三の①
三
「あーおーきーさん!」
「ううん? 話しかけるな、今考え中だ」
「コーヒー、用意しましたよ」
「なっ!」
青木は勢いよく立ち上がって、机に膝をぶつけた。
「痛っ」
「何をそんなに慌ててるんですか? いつものことでしょ、考えるときにコーヒー飲むのは」
「う、うん。そうだよね」
青木はうらめしそうに、小川が盆で運ぶコーヒーを見つめた。湯気が立ち、キツイ匂いも漂ってくる。
探偵事務所に戻ってきた二人は、得た手がかりを整理して、推理をおこなおうとしていた。まず、事件のあらましについて仮説を立てようと言うのだ。そして、その仮説を元に調査するべきことを選別していく。青木探偵事務所伝統の調査法である。
「それにしても、全く思いつかんな。小手川社長は仕事熱心だった。社員との関わりはほとんどなし。容疑者も何もないじゃないか」
「そうですねぇ……」
小川は静かに、熱々のコーヒーカップを青木の前に二つ並べた。
「どっちが俺のだ?」
「どっちも青木さんのですよ」
「はっ?」
「青木さん言ってましたよねぇ。『コーヒーのことなら何でも知ってる! コーヒーのことなら俺に聞け!』って」
「いや、そこまで言ったかな」
「じゃあどっちが高級でどっちが安物か、当ててみてくださいよ」
小川はこういう時生き生きとする。一方の青木は動揺を隠せない様子だ。
「おまっ! おまえ、コーヒーに高いも安いもあるか! 最近のコーヒはどれもうまいんだよ!」
「でも、このどちらか片方はネットでとても評判良くて、他のやつとは全然違うって話ですよ」
「このネット男がぁ」
青木は、インターネットで調べ物ができない。事務所にパソコンはあるが、青木は電源の入れ方すら知らないのだ。それほどの機械音痴である。
青木はまず、右側のカップに手を伸ばした。そして、そのコーヒーをほんのちょっぴりだけ口に含んだ。
……苦い、青木は顔をしかめた。必死に顔面の歪むのをとどめようとする。
「青木さん……顔がこわばってますよ……」
いかんいかん、あんまり無表情だと不自然だ、と思い直して……
「青木さん、急ににやけて気持ち悪いですよ」
「もういい!」
青木は、今度は左のコーヒーをこれまた少しだけ口に含んだ。するとこれは、さっきのものに比しても全く飲めたものでは無かった。ぶふと吐き出すのを堪えるのでやっとであった。
「分かりましたか? 青木さん」
「くっ、とりあえず……どちらもうまいなあ」
「それは良かったです!」
青木には、どう考えようもないから、直感で、自分の舌に正直に答えることにする。
「じゃあ言うぞ……答えは」
「あっ、ちょっと待ってください! 正解者にはご褒美があるんですよ」
小川は得意げにメモ帳のいちばん新しいページを青木に突き出して見せた。
「じゃーん、事件の新たな手がかりでーす」
「何!?」
青木は食い入るようにしてそのページの内容を確認しようとするが、小川はすぐにそれを閉じてしまった。
「なっ……くそ、貴様、助手のくせに」
「なーに、ちょっとしたゲームですよ。まあ、コーヒー博士の青木さんにとっては? 余興にもならないと思いますけど?」
小川は憎たらしい笑みを浮かべている。青木は、小川に一泡吹かせてやろうと必死だ。
「こっちだ、こっち」
青木は右側のコーヒーを指差した。
「ちなみになぜそう思われました?」
「なぜ? なぜって……こっちの方が味に深みがあるというか……うん」
「へー、最近のスーパーで売ってるコーヒーって、高級品よりも味が深いんですねぇ」
小川は安物のコーヒー袋をいつの間に持ち出したのか、それをつまんで眺めながら言った。
「えっ……」
「ブランド品はそっちですよ、そっち」
「そ、そんなはずは……コホン、お前、置くときに間違えたんじゃないか?」
「間違えるわけないじゃないですか」
小川はためらいなく、両のカップに口をつけた。
「全然違いますよ。奮発したんですからね、このコーヒー」
小川は、今度は金光りしたコーヒー袋をぶら下げた。真ん中に島のロゴがある。
「そ、それは」
「そう、小手川社長が毒殺された時に使われた、パラダイス島産コーヒーでーす!」
「パラダイス島? 変な名前だな」
「ほら、あの秘書さんが言ってたでしょ。『楽園』と呼ばれる島でとれるって。調べたら出てきましたよ」
「まーたネットか。ほんと最近の奴らは」
青木はうんざりして言った。
「それで、新しい手がかりは何だ? このコーヒーか?」
「……青木さん。『パラダイスコーヒー』は天にも昇る極上の美味ですけど、青木さんは甘すぎます! もう脳みそが天に昇っちゃってます」
「何だ、そのたとえは。よくわからんぞ」
「青木さんはどうしようもない、って言いたいんですよ! 『正解者にはご褒美』って言いましたよね。外した青木さんにご褒美はありません」
「いいじゃないか、おがわぁ。俺とお前の仲だろう?」
「……ああ、あと青木さん。これで証明されましたね。コーヒーのことについて何も知らない。それに青木さん本当は……」
「おい! やめろ!」
青木は先ほどまでの猫なで声を一変させ、強い口調で言った。
「もしかして青木さんコーヒーが飲め……」
「やめるんだあぁぁぁ!!」
小川は驚いて黙ってしまった。青木はゼエゼエと息を吐く。
「そんなに嫌なんですか? 青木さん、コーヒーが実は飲め……」
「だからやめろって。お願いだから、頼むよ」
青木は両手を合わせて懇願の目を向けた。
「仕方ありませんね。でもヒントはなしですよ」
「いや、それじゃいろいろと不都合だろ。じゃんけんで勝ったら教えてくれ」
「仕方ないですねぇ」
小川はしぶしぶ、という様子で腕まくりした。
「いきますよ」
「ああ」
「最初は……」
「パー! よし勝ったぞー!」
小川は青木が両腕を突き上げて喜ぶ姿を、言葉を失い、呆然と眺めるしかなかった。