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最愛の『家族』に贈るべき【ワイロ】

作者: AMAKA

 ひとつを除けば。


 少女にとって、いつもどおりに、理想的な朝の食卓。


 光と夢のあわいにたゆたい、あくびする、繊細微妙な時間。


 手をパジャマに突っこみ、背中掻き掻き、


「ママンジュ、パパンジュ、おはよンジュ……」


 母があわてた声で、


「まあ、お客様の前ですンジュよ! もっとお行儀よくなさいンジュ! ほんとにすみませンジュ、【天使長】」


 この朝、唯一の異物。


 似合わぬ【天使長】という呼び名の男が、食卓で頭を振り振り、


「いや、こっちゃこそ、すんまへンジュ、甘えさしてもろて……」


 なんてこったいンジュ。


 掻いた指先嗅ぐとこまで見られちゃったンジュよ……!


 湧き上がる、ごく軽い憎悪。


 大体なんで泊まったンジュ、図々しいにもほどがンジュ……!


 されど、その怒りも、長くは続かず。


 少女は改めて、この謎めいた、両親と同じくらいな年かさの男とおはようを交わしたとき、


「出来ましたンジュよ! ペコリーノチーズたっぷり、パパンジュ特製カルボナーラ風オムレツ!」


 両手に皿を載せた父がやって来て、


「まあ、美味しそうンジュ!」


 胸の前で、両手の指と指を合わせる母。


 見つめあう両親を、穏やかな、しかし、どこか悲しげな眼で眺める【天使長】。


 ざまあ見ろ、でございますンジュ……。


 秘かにおなかで笑う少女。


 あなたがどんなにママンジュを片想っても、パパンジュにはかなわンジュよ……!


 確かに、おじさんにしては、ぱっと見悪くはないかもンジュけど、目元が卑屈だし、猫背だし、全体的にくたびれてて、だらしないし……。


 きのう、夕食に両親の客として現れ、『なつかしい友人』と紹介されて以来、ずっと胡散臭いものをこの【天使長】に感じ、彼を含めた三人の過去の関係にあれこれ気を揉んできた少女としては。


 今のこれで、ひとつ、けりがついた気持ち。


 それにしても、なんでだろンジュ……?


 自然にやわらぐ少女の頬。


 なんて……、(このおじさんを除けば)なんて気持ちの良い朝ンジュ……!


 さわやかな日射し、静かだけど饒舌な空気、甘いカフェオレの匂い、やさしくて素敵な家族。


 本当に、(このおじさんを除けば)完璧な朝ンジュ……。


 そして、それは、あまりにも突然、


「あかん! 二人とも、顔に気ぃつけえっ!」


 おじさん何ンジュ、そのしゃべり方……?


 それに、『二人』って……。


 誰と誰?


 そのとき、悲鳴をあげた母の、視線の先。


 父の顔面が裂けた。


 少女には、めり、という頬骨を断ち割る音まで聞こえた気がして。


 すべてが終わった。


「……あナたを【贈賄】の罪で告発しマす」


 母から父への、突き放したような声。


 両手で顔を押さえた父を見る母の目は、信じられないほど冷たく。


「ママンジュ、何言ってるンジュ? パパンジュは怪我してるンジュよっ?」


「お嬢ちゃん、安心し。怪我やない」


 おじさんの、つぶやくような言葉。


「見たことなかったんやから、無理もない……。君のお父ちゃんはな、今『笑ろた』んや」


 わろた……?


 て、何ンジュ……?


 割れた二枚の皿の間に、膝を突く父。


 それを、あごをそらせて見下ろす母。


 続けられる、おじさんの言葉。


「お嬢ちゃんがふだん話してる、その【超準語】は、『標準語を超えた標準語』として制定されたもんやが……、その目的は、それを使う人間を、いわば『天界の住人』のレベルに引き上げることやった」


 意味不明もいいとこンジュ……。


「【超準語】は、その話者を、課題や人間関係などの外部環境に、完全に『調和』させる。激情を去り、私情を律することによって、互いの判断のゆがみを消しあう。そしたら、そういう社会では、かつて親愛の情を意味した『笑顔』という頭部の様相さえ、汚いやり口、自分を抱きこもうとする【ワイロ】に当たるんや」


 だから……!


 えがお、て何ンジュよ……!


