第5話 どうだ、足が不自由な少年に雪を見せるだろう
昼食時を少し過ぎた頃、成金はマルカの町にある診療所を訪れていた。
ここには彼が気にかけている少年が入院しているのである。
成金が少年の病室を訪ねる。
「調子はどうだろう」
「あ、成金さん」
ベッドに横たわる茶髪で儚げな顔立ちの少年。名はトーマスといった。
「いつもお見舞いに来てくれてありがとう」
「かまわないだろう。これは頼まれてた本だろう」
成金が本を手渡す。本は小説で、雪国を舞台とした物語だった。
「君はこの間もスキーの小説を読んでいただろう」
「うん、僕雪が好きなんだ。だけど……」
「このマルカの町にはめったに雪は降らないだろう」
「そうなんだ」
トーマスは雪が好きだが、雪の現物を見たことはなかった。
「一度でいいから、本物の雪を見てみたいなぁ……。でもこの足じゃ……」
トーマスは足が不自由だった。なので普段の生活は母親や看護師の補助が不可欠となる。雪が見られるような町はマルカの町からは遠く、この足でそこまでの遠出をするのは難しい。
これを聞いた成金の中に、一つのひらめきが浮かぶ。
「どうだ、君に雪を見せてやろう」
「えっ、ホント!?」
「本当だろう」
「明日の夜、お母さんと一緒に診療所の外に出るといいだろう。そうすれば君はきっと雪を見られるだろう」
「ありがとう、成金さん!」
トーマスは喜んだ。
成金もまた、トーマスの喜ぶ顔を見てうんうんとうなずいていた。
***
翌日の夕方、母が診療所に見舞いにやってきた。
トーマスの母親は、昼間は町の食料品店で働いている。彼女は夫を亡くし、女手一つで懸命に一人息子トーマスを養っている。
そんな母親にトーマスは言った。
「お母さんお母さん!」
「どうしたの、トーマス?」
「今日の夜、外に出たいんだ!」
「外に? どうして?」
「成金さんが雪を見せてくれるんだって!」
「雪を……!?」
これには母親も驚いた。
「うん! だから車椅子で外に出たいの」
「それはいいけど、どうやって雪を見せてくれるのかしら?」
「それは教えてくれなかったなぁ」
最もありそうな方法としては、成金が雪のある地方へ行って雪を持ってくることだ。しかし、いくら成金でも昨日の今日で雪を持ってくることなどできるだろうか。
他には魔法や魔道具で雪を降らせる方法もあるが、これも短時間で用意できるとは考えにくい。
とにかく、母子は成金が言った通り外に出ることにした。
夜空は晴天で、星がいくつもまたたいている。
思えばトーマスと母も、こうして星をじっくり見る機会はなかった。仮に今日雪が見られないとしても、二人でこの夜空を見られたことだけで十分収穫だと思えるほどだった。
すると――
「……ん?」
トーマスが先に気づいた。
「見て! あれ!」
空から白い何かが降ってくる。
「あれが雪かしら?」
「雪だ! 雪だ!」
トーマスは大喜びする。
だが、その白い何かが地面に近づくにつれ、“雪ではない”ことに気づく。
「あれは……紙?」
ひらひらと闇夜を舞う姿は、明らかに本で読む雪とは異なっていた。
「成金さんのいう雪は、きっと紙吹雪のことだったのね」
「そっかぁ……」
トーマスは落ちてくる紙を見つめる。本物の雪ではないことに少しがっかりはしたが、大富豪である成金が自分のために大量の紙吹雪を用意してくれたことは嬉しかった。
紙はさらに下へと落ちてくる。
トーマスはただの紙ではないことに気づく。
「あれは……お金!?」
紙には印刷がされている。100リエン札である。夜空から大量の100リエン札が降ってきた。
「まあ……!」
トーマスの母親もこれには目を丸くする。
そして、トーマスはこう思った。
あの100リエン札を少しでも多く拾えば、お母さんに楽をさせてあげられる!
「くっ!」
トーマスは両手に力を込めた。
「どうしたのトーマス!?」
「拾うんだ……!」
「トーマス、無理しちゃダメよ!」
「僕は……成金さんからの贈り物を拾うんだあっ!」
トーマスは必死の形相で両足に力を込める。物心ついた時からほとんど動かなかった足に、熱がこもる。力が入る。神経に痺れるような感触が走る。
「うわあああああっ!」
なんとトーマスが立ち上がった。
「立ったわ! トーマスが立った……!」
母親が感激する。
トーマスはわずかに動く足で歩き、降ってくる100リエン札をかき集めた。全ては母のために。
紙幣は不思議とトーマスに吸い寄せられるような軌道を描く。
必死になって紙幣を集めたトーマス。
そこに成金がいつもの笑顔でやってくる。
「どうだ、歩けるようになったろう」
「成金さん……!」
「今の君なら、自分で雪のある地方に行けるだろう」
成金にはこうなることが分かっていた。
トーマスが歩けないのはおそらく心の要因が大きく、何かしら“きっかけ”を与えれば動くようになるのではと予測していたのだ。
現に紙幣の紙吹雪を見て、「これを拾えばお母さんを助けられる!」と奮起したトーマスは立てるようになった。
「ありがとう、成金さん!」
「ありがとうございます……!」
涙ながらに礼を言う母子に、成金は「礼などいいだろう」と手を振る。
トーマスは集めた紙幣を返そうとするが、成金はこれも断る。
「せっかくだから、旅行代にでもするといいだろう」
「うん!」
こうして成金は雪ではなく札を降らせることで、トーマスの足を治し、彼が自分で雪国へ行けるようにしたのである。
***
その後、トーマス母子は無事雪のある地方まで旅行に行き、帰ってきた。
「成金さーん!」
あれからリハビリも順調にこなし、すっかり足がよくなったトーマスが走ってくる。
「どうしたんだろう」
「はいこれ、お土産!」
トーマスが持ってきたのは雪だった。
大半は溶けてしまったが、どうにかほんの少し持ち帰ることができた。
成金はトーマスの心遣いを快く受け取る。
「よく持ってきてくれただろう。ありがとうだろう」
しかし、雪を受け取った成金は、ぶるぶると震えた。
「どうしたの?」
「実は寒いのはちょっと苦手だろう」
トーマスは成金が本物の雪を用意しなかった本当の理由はこれだったのかも、と思った。