。
ズバァァッ!!
「ッッッ……!!グルァァァァ!!!」
漆黒の獣の背中が裂け、血が噴き出す。
「なるほど。こいつ、防御魔法を使っているのか。並大抵の冒険者では太刀打ちできないはずだ。」
男は少し驚いた様子だが、冷静に分析しながら、間合いを測っている。
「それじゃあ――純粋な力で押すしかないな。」
男は深く息を吸い込んだ。
次の瞬間――
「剣技――破空閃」
彼の足元が爆発するように大地を砕き、一瞬で漆黒の獣の懐に踏み込む。
その剣閃は、風を裂くような速さだった。
「――ッ!!」
黒狼の腹部が裂け、血飛沫が舞う。
「終わりか?」
男は身構えながら、血の霧の向こうを睨む。
――だが。
「グルルル……ッ!!」
漆黒の獣は倒れていない。
男は手元の剣に目線を移した。
その刃の一部に、わずかな亀裂が入っていた。
――刃こぼれ。
「あー。朝の戦いで、消耗してたか。」
男は、苦笑した。
どうやら、この戦いの前にも激しい戦いがあったらしい。
「さて。どうするかな。」
漆黒の獣の傷は深いが、まだ戦えそうだ。
剣の消耗にも気づいていて、機会を窺っているようにも見える。
「賢いワンちゃんだ。」
男がそう呟いたときに、セシリアが恐る恐る近寄り、声をかけた。
「あの……!!よかったら、この剣を使ってください……!!」
セシリアが剣を差し出した。
それは、彼女が持っていた星屑の鍛冶屋の剣だ。
――流れるような曲線美を持ち、研ぎ澄まされた刃。
男は、それを一瞥すると、口元に笑みを浮かべた。
「おいおい。めちゃめちゃいい剣じゃないか。」
彼は迷いなく、セシリアの剣を受け取る。
そして、ゆっくりと腰を落とした。
「お嬢さん、ありがたくお借りするよ。じゃあ、危ないから下がっておいてもらえるか。」
漆黒の獣が、最後の一撃を放つべく、全身の闇の魔力を解き放つ。
――空気が震える。
「結構楽しかったよ。でも、もうそろそろ終わりにしよう。」
男が静かに囁く。
次の瞬間――
空間が裂けるような一閃が放たれた。
「――剣技、天絶一閃。」
一瞬、時が止まったかのように感じた。
次の瞬間、斬撃の余波が大気を裂き、周囲の木々が根元から弾け飛ぶ。
ズバァァァァッ!!!!
漆黒の獣の首が、宙を舞う。
闇に染まった獣の巨体が、一拍遅れて崩れ落ちた。
刃は、漆黒の獣の防御魔法すら貫き、一刀両断した。
「ふぅ。刃こぼれしたときは少し焦った。」
男は、ゆっくりと息を吐いた。
そして、セシリアに近づき、星屑の鍛冶屋の剣を丁寧に返した。
「お嬢さんだけでも無事で良かった。それにしても、これほどの剣を作れる職人がいるとはね。これは――どこの鍛冶屋の剣だ?」
セシリアは、震えながら答えた。
「……えっと。星屑の鍛冶屋の、剣です。」
男は、その言葉を聞くと、満足げに頷いた。
「ふむ。聞いたことない名前だ。覚えておくよ。」
そう言うと、彼はゆっくりと後ろを振り返った。
そして、エリザと近衛騎士団たちの亡骸に歩み寄った。
「お嬢さん。辛いかもしれないが、彼女、彼らたちを埋葬してあげよう。このままだと、亡骸が魔物に弄ばれてしまう。」
その言葉で、セシリアはいまの状況をようやく冷静に振り返ることができた。
エリザの裏切り、そしてエリザや近衛騎士団たちの死。
この悪夢を引き起こした黒幕が、実の弟――リヒト・キアーノ。
止まっていた涙が溢れ出してきた。
男は、セシリアを優しく抱きしめながら「大丈夫だ。」と囁いた。
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埋葬が終わって、セシリアは改めて男と向き合った。
「本当に助けてくれて、ありがとうございます。あなたは命の恩人です。えーっと。」
「ああ。自己紹介がまだだったな。俺の名は――レオン・ヴェルフォード。」
すっかり日が落ちた静寂の中で、その名が響いた。
その名は、世界に名を轟かせる剣聖の名だった。
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