結婚
当然ながら、ハーフであるミコルの親族の半分はアルゼンチン人である。
しかも両親離婚後、日本人の父と離れ、アルゼンチン人の母の連れ子になったため、付き合いのある親族はほぼ全てアルゼンチン人。
その口から繰り出されるのは英語ですらなく、義務教育で習いもしないスペイン語。
学生時代、英語ですら0点を取るようなぼくからすれば、それは宇宙からやってきた異性人と交渉しろと言われるようなものである。
一応ネットで多少スペイン語の勉強をしたものの、そんなのは付け焼き刃にもならず全く意味を成さなかった。
当日、ミコルの自宅に招かれたぼくは、そこで彼女の両親に加え、たまたまアルゼンチンから来日していた祖父母達にも囲まれることとなる。
リビングに飛び交うスペイン語。
ぼくは静岡に来たはずなのに、現場は完全にメッシがいないだけの南米アルゼンチンだった。
『おーっと刹那選手、試合開始早々彼女の祖父母から挨拶が飛んでくるもキャッチできない!』
『滑舌が速すぎて全く反応できていないようですねぇ』
『ここでミコル選手の通訳が入る!何とか会話に繋げ……あーーー!すぐに主導権を奪われてしまったーっ!』
『完全にアウェイの状況ですから、やはり相手が悪いですねぇ』
あまりにも居たたまれない環境下に置かれたぼくの頭の中で、現実逃避の実況が流れる。
すでに耳は会話の聞き取りを諦め、目は光を失っていた。
さすがにそんな居心地の悪さを感じ取ってくれたのか、ミコルからタイムが入り、ぼくはリビングから退場させられた。
着いた先はベンチ…ではなく、彼女の部屋だった。
これで男女水入らず。
カップルとして初めて二人きりになって何より嬉しかったのが、日本語が喋れることだなんて誰が予想しただろうか。
イチャイチャなんてどうでもいい。
日本語が通じるだけで、心が通じたような感動すら覚えた。
もしかするとそれすらも作戦の内だったのだろうか。
ヤクザの取り巻きが「100万円用意しろ!」と脅した後に、親分が「まあまあ、こいつも大変なんだ、50万円で手を打ってやろうじゃねーか」と言って、(あ、いい人だ)とターゲットに思わせるあるあるの作戦だ。
だとしたらぼくはまんまと嵌まってしまったのだろう。
ぼくを窮地から救いだしてくれた彼女が天使に見え、そのまま結婚を決意したのだから…。
ぐだぐだながらも婚約挨拶を終え、徳島に帰ってからはトントン拍子だった。
8年勤めたほっともっとに退職を宣言し、アパートを引き払い、ぼくは25年間過ごした徳島を離れて彼女の実家に婿養子として嫁ぐことを決めたのだ。
彼女を徳島に呼ぶ道もあったが、所詮ぼくは低収入のフリーター。
家族の大黒柱として支える能力がないのなら、彼女の家族に吸収されて柱の一部になるのが理に叶っているというものだ。
自信があるわけではなかった。
彼女への愛などという綺麗な感情よりも、別に自分なんかどうなってもいいや。という自己破滅願望の方がむしろ強いくらい。
もしも上手くいかなかったとしても、富士の樹海で首を吊ればいいだけだと簡単に考えていた(※良い子は絶対に真似をしないでください)
それに何より怖かったのは、もしも自分が彼女と別れる道を選んでしまった時、数十年後に、「…ああ、もしもあの時、彼女のそばに行く決断をしていたらどうなっていただろうか…」などと嘆きながら朽ち果てていくこと。
だからぼくはたった2日会っただけの、最愛の彼女と進む道を選んだ。
人はどうせいつか死ぬ。
どれほど健康に気を遣っても、安全な場所にいても、それは変わらない。
ならばその時が訪れた時、後悔しない選択というのを常に実行したい。
時にそれはリスクを伴い、苦しみを味わい、絶望に打ちひしがれるようなものかもしれない。
でもそれが人生なのだろう。
ぼくはたまたま良き妻に見初められ、子宝にも恵まれたが、今後もずっと幸せが続くとは限らない。
だからこれからも悩み続ける。
そしていつかその悩みから解放され、死ぬ時が来るのを楽しみにしている。
そんなつまらない人間の、ありふれた人生。
最後まで読んでくださってありがとうございました。