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 寒々しい風が吹き抜ける大通りの、歩道に並ぶ探偵と助手、もちろん青木と小川のことであるが、二人は事務所を出てからというもの、いがみ合ってばかりだ。

「大体今時ネットが使えなくて、しかもコーヒーを飲めるふりしてる情けない探偵、日本中どこを探してもいないでしょう」

「飲めるふり? 飲めるふりって、何のことかな?」

「極め付けは『最初はパー』って……子どもじゃないんだから」

「いいか小川」

 青木は急に小川の目を見据えて、言い聞かせるように話し始めた。

「どんなことがあっても、どんなことをしてでも、最後までやり抜く。これが探偵をやる者にとって最も重要なことなんだ。『どんなことをしてでも』! これが特に大切なんだ。小川……今度の事件、どんなことをしてでも解決するぞ」

 小川は呆れかえって、それ以上何も言わなかった。

『デスティニー』の日本支部は、『青木探偵事務所』から徒歩間もない所に位置している。小川が青木への不満を垂れ流しにしているうちに、あっという間に建物の前にやって来て、二人はその駐車場を横切っていた。

「あれ? あれって、秘書さんじゃないですか?」

「うむ、間違いない」

 三十メートルほど離れた建物の、正面入口の自動ドアが開き、紺のスーツを身にまとった女性を囲んだ一団が、黒くて細長い車に乗り込もうとしている。青木と小川は一斉に駆け出した。

「ちょっとー! 秘書さーん!」

 秘書は小川の甲高い声に気がつくと、周りの男たちを制し、小川を迎え入れた。

「どうかしましたか?」と尋ねた。それから少し遅れて青木が、歩いているのか走っているのか分からないような状態で到着する。そして腰に手を当てて天を仰ぎ、そのまま前かがみになってしゃがみこんだ。

