1話・奥の手
ダンジョン―――それは冒険者の冒険譚において必ずといっていいほど登場する胸踊る冒険の場。
立ちはだかる魔物、光輝く金銀財宝、仲間との友情、ヒロインとの淡い恋。
だが現実はそう甘いものではない昼夜問わず襲い来る冒険者、気を抜くといつの間にかかっさらわれている宝箱の中身、華々しい冒険譚の裏側にはダンジョン経営陣の汗と涙と血潮が隠れているのである。
◇
新人ダンジョンマスター・ネロはダンジョンのマスタールームから水晶を通してアンデッドダンジョンに侵入してきた冒険者の一団の様子を見ていたが、結果は酷いものだった。
冒険者達の腕前がではない、ネロの経営するアンデッドダンジョンのボスが、である。
じわじわといたぶるようなやり方で弱らせていき相手を嘗めてかかった結果、間抜けなヘマをやらかし見事こんがりローストビーフへと変貌を遂げ冒険者に宝をむざむざと奪われていった。
「で?何か言い訳があるなら聞いてあげるけど」
「わ、私は精一杯頑張ったぞ!悪いのは私じゃなくて…そうだダンジョンが暗いせいだ、もっとボスエリアに照明を設置してくれればマントを踏んだりすることも無かったんだ!」
「アホかッ!!どこのアンデッドダンジョンが照明設置して暗さ対策するんだよ!そもそもお前吸血鬼だろうが、暗闇ぐらい見通せよ!」
「仕方ないじゃないか、まだ吸血鬼になって十年なんだぞ暗いものは暗いんだよ」
目の前でネロと舌戦を繰り広げている少女こそが先程こんがりローストビーフになっていたアンデッドダンジョンのボス、吸血鬼カーミラである。
整った端正な顔立ちに吸血鬼特有の赤い瞳、自前のブロンドは腰まで伸ばし彼女が動くたびにさらさらと揺れている。
「それならそのマント脱げよ、しょっちゅう裾踏みつけて転んでるじゃねーか!」
起伏の乏しい体型に似合わない真っ赤なイブニングドレスと黒の分厚いマントを羽織るようにしている格好はダンジョンのボスとして戦闘に適しているとは思えない。
「こ、このマントはダメだ!私の吸血鬼としてのアイデンティティなんだぞ!」
「ひよっこ吸血鬼が何言ってやがるんだ、オラとっとと脱げよ!」
額に青筋を浮かべたネロがカーミラへと掴みかかるが仕方のないことだろう。というのもこのダンジョンが開店してから一週間、その間にカーミラが敗北したのは五戦中五回、しかもその全てが躓いたりマントを岩に引っかけたりと何ともまぁ間抜けな理由ばかりだからだ。
「やめろこの変態がッ!!」
マントを引き剥がそうとしたした瞬間、ネロの腹にカーミラの横蹴りが打ち込まれ「ぐぅげぇえ」とカエルが潰れるような声を絞り出しながら吹き飛ばされる。
当然の結果だろう吸血鬼といえば人間を素手でくびり殺すことができる怪力無双の魔物だ。カーミラも成り立てとはいえ吸血鬼、男一人程度なら軽々と吹き飛ばすことなど容易い。
そもそも美しい美少女の衣服を剥ぎ取ろうとした成人男性が返り討ちにあったからといって擁護する者は皆無だろう、それがただの美少女ならばだが…。
「ゲホゲホッ、死んだらどうするんだ。これでもお前の主人なんだぞ」
「安心しろここはアンデッドダンジョンだ、ダンジョンマスターが腐った死体でも誰も気にせんさ」
「いや、蘇生してくれよ、腐った死体がダンジョンマスターとか秒で経営破綻するぞ」
「ハッハッハ、そうなったら私がダンジョンマスターを引き継いでやろう」
「その謎の自信はどこからやって来るんだよ…」
高笑いをするカーミラにネロは半ば諦めの混じった視線を向ける。つい先程見るも無惨な焼死体から蘇生したばかりだというのに…
『ビィーッビィーッビィーッ』
マスタールームにけたたましくブザーの音が鳴り響いた。侵入者、もとい新たな冒険者の一党だろう。
「よし、カーミラ今回こそは頼んだぞ死ぬにしてもなるべく蘇生しやすい死因になるようにしろよ」
剣で刺されるのとこんがり丸焼きになるのでは蘇生にかかる手間が大違いだ。
「ふん、矮小なる人間どもに今度こそ夜の眷属たる私の力を見せてやろうではないか!」
どうやらハリキリすぎてネロの話は右から左のようだ。
そのまま意気揚々とカーミラはマスタールームを後にし、自分の持ち場へと戻っていく。
それを見たネロは思わずポツリと呟いた。
