第二十六章 北市場 2.ある出会い
《チャードの一種:肥大した根にショ糖を蓄えており、その絞り汁からは砂糖が採れる。ただし、現在では家畜の飼料用として一部で栽培されているだけで、さほど有用な作物とは見做されていない。その形状から、スズナの一種と誤解されている事も多い。異世界チキュウでテンサイと呼ばれているものに近い》
ユーリは信じられない思いでそれを見つめていた。
(……甜菜……って、砂糖の原料だよね。え? しかも……これが砂糖の原料って事、知られてないの?)
ユーリは驚愕しているが、地球のヨーロッパでも甜菜から砂糖を抽出する技術が確立されたのは十八世紀になってからである。根部が肥大した飼料用ビートが栽培され始めたのは十五世紀の事だから、それらを考え合わせればあり得ない事でもない。
「ユーリ様、どうかしましたか?」
「あ、うん。見慣れない作物があったから、つい、ね」
「あ~……こいつらは全部家畜の餌ですよ。筋が多くて、人間様が食べるようなもんじゃないです」
全部という言葉に改めて見回してみると、大小様々なカブの類が山積みになっている。
「そうなの? 僕の知っているところじゃ、カ……スズナの仲間も食べてたけど?」
「あ~……マンドさんから聞いた事があります。どっか遠くには食べられるスズナもあるんだって。でも、こいつらは駄目です。固くて筋張っててえぐみがあって、どうやっても食べられたもんじゃないです」
……遠くと言うか、塩辛山の村落跡地で栽培されていたようなのだが。
あそこではカボチャ擬き――この大陸には無いらしい――も栽培されていたし、かなり実験的要素の濃い入植地であったようだ。いずれにせよ、この国では食用のカブの類は珍しいものであるらしい。
「……随分詳しいけど……食べた事、あるの?」
「え? えぇまぁ、好奇心ってやつで、少しばかり」
「ふぅん……そうまで言われると、却って気になるな。一山買って帰ってみるよ」
「え~……止した方が良いですよ」
顔を顰めてエトが止めていると、事情を察したらしい店番の女性も制止に廻った。家畜の餌にするならともかく、自分で食べるのはお薦めできないというのである。
だがユーリとしては、折角巡り会えた甜菜を手放す気など毛頭無い。カブの方はカモフラージュ代わりのつもりであったが、ひょっとして栽培と調理の方法次第では、何かに化けるかもしれないと思うと、これも見過ごす気にはなれなくなった。
「……エト君や、ユーリ君がこうまで言っておるんじゃ。買わせてやってはくれんかね。ユーリ君なりに試してみたい事があるんじゃろう」
「え~……おいらがマンドさんに叱られるんですけど」
「変なものを買われると」と危うく言いかけたのを辛うじて口の中で抑え、それでもお薦めしないオーラ全開のエト。対して、こちらもこちらで断固として買って帰る構えのユーリ。好カードはしかし、エトが折れる事で決着がついた。
「……おいらが止めたって事、ちゃんとマンドさんに言って下さいよ?」
「勿論じゃよ。エト君は立派に務めを果たしたとも」
「えへへ……立派だなんて、そんな……」
しっかりしているように見えても所詮は十一歳、オーデル老人にあっさりと籠絡されたエトは、店番の女性に交渉して、購入した一山を間違い無くアドンの屋敷まで届けてもらうように頼んでいる。ユーリとしては即座にマジックバッグに仕舞い込みたいところなのだが、生憎出かける前にアドンから、人前で迂闊にマジックバッグを使うなと、きつく戒められている。なので、
「色々と研究してみたい事があるんで、間違い無くこの一山を届けて下さいね? 中身が違っていたら、受け取りかねますよ?」
――と、きつく念を押していた。……こっそり闇魔法の【暗示】を使ったのは、ユーリとしては必要な処置の範疇であった。
「ねぇユーリ君、随分スズナに執着していたけど、何か考えでもあるの?」
「いえ。スズナって寒い場所でも育つじゃないですか。家畜の餌にも緑肥にもなる優れものですし、その上に少しでも食べる工夫ができたら、色々と助かる事も多そうな気がして」
「ふ~ん……?」
ドナは些か疑いを含んだ眼を向けているが、ユーリの発言も必ずしも嘘ではない。スズナことカブの仲間が澱粉質を豊富に含んでいるのは事実だし、味と繊維質さえどうにかできれば、食物として利用の途も開けるだろう。調理の工夫――圧力鍋とか――もさる事ながら、ユーリにはやってみたい事があった。
この地へ転生してから既に五年。その間農作業に使い続けたユーリの木魔法は栽培に特化しており、今や組織培養まがいの事もできるようになっていた。試食してみて味の良いもの、繊維の少ないものを選んでクローニング処理を施し、選抜育種のような事ができないかと考えていたのである。
時間がかかるのは承知の上だが、どうせこの世界での人生は好きに生きると決めている。人生をかけての趣味というのも楽しそうではないか。
(これは……帰ったら色々と忙しくなりそうだな……)