第9話 どうだ、学者を満足させる料理を作るだろう
マルカの町の町長宅に一人の学者が来ていた。
名はエスクードといい、穏やかな外見をした30代の男であった。
白髪頭で年配の町長がシチューを振舞う。
「我が町でもっとも人気のあるシチュー店のビーフシチューです。召し上がって下さい」
エスクードはうなずくとビーフシチューを食べ始める。
「……とてもおいしいです」
しかし、その顔に満足感はほとんどなく、お世辞を言っているのがすぐに分かる。
町長はわけあって、この学者を接待しなければならない立場にある。このままではまずいという焦りが浮かぶ。
「うーむ、どうすれば満足してもらえるのか……」
***
それからすぐ、町長は成金の家を訪れていた。
「町長、どうしたのだろう」
「実は成金さんに頼みたいことがあってな」
「なんだろう」
町長の話をまとめると、このような内容だった。
王国がエスクードという著名な学者を海外から招いた。エスクードはシチュー好きだというので、王国は一流シェフの用意したシチューを次々に提供したが、一向に満足させられなかったという。そこで、いっそ庶民的な味の方が好まれるのではないかということで、マルカの町にお鉢が回ってきてしまった。
しかし――
「この町のシチューをいくつも出してみたのだが、エスクード殿は満足してくれなくてな」
「なるほど、そういうことだったろう」
「成金さん、私としてもどうにかエスクード殿に満足してもらいたいのだ。力を貸してもらえないだろうか」
「分かっただろう。協力するだろう」
成金とて、この町には世話になっているし、商人として賓客をもてなしたいという思いもある。快く引き受けることにした。
***
町長宅を訪れた成金は、さっそくエスクードと対面する。
ソファにて一対一で向かい合い、お互いの仕事の内容や、さまざまな情報交換をする。お互い知識人であるため、会話は大いに弾んだ。
「あなたと話していると楽しいだろう」
「私もですよ」
打ち解けてきたところで、成金はシチューについてのヒントを探り出そうとする。
「そういえば、あなたの好物はシチューと聞いただろう」
「ええ、昔母親が作ってくれたシチューがおいしくて、今でもあの味が恋しいんです」
「お母様も学者だったろう?」
「そうです。とても多忙で、よく本を読んでいました。その合間に私の食事を作ってくれてたという感じですね」
成金の目が鋭く光る。
「なるほど……とてもいいお母様だったろう」
「ええ、本当にそう思います」
なにやら手ごたえを掴んだ成金は、適当なところで雑談を切り上げると、町長の元に向かった。
「今日は私が料理を作るだろう」
「成金さんが……!?」
「うむ、私に任せて欲しいだろう」
元々成金に頼っていた町長から異論が出るはずもなく、成金はエプロンをつけてキッチンに立った。
しかし、成金に料理を作れるのかという不安がよぎる。
まず成金は札束を用意した。
町長が困惑した顔をする。
「どうするんだね、それを?」
「こうするだろう」
成金は紙幣を折りたたんだり、重ね合わせたりして、何かを作り始めた。まもなくそれは完成した。
「どうだ、鍋だろう」
「鍋……!」
見事な紙鍋ならぬ“紙幣鍋”が出来上がった。
続いて料理に使うその他の器具も紙幣で作り上げる。
「器用なことをするねえ」町長は感心する。
「これで料理を作るだろう」
成金は紙幣で作った鍋や包丁、おたまを使い、シチューを作り始めた。
シチューそのものは野菜だけのいたってシンプルなもの。
隠し味もなく、町長からするとこのシチューが好評をもらえるとはとても思えない。
「しかし……紙の鍋というのは燃えないものなのだな」
「中に入っているシチューのおかげで、紙が燃える温度にまで達しないだろう。だから煮込むことができるだろう」
「なるほど……」
シチューが出来上がり、皿に盛りつける。
やはり見た目も匂いも平凡で、町長は懐疑的な眼差しを向ける。
「では持っていくだろう」
成金はエスクードに自身の作ったシチューを差し出した。
「おや、シチューですか」
これまでにも散々シチューを出されただろうに、嫌な顔一つしない。しかし、心の中では「このシチューも自分を満足させることはできないだろう」とため息をついていることは想像がつく。
「とにかく食べて欲しいだろう」
「分かりました。いただきます」
エスクードはスプーンでシチューをすくい、それを口の中に入れた。
その瞬間――
「こ、この味は……!?」
エスクードの反応が今までと明らかに違う。町長もそれを感じ取った。
すると、エスクードの両目から涙がこぼれ落ちた。
「母さんのシチューの味だ……!」
エスクードは涙を流しながら、シチューを頬張る。
みるみるうちに皿の中は空になってしまった。
「ありがとうございました……!」
母の味を堪能したエスクードは感激している。
町長は目を丸くし、たまらず成金に問いただす。
「成金さん、これはどういうことだ!? 今までどんな料理人も彼を満足させることはできなかったのに……」
「インクだろう」
「インク……!?」
成金は100リエン札を一枚取り出す。
「私が作ったのは何の変哲もないシンプルなシチューだが、この紙幣に印刷されたインクがエスクード氏の思い出の味に変えただろう」
「なぜインクが……!?」
「彼のお母さんはおそらく研究や読書でインクにまみれた手で、料理をしていただろう。だからシチューにわずかにインクが混入してしまっていただろう。これこそがエスクード氏の“思い出の味の秘密”だったろう」
「そういうことか……!」
成金の種明かしに町長も納得する。
「しかし、インクが混ざったシチューなど、食べて体に毒ではないだろうか?」
「ごく少量だし、植物性のインクなので問題ないだろう」
成金がこう言い切るのだから、体にも悪い影響はないようだ。
後日、エスクードは満足した様子で母国に帰っていった。接待を申し付けられた町長も面目が立ち、喜んでいる。
自宅にてローザの作った紅茶を飲みながら、成金は幸せを噛み締めるように微笑んだ。
「どうだ、みんなの顔が明るくなったろう」