第10話 どうだ、令嬢と山の温泉に行くだろう
ある朝、成金はのんびりと読書をしていた。
コーヒーを飲みながら文字を追うひと時に、幸せを感じている。
「たまにはこんな朝もいいだろう」
メイドのローザがやってくる。
「旦那様」
「どうしただろう?」
「ソフィア様がお越しになりました」
「ソフィア君が……!?」
「いかがいたしましょう」
「丁重にお迎えするだろう」
リビングに案内されるソフィア。少し不機嫌そうだ。
「今のメイドさんは誰なのかしら? まさか、あなたの恋人じゃないでしょうね」
「私とローザ君はそんな関係じゃないだろう」
「ローザっていうのね。だけど、ひとまずはホッとしたわ」
「君ともそんな関係になるつもりはないだろう」
「ふん! いつか振り向かせてみせるわ!」
「これは困っただろう」
成金は話題を切り替える。
「ところで用件はなんだろう?」
「実はこの間、私社交パーティーに出てきたの」
「それは立派なことだろう」
「その時、山間にあるシリング村という村にいい温泉があると聞いて、私も行きたくなってしまったの。だけど一人では不安だし、あなたもどうかと思って。確か銭湯が好きだって聞いたわ」
確かに成金は銭湯好きである。マルカの町にできた銭湯には、週に何度も通っており、一日二回行くことすらある。
こうなると当然、温泉にも目がなかった。
「行くだろう」
「即答なのね」
「ビジネスでは迷った者はチャンスを逃すだろう」
「なるほどね……」
常に最前線に立ち、生き馬の目を抜くような修羅場を潜り抜け大富豪になった成金だからこそ吐ける言葉である。
しかし、シリング村に行くとなると、数日間は休みを取らなければならない。
成金はローザを呼ぶ。
「ローザ君、すまないが何日か商売は君に任せるだろう」
「かしこまりました、旦那様」
メイドのローザはもう十分に成金の代わりをこなせるビジネスウーマン。成金と恋愛関係でこそないが、心から信頼し合うパートナーである。
ソフィアにはそれが羨ましかった。いつか成金と肩を並べられる存在になってやる、と誓うのだった。
さっそく馬車を手配し、シリング村に向けて出発する。
馬車内の席に向かい合って座る二人。
「シリング村に到着するのはお昼過ぎになりますわ。それまで退屈ですわね」
「ならばしりとりでもやるだろう」
「いいですわね! じゃあ私から……舞踏会!」
「“い”……インゴットだろう」
「“と”ですわね。トパーズ」
「“ず”……ズワイガニだろう」
「“に”、庭師ですわ」
「“し”……紙幣だろう」
「また“い”ね。えーと……印税!」
「むむ……“い”で返してくるとはやるだろう」
この二人がやると、出てくる単語もどことなく優雅なしりとりとなった。
***
馬車に揺られて、二人はようやくシリング村に到着した。
「どうもありがとうだろう」
「ありがとう、楽しい旅になったわ」
御者に礼を言うソフィアの姿に成金がふっと微笑む。
「以前の君だったらきっとお礼は言わなかったろう」
「そ、そんなことありませんわ!」
「さあて、シリング村を楽しむだろう」
シリング村はのどかでひなびた村であった。山に挟まれた土地に、小さな民家が点在している。
日頃から厳しいビジネス世界や貴族界で切磋琢磨する二人にとってはまさに癒しの空間となった。
まずは村長宅に向かう。
村長は禿頭に白髭が特徴的な老人であった。田舎の村の長に相応しい穏やかそうな顔つきをしている。
「ようこそいらっしゃいました」
「温泉宿に泊まりたいだろう」
「かしこまりました。すぐに手配いたします」
村長に案内され、二人は温泉宿に到着する。
木造のこれまた風情のある建物であった。
「落ち着いた雰囲気で、いい宿屋だろう」
「そうね。こういうところに泊まるのも悪くないわね」
成金もソフィアも好感触を抱く。
ここから先は宿の主人が出迎えてくれる。
「ようこそ、いらっしゃいました」
「どうもお世話になるだろう」
ソフィアが主人に申し出る。
「さっそくだけど温泉に入りたいわ。案内して下さる?」
「かしこまりました」
主人の説明では、温泉は露天風呂になっており、男女分かれて入ることになるという。
これにソフィアが不服を漏らす。
「なんで混浴じゃないんですの!?」
「そうおっしゃられても……」
「ソフィア君、それは普通男側のセリフだろう」
更衣室で服を脱いで、成金は温泉のあるスペースに向かう。他の客はなく、貸し切り状態であった。
成金のお腹はでっぷり出ているが、これもトレードマークである。
さっそく温泉を堪能したいところだが――
「おっと、まずは体を洗うだろう」
お湯で濡らしたタオルで体じゅうを満遍なく拭く。
成金の肌が白く光り輝く。
「どうだ、綺麗になったろう」
体を洗い流すと、いよいよ湯につかる。
つま先を湯に入れた瞬間、成金の顔が紅潮する。
「こ、これはいい湯だろう……!」
極上の料理は一口だけで全てが分かるというが、足先だけで良質な湯だと分かるほどの温泉だった。
全身が温泉につかる。
目をつぶり、じっくりと湯を堪能する。
「ハァ~……たまらないだろう」
成金がだらしない顔で、温泉に浸っていると、木の塀を隔てた女湯から声が聞こえてきた。
「きいいいいいいいっ!!!」
ソフィアの声である。あまりに甲高い大声だったので、成金も驚いてしまう。何かあったのだろうか。
「ソフィア君、大丈夫だろう!?」
「きいいいいもちいいですわああああああ!!!」
塀の向こうではソフィアも湯を堪能している。
成金は安堵のため息をつく。
「なんだ、ビックリしただろう」
「あらやだ、私としたことが……」ソフィアも恥じている。
二人はしばし温泉を堪能し、湯を出る。
しかし、温泉にあまり慣れていないソフィアはすっかりのぼせてしまっていた。
「入りすぎましたわ……」
ネグリジェ姿で横たわるソフィアを、成金が札束で作った扇で扇ぐ。
「どうだ、涼しくなったろう」
「ありがとう……」
温泉が終われば、待ちに待った夕食。
シリング村付近で採れる山菜を利用したメニューが運ばれてくる。スープ、サラダ、おひたし、山菜の肉巻きと、バラエティに富んだ料理の数々。
「お口に合いますかどうか……」
「ふむ、うまいだろう」
「おいしいですわ!」
舌が肥えている二人も大いに満足する。
食事を堪能した二人はそのままベッドに入る。
同部屋になったので、ソフィアが睨みつける。
「いくら一緒に寝るからって……襲わないでちょうだいね!」
「襲うわけがないだろう」
成金は即答する。
「なぜよ!」
「困っただろう」
ソフィアの気難しさに成金は苦笑した。