「【超準語】の普及と、それにともなう、いくつかの支援政策によって、人びとは【能面クラチューラ】、『無表情の被造物』……、つまり【天使】と化した。寿命は急激に延び、以前あった犯罪は消滅し、科学は指数関数的に進化した。無表情という表情、『調和』を体現したその無表情が、【天使】のこの上ない日々の喜びを強く保障した。……ただし、『笑顔』という【ワイロ】を【凍土監獄】行きの重罪とすることによって」


「もう、あなたも知っておいていい年ンジュ。家族の間でも【笑みワイロ】は許サれない!」


「やめとき、……!」


 と、母の名を呼ぶおじさん。


「【天使長】、あなたがそれを言うンジュっ?」


「いや今回に限っては、とがめんと済ますべきや。おれらにとって、今朝という朝は完璧すぎた」


「聞けるものンジュか!」


「聞いてもらう!」


 立ち上がった母と、おじさん。


 おじさんの顔が、裂け上がった。


 電流に触れたように痙攣する、母。


「旦那のさっきの『微笑』とは、格が違うやろ……。このクラスの【ワイロ】にさらされて、心変わりせずにおれる【天使】は一人もない……」


 抵抗の気力を失い、よろめいて、おじさんの腕の中に倒れこむ母。


 抱きしめられた母の唇が、まるで何かを期待するように、上向いて、


「……妻かラ、離レろっ!」


 叫んで躍りかかった父の、皿の破片を持った手が、なぜかいきなり、血しぶきを上げた。


 破片を取り落とし、傷口を押さえて、うめく父。


「お嬢ちゃん、もうひとつ教えたる。今のは【眉間ナイフ】や」


 おじさんの額に、深い、複数本の、溝。


「『敵意』や『害意』の表情を向けられた【天使】は、眉間のしわさえ『本物の刃物』に感じるんや。……二人とも、おれを見い!」


 おじさんの再びの『笑み』。


 破格の【ワイロ】を受けた両親が、法悦のうちに失神するのを、身じろぎもせずに見つめる少女。


 おじさんがこちらを向いたときには、すでに少女の両目は、固く、つむられて。


「賢い子や」


 その賞賛は、少女からの拒絶に傷ついた声で、


「でも無駄やで? 『気配』て言葉、知ってるやろ? 『笑みの気配』、『怒りの気配』、『強圧の気配』……。それらからは逃れられん」


 そんな手にはンジュ……。


 目を閉じたまま、少女が言った言葉は、


「おじさンジュは、ママンジュが好きだったンジュ?」


「ほんま、賢い子やな」


 肯定も否定もしない、おじさん。


「わたしンジュは、おじさんの子供ンジュ?」


「……せやったら、どんなええか、て思うわ」


 伝い落ちる水の気配。


 何かを飲みこみながらのような、喉の奥がひしゃげたような、声。


 目を開けると、おじさんの頬が、洗ったように濡れ光って、


「ごめんな、お嬢ちゃん。自分みたいな、頭のええ、感受性の鋭い【天使】が、統計上いちばん『人殺しのバケモン』に育ちやすいんや。おっちゃんの昔の親友らが、そうやった」


 一度、うつむいてから、


「今あったことは、全部忘れてもらう」


 おじさんの顔が、【ワイロ】と【ナイフ】を同時にあらわした。


 肉と皮のひきつれた、異形な、非対称な、容貌。


 人外の顔。


 殺さレる……!


「今朝あったことの記憶を消す。おっちゃんのことも忘れてもらう」


 精神をかき回される感覚。


 何モ、見えナ……!


「どうか……」


 飲みこみながらのような声。


「どうか、立派な【天使】になるんやで……」






 ひとつ残らず。


 少女にとって、いつもどおりに、理想的な朝の食卓。


 光と夢のあわいにたゆたい、あくびする、繊細微妙な最高の時間。


 手をパジャマに突っこみ、背中を掻き掻き、掻いた指先の匂いを嗅ぐ。


 なじみ深いその臭気を吸いこんだ刹那、頭の中で何かのスイッチが入った感覚。


 口をついて出た言葉は、


「ママンジュ、パパンジュ、おはようさんっ! 気持ちのええ朝やねっ!」


 少女の両親は仰天、震撼したが。


 やがて。


 父は目を閉じて、穏やかに天を仰ぎ。


 母は両手指を胸の前で合わせ、やはり穏やかに、静かに、涙した。(「最愛の『家族』に贈るべき【ワイロ】」完)

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