「…ありゃ今回もダメかな」
◇
今回の冒険者は一党ではなく単独のようだ。だがけっして弱いわけではなく鍛え上げられている肉体と洗練された剣術を武器に吸血鬼であるカーミラと渡り合っている。
「…まずいな」
モニターを見つめていたネロが眉間にシワを寄せる。
「実力は互角みたいだが、長引くとカーミラがヘマする確率があがる」
確率があがると口では言っているが内心では確実にヘマをして負けるだろうと確信を持っていた。
ネロは水晶の近くに置いてある念話の魔道具を起動してカーミラに話しかけた。
「あー、あー、カーミラ聞こえるか?」
『!?な、何だマスターかびっくりするじゃないか』
「そのまま戦いながら聞いてくれ、これから奥の手を使うから冒険者を宝物庫の前まで誘導できないか?」
『奥の手だと?そんなものがあるなんて聞いていないぞ』
「使いどころが難しいうえに一回こっきりしか使えないからな黙ってたんだ」
念話に応じているが水晶に映るカーミラは全身に傷を負い吸血鬼の治癒力でなんとか戦えている状態だ。このままでは負けるのも時間の問題だろう。
『分かった。なんとか誘導しようじゃないか』
「頼むぞカーミラ」
カーミラは相手に悟られないように攻撃を回避しながらゆっくりと後退していく。
戦闘をしているボスの間はダンジョンの最奥にある宝物庫から目と鼻の先にあるためそれほど難しい作業でもない。だが相手は手練れの冒険者、油断は出来ないだろう。
「ハッハッハ、冒険者よなかなか楽しい一時であったがそろそろ終わりにしようではないか!」
「クソ、なかなかしぶとい魔物だぜ!」
なんとか宝物庫の前まで誘導することができたがカーミラは満身創痍といった状態に対して冒険者はかすり傷程度しか負っていない。
ネロもその様子を固唾を飲んで見守っていた。
『マスター、宝物庫の前まで誘導したがそろそろ限界だ!』
念話からはカーミラの焦った声が聞こえてくる。
「待て、もう少し…あと一歩……今だカーミラ!冒険者を数秒でいいから押さえてくれ!」
『なっ!?えぇーい、後は何とかしてくれよ!』
一瞬同様したカーミラだったが瞬時に地面を蹴り、冒険者にぶつかるようにして地面に押し倒す。
「よし!これで終わりだ!!」
ネロがリモコンのスイッチを押すと水晶に映っているカーミラと冒険者の姿が強烈な光に包まれてかき消される。
『…へ?』
そして少し遅れてダンジョン全体を震わせるほどの爆発音が響き渡る。
ダンジョンの揺れが収まり、ネロが恐る恐る水晶を見ると二人がいた場所には粉々になった肉片が散乱しているだけだった。
「次はミンチの再生か…」
◇
「ハアァァ、爆弾だと!?何を考えてるんだ貴様!」
ミンチから再生したカーミラは奥の手の正体をネロから聞いたとたん怒り狂ってネロに詰め寄ってきた。
「お、落ち着け、頑丈な宝物庫の前で爆発させたしダンジョンが崩落しないように威力も調節しといたから 大丈――」
「大丈夫なわけないだろう!!?ダンジョンの心配をしてるんじゃない、何で私の体に爆弾なんて埋め込んだのか聞いてるんだよ!!」
そう、カーミラが粉々になった原因はネロがスイッチで起爆した爆弾によるものだ。しかも爆弾は床や壁ではなくカーミラの体内に仕掛けられていたというのだからカーミラが怒るのも無理はないだろう。
「いや、ボスたる者自爆機能の一つや二つはあった方がいいと思って蘇生するときにちょいちょいってな」
「アホか、自爆機能搭載の吸血鬼がどこにいるんだ!」
「分かった、分かった、俺が悪かった。もう二度としないから許してくれよ」
「当たり前だ、次やったら本当に腐った死体にしてやるからな」
「あぁ、肝に命じておくよ、それより」
ネロは、むくれているカーミラに近づくと果実酒の入ったグラスを手渡す。
「初勝利おめでとうカーミラ。これからもよろしくな」
カーミラは膨れっ面のまま乾杯をする果実酒に口をつけた。
「まったく、あの奥の手は禁止だぞ!二度と使用しないこと、いいな!」
「はいはい、了解ですよ」
「…ちなみにもう爆弾は埋め込んでないよな」
念のためといったようにカーミラがネロに問いかける。
ネロは数秒動きが停止したあと
「……ハハハ」
乾いた笑いを出したのだった。