二
無数の緑色のランプが、不規則に点滅している。そんな電子プログラムの集まった薄暗い場所に、一人、コンピュータの画面に顔を照らされながら、せわしなくキーボードをたたき続けている。
そこに自動ドアの音とともに入室するまた一人。カタカタという音が中途で止まった。
「足田様。お待ちしておりました」
「待たれてるところ悪いけどさ、あの説明は前にもしたよね」
「はい、その話ですが……やはり私には、無理があると思えてなりません」
出迎えた女——秘書は、表情を曇らせて言った。
「『ドロー』理論のことだろう? 夢のある話だと思うけどね。『幸運』を人工的につくりだせちゃうなんて。そりゃ僕だって夢を見ちゃうよ」
長身の男——足田はあどけなく笑って、肩をすくめて見せた。
「しかし、私には到底信じられません」
「あのさあ、リンちゃん」
足田は少々顔をこわばらせた。
「『ドロー』理論の実験は、既に何十回と試行を繰り返されてきてるんだ。その度に有効性が実証されている」
「しかし……それが真実だとして……私にはあのやり方が正しいとは……」
足田は不思議そうな目で、彼女をしばらく見つめてから、「ああ!」と手を叩いた。
「島での実験のこと? まあ、仕方ないんじゃない? あれは、悪い子たちへの制裁も兼ねてるわけだし」
足田はおどける。それを秘書は厳しい目で見つめる。
「そもそも、『デスティニー』がここまで大きくなったのも、いわゆる『ドロー』を生まれつき自分に引き寄せる特異体質、ハングリッシュ元会長の『幸運』だったわけだから。これからも会社がこの規模で存続していくには『ドロー』に頼らざるを得ないでしょう」
秘書は沈黙したままである。
「まあ、そんな感じで彼は行く先々で幸運に出会うから、周りの人はみんな不幸になっていくんだけど」
足田は、朗らかな調子で言った。
「リンちゃん、あんまり考え込みすぎると体に悪いからね。……大丈夫! 君は何も心配なんてしなくたっていいんだから」
足田は苦悩の表情を見せる彼女をまた不思議そうに見つめた。
「そういえばリンちゃん、もう一つ話があったんじゃないの? まあ、大方の見当はついてるけど」
「……はい。『デスティニー』本社の次期会長を決定する会議が、明後日に」
「ついに来たね」
「そろそろ出発された方がよろしいのでは」
「何を他人ごとみたいに。リンちゃんも一緒に行くんだよ?」
「はあ? ……しかし、」
秘書はパソコンの画面に視線を移した。
「君のお遊びはもちろん、後回しにしてもらうよ? その辺の雑務だって、青山君とか、他の誰にでも代わりをやらせればいいんだから」
「はあ。でも、なぜ私が」
「僕を推薦してほしいんだ」
「推薦……」
「それが大きなきっかけになる。もちろん、リンちゃんの推薦がなくとも、僕は『会長には』なることができる。連中は無能だからね……リンちゃんはあのラルー局長の元秘書だろ? 今度の会議での発言力も相当なものだ」
秘書は無言で頷いた。
「じゃ、そういうことで。空港で待ってるからねぇ」
足田は陽気に手を振るとそのまま部屋を出て行ってしまった。
残された秘書は作業中だったパソコンに目をやる。画面には、小手川社長の事件の資料が映し出されている。彼女はそれをしばらくじっと眺めるとふと椅子に座り、新たな資料を開いた。それは『ラルー局長殺害事件』と題されたファイルである。
——ラルー・ヒッパー (アメリカ本社事務局長)パラダイス島産コーヒーに混入された毒により死亡——
リンはそれを眺めつつ、何か一層憂鬱な気分に襲われるのだった。