「ちょっと、青木さん!」

「あいよぉ、分かっとる……ちょっとね、はあ、お聞きしたいことがね、はあ、あるんですがね」

「聞きたいこと、ですか」

「ええ。と言いますのも……えーと、なんだっけ」

「青木さん! 秘書さんは急いでるんですから!」

「わーってる! ええと……ああ、そうだ! 小手川社長を恨んでる人とか、そういう人物に心当たりは、ないっすかねぇ」

 青木はようやく息を整えて、いつもののらりくらりとした口調を取り戻し始めた。

「小手川社長のことですか……その話なら、車の中で聞きましょう」

 秘書が黒ずくめの男たちに目で合図すると、青木と小川の二人は、座席が三列ある車の二列目に並んで乗るよう促された。

「これから空港の方へ向かうのですが……それでもよろしいでしょうか」

 青木が「えっ……」と戸惑っている間に小川は「じゃ、遠慮なくぅ」と青木を引っ張って、さっさと乗り込んでしまった。

「おい、小川! これは新手の誘拐かもしれんぞ」

「秘書さんが僕らをさらう理由はないでしょ? これはチャンスなんですから、逃すわけにはいきませんよ!」

「気合入ってるなあ、お前」

「よろしいでしょうか」

 ヒソヒソ話している二人の間から秘書が顔を覗かせた。

「うわっ!」

 二人が共に上ずった声をあげるとほぼ同時に、車がゆっくりと発進した。

「聞きたいこととは?」

 座席にもたれた秘書の方を二人が振り返る。

「あのぉ、小手川社長のことなんですが、」

「ああ、小手川社長を恨んでいる方がいるか、そういう話でしたね。前にも一度そんな質問をされた気がしますが……私には分かりかねます」

「でもねぇ、あの時と違って、話には聞いてるんですよ。足田さんという方、ご存知ですよね」

「……足田様ですか」

「おっ、やっぱり。何か大変偉い方のようで」

 青木は頭を掻きながら言った。

「足田という社員にこいつが聞いたらしいんですよ。『小手川社長ははたから見れば結構残酷なことをしている』とかなんとか」

「残酷なこと、ですか……」

 秘書は俯いて、しばらく言葉を探しているようだった。その顔は窺えなかったが、青木にはその間、秘書が悲しげな表情をしているように思えた。

 秘書は顔を上げて答えた。やはりいつもと同じ無表情である。

「確かに……そうかもしれません。小手川社長は、いつも自分を責めておられましたから」

「あのぉ、ぶしつけかもしれませんが、残酷なっちゅうのは、具体的にはどんなことを」

「リン様」

 突如、前の座席の方から低い声が響いた。助手席に座った男が発した言葉のようだ。

「……それは、秘密です。よって、小手川社長を恨んでいる人の目星というのも」

「事件の解決に関わる重要な手がかりだとしても?」

「はい」

 リンが断言するので、二人は困った。これを聞き出せなければ、捜査は一向に進展しないのだ。

「そこをなんとか〜、お願いしますよー。ひとりだけ! ひとりだけでもいいから、お願い!」

「青木さん、そんなお願いの仕方じゃダメですよ。気持ち悪いです」

「そんなこと言ってる暇があったらお前も頭下げろ!」

 そう言って青木は、小川のベレー帽を押さえつけた。

「おい、お前ら! 調子に乗るな! 貴様らのような部外者にうちの機密を教えられるか」

 助手席の男が声を荒げる。

「そこをなんとか〜、ボディーガードさーん」

「では、ヒントをさしあげましょう——コーヒー」

「えっ、コーヒー?」

 青木はゴクリと唾を飲み込んだ。小川が、「それって、パラダイス島産のコーヒーのことですか?」と聞くが、秘書は何も言わない。青木がちらと助手席の男の様子を窺うと、サングラス越しの顔にも動揺しているのが伝わってきた。運転手もハンドルに汗を握っている。相当重大なヒントが、パラダイス島に隠されているのに違いないのだ。

「そのことについて、お聞きしたいことがあるんですがねぇ」

 青木は、ここが攻め所と言わんばかりに続けざま問うた。

「『パラダイス島』……あなたが言っていた島ですよねぇ。ネットで調べたらちゃんと出てきました」

 リンは微動だにせず腕を組んでいる。

「でも、いくら調べても! あれ、おかしいなあ、出てこないなあ、そう! いくら調べても、出てこないんですよ。パラダイス島の、所在地の情報がね」

「……ほお、それは興味深い話ですが……それで、私に聞きたいこととは?」

「あなた、言いましたよねぇ。『楽園』と呼ばれる島は『日本から最も遠いところにある』って」

「……言いましたかね」

「いやいや! ここでとぼけるのはやめていただきたい」

「知りませんよ?」

「いや、言いましたって!」

「言いましたか?」

「言った! 絶対言った!」

「記憶にないのですが……」

「お願い。言ったって言って。お願い、ほんとに。ここ重要なの」

 とうとう青木は両手を合わせて懇願し始めた。そんな青木を見て、小川はやはり大きくため息をつかざるを得ない。が、終始知らぬ存ぜぬを突き通すリンの様子も不審に思った。

「秘書さん、たしかに言いましたよね? どうして嘘をつくんですか?」

「……」

 埒のあかぬまま、空港まで幾ばくもない状況に陥っていた。二人は、焦った。焦って、青木などは関係のない世間話なんかを始めた。

「あのお……あっ、公園があります!」

「……」

「いやあ、私も昔はよく、公園で元気に野球なんかして遊んだもんですよぉ。それが今じゃ少し走るのにも息切れして……」

「……」

「あっ、そうだ! 秘書さんも昔は、公園で遊んだりしました?」

 完全に青木の独り言になっていた。小川さえ、窓の外に流れる景色を、肘をつきながらぼんやり眺めているのみであった。

「……私には、過去の記憶がありません」

 不意のリンの言葉に、二人は振り返った。

「ある場面までは、思い浮かべることができます。しかし、それ以上を思い出そうとすると……」

「あ、あの……なんかすみません」

 車内の空気は一層重くなり、以降は空港に着くまで誰も言葉を発しなかった。

 到着するとすぐ、リンは車外へ出て、二人の男に見送られようとしていた。

「リン様、こちらへ」

「……あのお」

 青木は半分諦めて肩を落としていた。が、そんな青木にリンはいきなり近寄って来て、その手を両手で力強く握りこむと、「青木探偵、期待していますよ」と告げる。

「は、はいぃ」

「そういえば、秘書さんってリンさんっていう名前なんですよね。どうしてそう呼ばれたくないんですか? 青山さんは、『ハクさん』なんて呼んでましたけど」

「そういやあ、そうっすねぇ」

 青木は顔を赤らめつつ、頭をさすっている。

「別に、どう呼んでいただいても構いません。ただ……それが本当に自分の名前なのか、私には分からないので」

「あっ、もしかして記憶のことで……」

「リン様、時間が」

 助手席に座っていた男が、腕時計を示す。リンは、それ以上何も言わず、空港の人混みの中へと消えていった。

「あんた達はついていかなくていいの?」

「仲間が中でリン様を見張ります。あくまで、リン様は一般の客として移動をされるので」

 男たち二人も、そそくさと車に乗り込むと、そのままエンジン音ひとつ立てずに去っていった。

「僕たち、取り残されましたね」

「ああ、しかし……」

 青木が余韻に浸るように両手を開けて見ると、そこに、小さく折りたたまれた紙を見つけた。

「おがわぁ、どうやら取り残されたのは、俺たちだけじゃねえみたいだぞ」

「えっ?」

 その紙の内容が、今後の捜査の情勢を大きく左右することになるのは、言うまでもない。

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